鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

2018長崎平和祈念式典

2018-08-09 13:44:47 | 日本の時事風景

 今日は広島に続いて原爆を投下された長崎市で平和祈念式典が開催された。

 投下時刻の11時2分の前には長崎での慰霊祭に欠かせない「献水の儀」が行われた。これは被爆して息も絶え絶えの多くの人々が幽霊のように歩きながら水を求めていた事実に基づいている。今年も5か所からの清水が献納された。

 爆心地に近い山里小学校の生徒が永井博士の作詞した「あの子」を合唱したが、これも恒例である。

 11時2分に一分間の黙とうのあと、長崎市長の「平和宣言」、続いて被爆者代表の86歳の田中さんという人、そして安倍首相と続き、最後に今年初めての登場となった国連事務総長の追悼のあいさつがあった。

 長崎市長も被爆者代表もそして国連事務総長もすべて昨年国連において決議された「核兵器禁止条約」の早期の批准を日本に求めていたが、安倍首相は広島と同じく「唯一の戦争被爆国である日本は、核保有国と非保有国との間の橋渡しになって核のない世界へ主導的な役割を果たす」と述べていたにもかかわらず、アメリカの核のもとに安全を保障されているため、結局のところこれは単なるリップサービスに過ぎないことは祈念式典参加者すべてがお見通しだ。

 このことは国連事務総長も残念に思っているようで、昨日のNHKのニュース番組で事務総長にインタビューする場面があったが、事務総長は「日本の核なき平和な世界への貢献は非常に大きいし、期待されている」と昨年のノーベル平和賞受賞団体「Ican」の代表と同じ見解を述べていた。

 この日本のアメリカへの忖度(遠慮)は日米安全保障条約・日米地位協定に起因しているのであるから、本当に「保有国と非保有国との間の橋渡し」をするのであれば、アメリカの核の傘の下から出て、堂々と「非核三原則」を金字塔に、世界に向かって「核兵器廃絶・不使用」を訴えなければ意味がない。

 せっかく戦後73年の間世界に向かって一発の銃弾も(もちろんミサイルも)発しないという空前絶後の歴史を重ねながら、何とももったいない話なのだ。

 世界はこの日本の徹底した平和主義を非常に評価しており、日本が対米従属を止めたら必ずや大きく称賛されるだろう。武力を使わないで安全を確保してくれる平和国家日本が求められているのだ。

 アメリカファーストに洗脳された安保維持論者(またはアメリカ依存症患者)は「そんなことをしたら、中国が、ロシアが、それどころか北朝鮮さえ小馬鹿にしてミサイルを発射してくる」などと、依存症患者らしいことを言うに違いないが、事は反対だろう。

 アメリカの影が無くなったら、多くの国々(中国もロシアも北朝鮮も含めて)は日本に対して「平和への使者」的なエールを送ってくるだろう。

 その時むしろアメリカの方が心配に思うかもしれない。「居丈高になった日本が原爆や大都市への無差別攻撃をしたアメリカ憎しと、北朝鮮のように核武装をしてアメリカへ仕返しの攻撃をしてくるのではないか」と。

 これはもちろん杞憂だが、何にしても日米安保はトランプ自身が言うように「アメリカが一方的に日本を守らなければならない相互条約はおかしい」のだ。

 もう冷戦は過去のもの。アメリカでさえ冷戦思考はとっくに捨てているのに、「日米安保がなければ、共産中国が、社会主義ロシアが攻めてくる。安全が脅かされる」とおうむ返しのことしか言えないアメリカ依存症患者よ哀れ。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