月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

浅はか

2012-08-07 | 仕事
ボブ・ディランを聴きながら、ラガーの500ml缶を飲み干した。
なんだかやりきれなくて。
誰かに対してではない。
自分の未熟さ、情けなさ。
反省と後悔。
「あー、またやっちまった」と涙して帰る電車の中。

私を一言で表すなら、「浅はか」。
この言葉が一番ぴったりくるなぁといつも思う。
私は別に悪人じゃないし、人に意地悪もしないし、正義感もあって真面目に生活しているけれど、とにかく浅はかだ。
でも、この浅はかっていうのは、怠惰と同じで、時には大きな罪になる。

「自分はちょっと成長したように思っているけど、やっぱり欠落している」

この事実に気づくと、いつもなぜか涙が出る。
何なのかわからないけど、すごく哀しくなって涙が出る。
たぶん、みんなと同じようにまともな人間になりたかったし、普段は「なれている」と思っているからだ。
やっぱりそうじゃないと気づかされると、なんだか自分が頼りなくなって、小さくなって、涙が出てくる。

いつも「いいもの」を作りたいと思っている。
でも、その「いいもの」ってなんだ?

15年もこの仕事をやってきて、経験と知識から自分の中で「こういうものがいい」というイメージはできている。
だけど、それは結局のところ、私のイメージであって、仕事を依頼しているお客様のイメージとは違う。

クライアントの言うがままでもよくないけれど、自分の意見を押し付けるのもよくない。
そのバランスが難しい。

普段はそれをディレクターさんがやってくれる。
私はディレクターさんが言うものを作ればいい。
それは、とても職人的な仕事で、私には合っている。
というか、少なくとも広告などを作る場合には、誰かの思いの代弁者だと思っているので、その「思い」を正確に私に伝えてくれる人が間に入ってくれていると、本当にラクだ。

でも、たまにディレクションからやらないといけない仕事が来る。
私はその「思い」をクライアントから引き出すことはできるけれど、それと仕上がりのバランスを考えて提案することが下手だ。
そこに行き違いが生まれる。
つい感情的に話してしまう。

それなのに、相手は「あなたなら僕の言いたいことを言葉にしてくれると思っていたので。自分では書けないけど、あなたなら書けるので」と信頼してくれている。
その「信頼」を勘違いして、自分の想いまでそこに乗せようとしてしまった。

大きな勘違い。
私は単なる代弁者なのに。

広告は難しいな・・・
どんなに素敵なコピーが書かれてあっても、どんなにきれいなビジュアルでも、それによって人を動かさないと意味がない。
集客であったり、物を買ってもらったり。
だからこそ、プロとして自信をもって自分の視点で提案をするのだけれど、それ以上にクライアントの想いをカタチにすることのほうが重要な場合もある。
また、自分の視点で作ったもので満足のいくほどレスポンスがあるかどうかも保証はない。
それも全部わかったうえで、「僕の想いをカタチにしてよ」と言ってくれているんだから、それでよかったんだ。。。
私は自分を何様だと思ってたんやろな・・・

とりあえず、この仕事は最後までやらせてもらえるので、ベストを尽くそう。
満足してもらえるものを作ろう。それしかない。

個人経営のチラシ作りですらこんなに大変なのに、夫は世界の一流メーカーを相手に毎日こんなことをしているのかと思うと、本当に頭が下がる。
今に始まったことではないが、毎日真夜中に帰宅する。
それでもたいていはゴキゲンなのだが、最近は少し難しい顔をしている。
昨晩も帰宅したのは3時半だった。

今朝、私が「打ち合わせに行って来る」と言ったら、「そのほうがいいな」と言った。
「メールや電話ではあかん。顔を合わせて話したほうが絶対いい。相手への好意が伝わるから」と。
その口ぶりから、夫もなんだか大変なんやな、と思った。
でも、この人はあまり愚痴を言わない。
私なんてすぐこうやってブログに想いを綴ったり、もしむかつくことでも起きれば、友達に話してストレス解消して、それで自分の心を整理するのだけど、この人は一体どうやってモチベーションをたもってるんだろうかと不思議になる。

たぶん、子供の頃からいろんなことがありすぎて、自分の中で全てを処理するというクセみたいなものがついてしまったんだろう。
きっと「処理マシン」が心にあるんだなぁ。
それとも、自分の美学を守り通したいという「意地」なのか。

「擦り減らすほうが、錆びつかせてしまうより、ましだ。」

夫がもう何年も前に書いていた言葉。
なんだか急に思い出して、心に刻み込む。