月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

いのち

2012-08-09 | 生活
床床さんが赤ちゃんを産んだ。女の子だ。

切迫流産とかで、妊娠中、ずーっと「絶対安静」だった。
歩くことも動くこともほとんど許されず。

その間、顔を見に2回遊びに行った。
思ったより元気で安心したけれど、
ストレスもあっただろうし、不安や心配もあっただろう。
だけど、そうやって大切に大切にお腹の中で育てられた赤ちゃんは、無事にこの世に誕生した。

無事どころか、4000gを超えて、大きく育って生まれてきた。
本当によかった。

早速病院にお祝を兼ねて赤ちゃんの顔を見に行った。
かなりの難産だったとかで、床床さんは貧血で入院が長引いている。
心配だけど、彼女は泣き言を言わない。
東北の人だからかなぁと思う。
自分のことをネタにするという文化はどうやらないみたいで。

どんなに苦しかったかとか、どんなに痛かったかとか、
泣き言も言わないし、それをネタに「聞いてーや」みたいなのもない。
それを望んでしまうのが関西人(笑)

とりあえず、元気な顔を見られてホッとした。
なんだかスッキリとしていて、迷いがなく、「母の顔」だなぁと思った。

赤ちゃんの名前の事を聞くと、ダンナさんがどういう思いで名づけてくれたか、という話をしてくれた。
その時だけ、少し涙ぐんでいた。
たくさんの想いがあったんだろうなぁと、こちらもぐっとくる。

ちょっと古風な漢字ではあるけれど、願い通り、漢字一文字で、響きは普通だけど、なかなかない名前。
人の名前とは、こうやっていろんな思いを託されてるんだなぁとじんわりする。

ふいにダンナさんが病室に現れた。
お休みをとられていたらしい。
聞いていなかったので驚いたが、一度お会いしたかったのでよかった。

昔はちょっとワルかった、みたいな雰囲気アリアリの人で。
だけど、しっかりと誠実そうな目をしていた。
また、場を盛り上げるのも上手で、会ったばかりなのに、昔の自分のワルさの話などをしてくれた。
うちの夫が好きそうな、80年代の明るい不良の物語。
楽しい人だった。

そして、肝心の赤ちゃんはというと、黄疸が出ているらしく、なんと保育器の中で治療中!
日光浴みたいなことをさせられていた。
赤ちゃんがいっぱい寝ているところに行ってみたが、床床さんの赤ちゃんだけが遠い。
身内でもない私は、その保育器のそばまで行くことは許されず、本当に遠くから拝むだけだった。

さすが4000g!
遠くからでも、他の赤ちゃんより一回り大きい。
写真を見せてもらったが、顔ももうしっかりしている。目鼻立ちはっきり。
そして、保育器の中で元気いっぱい、手足を動かしていた。
近くで見られなかったのは残念だったが、これからいくらでも会えるわけで。
今回は床床さんの顔を見ておめでとうを言いたかったので、とりあえず目的は果たせた。

絶対に病院に行こうと思っていたのだ。
それは、ゆうちゃんが子供を生んだとき、嬉しくて病院に駆けつけたら、「病院まで来てくれるって、家族みたいで本当に嬉しかった。ありがとう」と、後々言ってくれたから。
私は経験がないのでわからないけれど、へー、嬉しいものなんだなぁと思ったのだ。
こちらは単に野次馬根性で(ってわけでもないけど)、自分が早く見たかっただけなんだけど。
でも、それを聞いていたから、床床さんのときも、絶対に行こうと思っていた。
結果的に赤ちゃんをそばで見られなかったけれど、ダンナさんにも会えたし正解。

他の人の赤ちゃんも生まれたてがいっぱいいて、それはもうなんとも可愛らしかった。
人の子だけど、見ていて飽きない。
せつなくなるくらい可愛かった。

ああいうのを見ると、やっぱり赤ちゃん欲しいなぁなんて思ってしまう。
だけどきっと私のこの想いは、ペットショップで可愛い犬を見たときに「あー、可愛い、欲しいなぁ」と思うのと大差がないのではないかと思う。
人を育てるということは、可愛いだけじゃやってられない。

そんなことも考えて、病院を後にした。
どうぞ、健やかに元気に育ってね。優しい人になってね、と心から願いながら。

今度はおうちに遊びに行って、抱っこさせてもらおう。