《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

新世界の歴史をちょこっと

2015年04月06日 | Weblog

昭和33年売防法により、飛田遊郭が廃業。それに伴っい、歓楽街としての新世界の活気は衰え、あいりん地区の労働者が大半を占めるようになった。昭和36年には釜ヶ崎暴動が追い打ちをかけこの新世界のイメージも悪化した。昭和50年には通天閣の入場者数は過去最低となり危機を迎える。また至る所に娼婦が立つなど風紀が乱れ日中は通行人もまばらとなった。しかし平成2年(1990)年ごろから「昭和の名残」を感じさせるレトロな街の雰囲気が若い世代に再評価された。また映画撮影の舞台やNHK朝の連ドラ「ふたりっ子」の舞台になったことなどから新たな観光地として、外国からの観光客も多く訪れるようになた。