鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

台風10号の爪痕(続編)

2024-08-30 11:33:12 | 災害
昨日の3時頃、雨風が大分収まったので、倒れた貝塚伊吹を起こしにかかった。

その前に貝塚伊吹らしい葉の生えていた幹という幹を大小となくカットし、全体的には半分以下に切り詰めておいた。

叢生している中でも主幹と思しきやや太めの幹にトラロープを掛け、さらに2m離れたキンモクセイの大木にもロープを回し、その間にホイストロープという一種のカシメ機を使い、横倒しだった貝塚伊吹をほぼ垂直になるように戻した。
オレンジ色のロープが滑車の3掛けと2掛けに分散されているので、動滑車の原理で引っ張る力は六分の一で済むから、手の力でも何とか垂直になるまで起こすことができた。

ここまでで大分疲れて来たので、とりあえず右手のキンモクセイの幹に縛り付けておいた。時折り風とともに雨が降るし、翌日回しとする。

翌日、つまり今日は朝方から小雨が降っており、朝食後も台風の吹き返しのような雨交じりの風が吹くので様子を見ていたが、9時頃にはそれも収まったので、昨日の続きの作業を開始した。

オレンジ色のホイストロープを外し、補助用の寅ロープもすべて撤収し、その代わりに別の9ミリロープを仕掛ける。
根上りを抑える応急措置だが、貝塚伊吹独特の葉が映え揃うまではこのままにしておく。

丈夫な支柱も立てなければなるまい。

今年、これ以上の台風が来ないことを願う。

台風10号の爪痕(2024.08.29)

2024-08-29 15:09:02 | 災害
今日の午後3時現在、爪痕というのは大袈裟だが、我が家では庭木の一部が折れたり、倒れたりしている。

最初に倒れたのは玄関近くの貝塚伊吹というヒノキ科の庭木だ。
これは昨夜の早いうちに倒れたようだ。

高さ2m、葉の繁り具合の直径も2メートルくらいで、雨を多量に含んだせいで重心が上に行き、強い東風に倒されたようだ。

10年余り前に、高さ1mにも満たず、繁り幅はもっと小さかったののを植えたのだったが、図体の大きくなるままに選定をしていなかったのが原因だろうか。反省している。

根が完全にむき出しにならぬうちに植え直してやれば、生きていくと思う。

その一方で、庭の入り口に植えてあった槙(当地ではヒトツバと呼ぶ)の木は根元から50センチほどの所でぽっきり折れた。
高さ約3m、幹の直径は15、6㎝でこちらは15年は経っていた。よく見ると大きなカマキリが下向きに付いている。何を狙っているのか。

最近、オビダマジャクシとかいう槙(ヒトツバ)に好んで卵を産みつける台湾から移入して来たという蛾の仲間によって弱って来ていたのが、今度の台風の吹き返しの西風で止めを刺された塩梅である。

台風10号は午前10時時過ぎに薩摩半島西部の薩摩川内市の海岸部に上陸したらしいが、5時間後の現在では鹿児島県の内陸には進路をとっておらず、そのまま海岸沿いに北上しているという。

気圧は965ヘクトパスカルと上陸前の935ヘクトパスカルよりかなり小さくなったが、瞬間最大で40mは吹くというから油断はできない。

この頃の台風の特徴として、暴風圏内からは遠く離れた地域にも多量の雨を降らす線状降水帯の発生をもたらすことだ。東北岩手や、北海道でも時間雨量80ミリとか90ミリとかが記録された。

天災大国(災害列島)日本がさらにパワーアップした形だが、地球温暖化によって日本列島が亜熱帯化しつつあることを証明している。

鹿児島県に暴風・波浪・高波の特別警報が発令

2024-08-28 13:13:22 | 災害
台風10号は現在奄美大島の北100キロくらいに進んだが、動きは極めて遅く、今日の夜に鹿児島県本土が暴風域に入るようだ。

