《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

奈良・高取「土佐の家並2」

2007年05月14日 | Weblog
藩主植村家が二万五千石大名になるには、最初の人物が遠州から流れてきたのを15世紀とすれば、六代150年でやっとその身分になれたことになる(街道をゆくより)。永年かかって築いた町並、何処もそうだが歯が抜け落ちてゆきそうな町並みの保存には苦労されているようだ。そこには人々の現生活があるから。