竹ノ内街道敷設1400年で、丹比道には道標が多く復元されている。この石柱は残念ながら折れているが寛政9(1797)年の道標。「右・ひらの/大坂。左・さかい」とある。多くの物資が行き来し、人々はこの石柱を頼りに伊勢、熊野、そして高野を目指したのであろうとおもう。なにしろ地図のない時代のことである。
竹ノ内街道敷設1400年で、丹比道には道標が多く復元されている。この石柱は残念ながら折れているが寛政9(1797)年の道標。「右・ひらの/大坂。左・さかい」とある。多くの物資が行き来し、人々はこの石柱を頼りに伊勢、熊野、そして高野を目指したのであろうとおもう。なにしろ地図のない時代のことである。