先ほど午後1時に気象庁から鹿児島県域に「暴風・波浪・高波特別警報」が出された。これで土砂災害の危険地区ではすみやかな避難所への避難が義務化される。

今夕から暴風域に入る予報だが、台風の中心気圧は935ヘクトパスカル、中心から90キロは瞬間最大70m毎秒の暴風が吹くという予想だ。

瞬間最大70mというのは走行中の車をひっくり返す力があり、トラックでは特に荷台の側面の大きい車ほど危険にさらされる。

今度の台風10号の最低気圧は935ヘクトパスカルだそうだが、実は平成5年(1993年)の9月3日に鹿児島県に上陸した台風13号は上陸直前の気圧が920ミリバールを下回っていた。(※ミリバールは現在ヘクトパスカルで表される。)

その日の昼過ぎに薩摩半島の枕崎から頴娃町(現在の南九州市)にかけての海岸に上陸したあと、薩摩半島を東方向に斜めに横断し、そのあと錦江湾を渡って大隅半島に再上陸し、大隅に大きな被害をもたらした。

後日談だが、当時住んでいた肝属郡田代町の庁舎の屋上に設置されていた風速計は秒速68キロを示したあとは吹き飛ばされてしまったという。

当時借りていた借家の雨戸の戸袋が突然落ちて家の内部に強風が吹き込み、家族4人で隣りの家に避難したが、そこも暴風のために玄関が破られ、這う這うの態で200メートルほど離れた小学校に逃れた。

だがおそらく台風の目が通り過ぎたあとの吹き返しによるものと思われるのだが、小学校の体育館の屋根の一部がめくれ上がり、そこに避難していた多数の住民が校舎の中を移動して職員室前の廊下に集まって来た。

しかし幸いなことに台風の進行が早く、1時間かそこらのうちには過ぎ去って行ったので、大きな被害は免れた。典型的な「風台風」だった。

我々家族は借家に帰ったとて暴雨が吹き抜けたため夜寝るには危険ということで、学校の廊下で一晩を明かしたのだった。

翌日帰ってから見たら家自体の内部はさほどではなかった。しかし屋根瓦の一部が吹き飛んでいたのと、木造の10坪ほどの倉庫がぺしゃんこになっていたのには驚いた。

家族4人、命には別状なく、怪我もなかったのが幸いだった。

ただ停電が1週間続き、電話に至っては2週間も不通だったのには大いに不便を感じた。

どの家も屋根瓦が飛ばされる被害に遭っていて、高いところから眺めると屋根がブルーシートに覆われており「まるで難民キャンプのようだな」と思ったことを思い出す。

もう一つ思い出すのが、この年(1993年)の鹿児島県では梅雨明けがせずに長雨が続き、8月1日の水害と8月6日の水害で甚大な被害を出しており、7月に当地に引っ越す前にたしか義援金の3千円を銀行か郵便局に振り込んでおいたのだが、9月3日の風水害の被災者ということで、町(県?)から同じ3千円を頂いたことだ。

災害義援金を出すことはあっても貰うのは初めてで、「なるほど災害の多いところに来たのだな」というのがその時の感想だった。

それから30年、義援金を貰うような大きな被害に遭ったことはないが、毎年のようにやって来る台風には泣かされることが多かった。

今度の台風が「義援金の対象になるようなクラス」のものでないことを祈るばかりだ。

秋一番!

2024-08-27 13:15:13 | おおすみの風景
気象情報で「春一番」というのがあり、その定義は2月4日前後の立春から春の彼岸(中日は3月20前後)までの間に吹く南寄りの暖かい風のことである。

長く寒くまた暗い冬の陰鬱な天候を吹き払ってくれるような響きのある言葉で、特に雪の多い北日本に住む人にとっては季節の変わり目を肌で感じるうれしい風だろう。

関東でも雪こそ降らないが、空っ風が日に日に寒さを増して時折りはみぞれが降って人々を戸外から家の中へと追いやる。長い冬将軍が2か月ほども居座るから春一番は身体も心も解放してくれる有難い風だ。

