月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

初めての田植え

2014-06-09 | 
先週の話になるが、生まれて初めて「田植え」なるものを経験した。

仕事の取引先の人たちと、打ち上げで話していたとき、その中の一人が農業を趣味でやっているという話をしてくれたのだ。
ちなみにこの「取引先」は日本酒雑誌とは全く関係がない。
詳しく聞いてみると、一緒にやっている人が栃木の某酒蔵で冬の間は造りをやっているとのこと。
植えるのはその蔵でもらってきた「亀の尾」の種籾だという。

「亀の尾」!!

この名を聞いて、興奮しない日本酒好きはいない。
明治時代に山形県で栽培されていたが、一時期は作付けをする人がいなくなり、幻の米と呼ばれていた。
基本、食用だが、酒米としても優れている。
また、あの「夏子の酒」の中に出て来る幻の米のモデルとされている。

常々、「酒造りを学ぶなら、まずは米作りからだ」と考えていた私は、機会があれば米作りに少しでも携わってみたいと思っていた。
そこでその取引先のS野さんに「田植えに参加したい」とお願いすると、人手は欲しいし、誰でも参加できるとのこと。
夫も誘っていくことになった。

5月31日、よく晴れた日。
京都の大原の田へ電車とバスを乗り継いで辿り着いた。

S野さんはまだ来ていなかったが、一緒に農業をやっているというMさんと奥さんのK子さんがいた。
自己紹介すると、最初からウェルカム対応。

「人が好きな人」って、わかる。
まず全力で自分をオープンにしてくる。そして、相手に興味をもつ(もしくは持っていると思わせる)。
私も初対面の人にはよくやる行為だけど、とにかく名前を聞いて、連呼して、覚える。
Mさんも何度も何度も「これからたくさん人が集まるので、もう一回復習しときますね。○○さん、△△さん、えーと、あなたが■■さん」と、一生懸命名前を覚えようとしてくれる。

そして、人の目をしっかり見て、こちらの心まで見透かすように、ぐっと入り込んでくる。
あー、きっと人がとても好きなんだな、と思う。
そしてきっと人に助けられ、人に感謝して生きている人なんだろう、と。

そうこうしているうちに、人がどんどん集まってきた。
私の好きなイラストレーターのS田さんも来ていて嬉しかった。

しかし、さあ、田植えだー!!と思ったら、そんな簡単ではなかった。
完全無農薬で育てるので、種籾を田に直植えしているのだ。
広い水田の一部分にだけ、稲と雑草が混ざったところがある。
そこに椅子を置いて座り、ひたすら雑草の中から稲だけをより分け、籠の中に入れていくという作業。
根がちぎれないように注意し、よく似た草とも間違えないようにしなければならない。
20人近くいたが、それでも永久に終わらないのではないかと思うほど、気の遠くなるような作業だった。

夫やS田さんとしゃべりつつ、時には黙々と、ひたすら手を動かす。

とにかく気持ちがよかった。
裸足で泥の中に膝近くまで入って、ずっと手で土と稲を触っていると、浄化されていくような気がした。

太陽と土と風と。

自分が好きなものだけがあって、何の不安もなくて。
小さな小さな稲の苗だけど、震えるほど確かな生命があった。



※MさんのFBにアップされていた写真を拝借。この写真好きだー・・・
 ちなみに、左手前の小太りのチェックシャツ女が私です。

結局、午前中の3時間はその作業だけで終了。
腰は痛かったが、でもなんだか心地良い疲れだった。

昼食はMさんのところでカレーを用意してくれていた。
農作業の後のカレーの味は格別!!
本当においしかった。

その後、少し時間をとって、改めて皆の前で自己紹介。
私は、ライターであること、日本酒の雑誌を作っていること、酒を知るにはまず米作りからだと思い参加させてもらったことなどを話した。
職業も年齢も環境もバラバラのいろんな人たちが来ていた。
異業種交流って、おもしろい。私は大好きだ。

午後になって、ようやく「田植え」。
ロープを引っ張って、それに沿って、等間隔で植えていく。



初めての田植えはドキドキした。
稲は本当に小さくて、とても頼りないのだ。
水田だから、水も多くて、ちゃんと根を植えるというよりは、泥の中に置いてくる感じで。
こんなので大丈夫なのかしらと不安になる。



でも、少しずつ植えていって、後ろを振り返ったら、それはそれは美しく苗が並んでいた。

まだ半分ほど残っていたのだが、この日、夕方来客があるので、どうしても帰らねばならず、3時頃に私たちはお先に失礼した。
短い時間だったけれど、本当にいい経験だった。
やっぱり米作りを知らなければ、お酒のことなど書けない。

それから、Mさんご夫婦と知り合えたこともよかった。
Mさんは冬はお酒を造り、夏はカメラマンをしている。
とても素敵な写真を撮る。(今回拝借した写真)
なんだか優しくて。
写真を見るだけで、やっぱりこの人、人が好きなんだろうなぁと思う。
すっかりファンになってしまった。

そうか。
人の心を打つって、そういうことなんだなぁ。
私の書いたものも、「ああ、なんかいいなぁ、この人の文章、好きだなぁ」と思ってもらいたい。
感動の名作でなくても、有名雑誌の掲載でなくても、ただちょっと「ああ、いいなぁ」と思ってもらえるような、そんな文章を書いていきたい。

しかし、田植え・・・はまりそう!
もともと土いじりは大好きだから、向いていないはずがない。
なんだろう、あの幸せな時間。時が止まったような。

あとでS田さんが私の夫へメールをくれていて、
「かおりさんは仕事の時はいつも緊張しているような感じがするけれど、田植えのときはリラックスしていたように思いました」
というようなことが書かれていた。

「緊張」といっても、ドキドキして手が震えるとか、そういう緊張ではない(当たり前か)。
なんとなく「余裕がない」ということなんだろう。
完璧であろうといつも必死だし。
まあ、仕事でなくても、家の中でも私はだいたい余裕がない。

だから、旅行に出ると、夫に「憑き物が落ちた顔してる」と言われるのだろう。
日常生活では、私はとり憑かれている。「カンペキ主義」という意味のない亡霊に。

その点、田植えはよかった。
亡霊は顔を出さなかった。
だから、S田さんとも初めて「本当の自分」を出して話ができた。

自然は私を解放してくれる。

あの稲が秋になって、黄金色の実をたくさんつけるのだと思うと、今からドキドキしている。
稲刈りも絶対参加しよう。