台風10号は現在奄美大島の北100キロくらいに進んだが、動きは極めて遅く、今日の夜に鹿児島県本土が暴風域に入るようだ。
先ほど午後1時に気象庁から鹿児島県域に「暴風・波浪・高波特別警報」が出された。これで土砂災害の危険地区ではすみやかな避難所への避難が義務化される。
今夕から暴風域に入る予報だが、台風の中心気圧は935ヘクトパスカル、中心から90キロは瞬間最大70m毎秒の暴風が吹くという予想だ。
瞬間最大70mというのは走行中の車をひっくり返す力があり、トラックでは特に荷台の側面の大きい車ほど危険にさらされる。
今度の台風10号の最低気圧は935ヘクトパスカルだそうだが、実は平成5年(1993年)の9月3日に鹿児島県に上陸した台風13号は上陸直前の気圧が920ミリバールを下回っていた。(※ミリバールは現在ヘクトパスカルで表される。)
その日の昼過ぎに薩摩半島の枕崎から頴娃町(現在の南九州市)にかけての海岸に上陸したあと、薩摩半島を東方向に斜めに横断し、そのあと錦江湾を渡って大隅半島に再上陸し、大隅に大きな被害をもたらした。
後日談だが、当時住んでいた肝属郡田代町の庁舎の屋上に設置されていた風速計は秒速68キロを示したあとは吹き飛ばされてしまったという。
当時借りていた借家の雨戸の戸袋が突然落ちて家の内部に強風が吹き込み、家族4人で隣りの家に避難したが、そこも暴風のために玄関が破られ、這う這うの態で200メートルほど離れた小学校に逃れた。
だがおそらく台風の目が通り過ぎたあとの吹き返しによるものと思われるのだが、小学校の体育館の屋根の一部がめくれ上がり、そこに避難していた多数の住民が校舎の中を移動して職員室前の廊下に集まって来た。
しかし幸いなことに台風の進行が早く、1時間かそこらのうちには過ぎ去って行ったので、大きな被害は免れた。典型的な「風台風」だった。
我々家族は借家に帰ったとて暴雨が吹き抜けたため夜寝るには危険ということで、学校の廊下で一晩を明かしたのだった。
翌日帰ってから見たら家自体の内部はさほどではなかった。しかし屋根瓦の一部が吹き飛んでいたのと、木造の10坪ほどの倉庫がぺしゃんこになっていたのには驚いた。
家族4人、命には別状なく、怪我もなかったのが幸いだった。
ただ停電が1週間続き、電話に至っては2週間も不通だったのには大いに不便を感じた。
どの家も屋根瓦が飛ばされる被害に遭っていて、高いところから眺めると屋根がブルーシートに覆われており「まるで難民キャンプのようだな」と思ったことを思い出す。
もう一つ思い出すのが、この年(1993年)の鹿児島県では梅雨明けがせずに長雨が続き、8月1日の水害と8月6日の水害で甚大な被害を出しており、7月に当地に引っ越す前にたしか義援金の3千円を銀行か郵便局に振り込んでおいたのだが、9月3日の風水害の被災者ということで、町(県?)から同じ3千円を頂いたことだ。
災害義援金を出すことはあっても貰うのは初めてで、「なるほど災害の多いところに来たのだな」というのがその時の感想だった。
それから30年、義援金を貰うような大きな被害に遭ったことはないが、毎年のようにやって来る台風には泣かされることが多かった。
今度の台風が「義援金の対象になるようなクラス」のものでないことを祈るばかりだ。