暖かいはずの九州地方でも、春一番は大きな話題になる。暖かさに身体が馴れてしまうと、最低気温が5℃くらいでも非常に寒く感じるものだ。

だから春一番が吹き最低気温が10℃を越えようものなら、朝早く庭に出るのに何のためらいもなくなる。


今朝はどうも最低気温が25℃を下回ったらしい。

朝の6時前、日が昇り始めるころに愛犬ウメの散歩に出ることが多いが、今朝は戸外に出てもムッとするような熱気はなく、半袖の腕の熱感覚が明らかに違っていた。

ひんやりしていたのだ。おまけに北寄りの東風がほど良く吹いている。ウメもやや元気そうに見える。うれしそうにも見える。

とある畑の近くを通ったら、昨日耕運したばかりなのだろうほっこりとした畑土が見渡す限り続き、ウメはその畑に何を嗅ぎ取ったのか鼻をひくつかせて動こうとしない。

草むらの中に鼻を突っ込んで嗅ぎまわるのは良くあることだが、広い畑に何を嗅ぎ取ったのか、中に入ろうとするのを慌てて引き留めた。

耕運の前に鋤き込んだ堆肥に交じっている鶏糞か何かの匂いだろうか。ウメにはウメなりの感覚(嗅覚)がある。

私は私なりに秋の到来を今朝の涼しさに感じた。

ようやく熱帯夜と猛暑日に苛まされた長い夏の終わり、そして秋の始まりを今朝の風に感じた。

「秋一番」という気象用語は無いのだが、自分にとってはまさに「秋一番」だ。もし「春一番」の定義にならうとすれば、「立秋から秋分の日までに吹く北寄りの風」となろうか。

ようやく今年の酷熱の長い夏から解放されるようだ。

ただし、残念ながらこの有難い風は台風10号がもたらしたもので、台風一過がどうなるかは分からない。

台風10号の進路予測はかなり南寄りになり、明後日には鹿児島県本土に上陸する可能性も出て来た。

今年の夏の酷暑と少雨を解消するのは台風頼みになる――と自分は見立てていたのだが、どうやら当たりそうだ。

もたつく廃炉(福島第1原発)

2024-08-26 20:09:39 | 災害
2011年3月11日の東日本大震災の津波によって「全電源喪失」となり、核燃料を冷却する術を失った福島原発の原子炉で、核燃料が溶け落ちて冷え固まったままの「デブリ」とよばれる高放射能の物体を取り除く作業が始まった。

デブリの総量は800トンとか言われており、少しずつ取り出すだけで何年もかかり、取り出したデブリをどこへどう処理するのか今のところ決まっていない。

福島第一原発は稼働してちょうど40年目の2011年にストップしたのだが、その間定期検査などで発電しなかった年月を仮に10年とすると、実質的に発電したのは30年。

後、廃炉が完了するまで何年かかるのか。
これまでの原子炉建屋内に多量の水を送って冷やすやり方はいうなら応急措置であり、最終的にはこのデブリを除去することにある。

ところが8月22日の朝から開始されたデブリの試験的な採取(わずか3グラムという)のために外からデブリをつかみ取るためのケーブルを通す5本の「伸縮性パイプ」をつなぎ合わせてやろうとしたところ、何とつなぐべき5本のパイプのつなぐ順番を間違えたことが分かり、作業は中断したという。

考えられないほどの単純ミスで、一体全体作業者はなぜこんなミスを犯したのか首を傾げる他ない。

放射能が無ければこれら5本のパイプを抜き取り、正しい順番につなぎかえればいい話なのだが、何せ原子炉内のデブリに近い所に入ったパイプはすでに放射能で汚染されており、これを除去するのにまた何か月もかかるのだろう。


事故が起きてからもうすでに13年経過しており、今着手したデブリの取り出しに5年、建屋の解体に着手するまでに5年、その他放射性物質の処理に5年という風に長期にわたる廃炉工事期間を考えると、果たして原発はペイするのか、必要なのか、疑問が涌きっぱなしだ。

デブリの処理が最大の難関だが、それ以外にも通常の発電後の放射性廃棄物の問題があり、それの埋蔵仮処分地さえ決まっていないではないか。

火山噴火・地震・風水害と三拍子そろった天災大国である日本では、やはり第2、第3の原発事故の起きる可能性は高い。

今すぐにとは言わないが、少なくとも稼働40年を超えた原発からどんどん廃炉にして行くべきだ。