月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

いろんな出会いの中で思う。

2018-04-05 | 生活
今号もようやく入稿を迎えた。

クライアント窓口2名、デスク、デザイナー、私、そしてなぜかカメラマンMさんの6名で、クライアントの社内にある会議室を借りて「最終校正」を行った。

毎度のことだが、高校時代の文化祭前を思い出す。
普通の出版業界にはあり得ない、この手作り感と親密な空気。
出版社や制作会社が入らず、ど素人のクライアントとフリーのクリエイターだけで創る雑誌ならでは。
業界の常識が全く通じないので困ることも多々あるものの、逆にそれだからこぞ楽しい一面もあり。

今回は締切1週間前から全部の原稿を作成して出していく・・・というとんでもないことをやってしまったので、デザイナーさんには多大なる迷惑をかけた。
締切にはなんとか間に合ったものの、そういう問題ではない。

「次号はロケットスタートを約束します!」と言うと、人の好いイケメンデザイナーは「本当ですか!それはうれしい~」と本当にうれしそうで、ああ、それほど苦労かけてたんだなぁと、つくづく申し訳なかった。
このデザイナーさんじゃなければ、発行が間に合うのかわからないというほど、彼は仕事のできる人だ。
最近は海外での仕事も増えていて、この間は香港、来週はフィリピン、ベトナムと、海外出張が続くという。
30代前半の若さで、いろいろと手広くやっている、本当に将来を期待できるデザイナーさんだと思う。

若い世代の人たちと組んで仕事をするのは、やはり刺激がある。
「できない自分」に落ち込んでいる暇などない。
置いていかれないよう、必死にしがみついていかなければ振り落とされる。
チームは皆仲は良いけれど、常にそういう危機感のようなものは抱きながら仕事をしている(私は)。

しかし、昨年夏から秋にかけて育てようとしていたライターは、結局ものにはならなかった。
私だって創刊号から4年以上やってきているからこそ、積み重ねてきた知識と経験で「今」があるけれど、いきなりこの出来上がった雑誌の一員に今から加わるとしたら、それは難しいだろうなと思う。
だから、続かなかったことは仕方がないのだが、クライアントに対して「音信不通」になり、おかしな辞め方をしたことは残念だった。
もうチームの誰もその人のことを口にもしないけど・・・。

10年前の私だったら、その人に対して「老婆心で言わせてもらうけど・・・」とか何とか、彼女に対して「クライアントに謝るように」と促したり、「フリーでやっていくんだったら・・・」みたいなお説教のメールでも送っていただろうなと思う。
でも、今の私はもうそういうお節介はしない。
心を尽くしても人に対して時間を割いても無駄なことが多いし、結局は「彼女のため」と言いながら、「自分が言いたいことを伝えてやった!」という自己満足でしかないと思うからだ。

人は人の意見なんかでは変わらない。
それはもう十分に、いろんな場面で経験してきた。

私もそうだ。誰に何を言われたって変わらない。
自分が本当に「変わりたい」と思う出来事に直面しない限り、変わることはない。
そういう力は自分の中からしか生まれてこないものだと思う。
だからきっと彼女も、これから先、本気で変わりたいと思うことがあった時に変われると思うし、その時にこちらへ何らかの謝罪などもあるかもしれない。周りはそれを待つほうがいいのだろう。

自分と人との相違点にイライラしたり、勝手に辛い想いをしたりすることから、ようやく逃れられるようになったなと思う。

そして、日々いろんな出会いがあるから、過ぎ去った出来事に心を痛めている時間もない。

祇園の店では、5月にあるイベントをやろうという話が持ち上がっている。
京都の若手陶芸家のチームと組み、「日本酒と酒器」の展示&試飲をやるのだ。
店に若手陶芸家チームのリーダーが来てくださって、店長といろいろ相談していた。

今、店で使っている酒器は、正直どれも自分の好みではない。(店長が酒器にはこだわらない)
でも、これをきっかけに素敵な酒器が店にも入るかもしれないと思うと、嬉しくて仕方がない。

また、その陶芸家チームの話が面白かったので、個人的に取材させてもらって、スポーツ新聞のonlineで掲載させてもらうことも考え中。
onlineの特約記者にさせてもらえたことは、こういう時によかったなと思う。
「書きたい」と個人的に思う人に出会った時、実現できる可能性がある。

なんだかまた世界が広がっていくのを感じてわくわくしている。