鴨着く島

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上野原遺跡の年代観

2022-05-25 09:54:23 | 古日向の謎
今朝の新聞によると、霧島市(旧国分市)の上野原にある「上野原遺跡」に関して、その年代が約1000年繰り上がった(古くなった)そうだ。

これまでは集落跡も遺構も9500年前とされていたのだが、これらが10500年前のものということになった。

そして日本はもちろん世界でも最も古い「壺型土器」はこれまで7500年前とされていたのが、これらは8500年から8800年前に繰り上がった。そうなると世界で最も古い壺よりも2500年から3000年古い時代に上野原では壺が作られていたことになる。


この二つの壺は同じ場所に対になって縦に埋められていた。口縁が円形なのと正方形なのとの違いがあり、何かの祈りのために並んで埋められたと言われている。また、下部には若干の煤がついており、火にかけられた可能性が高い。8500年前の力強い作りの完形土器であり、これだけでも世界遺産級だ。

べらぼーな話である。

しかし残念ながら、上野原遺跡は7400年前とされる「鬼界カルデラ噴火」による火砕流と火山礫・火山灰によって壊滅したのであった。

この鬼界カルデラからの噴出物による壊滅は、前からそう説明されていたのだが、その実年代が考古学会でも定まらず、6400年前とか7400年前とか遺跡の説明会などで両説が飛び交っていたのだが、ここへ来て7300年前と確定された。

その確定は放射性炭素(C14)が試料中にどのくらい残っているかで判断されるのだが、さらに加速器質量分析装置によって精密に測れるようになり、ここ2,3年の研究により、今回発表の年代観を確定したという。


2年ほど前に上野原縄文の森で貰って来たパンフレットの中の一部。タイトルは「アカホヤ火山灰(約6400年前)以前土器」となっているが、今度からは「(約7300年前)」となる。また左手の二つの角筒形と円筒形のスマートな土器は11000年前に、右手の壺型土器と鉢型土器は8500年前に書き換えられよう。(※アカホヤ火山灰とは、鬼界カルデラ噴出由来の火山灰のことで、「色が赤(オレンジ色)の灰」という意味で、南九州では普通に使われる用語である。)

今さらながら上野原遺跡をトップとする南九州各地の早期縄文遺跡・遺物の古さと稀少性には驚かされる。

県内では縄文早期あるいは草創期の土器が、かなり広い範囲で確認されている。先日このブログで紹介した「ホケノ頭遺跡」(錦江町田代鶴園)の岩本式土器群もそうだし、お隣りの宮崎県三股町でも農道の整備工事中に前平式土器群が多量に見つかっている。いずれも1万年前の土器群である。

縄文時代の土器というと歴史の教科書でまず取り上げられるのが、北陸や中部地方から発掘される「火焔型土器」だろう。土器の口縁が炎のように造形されており、見るからに手の込んだ、したがって芸術的だとされる。

しかしこの火焔型土器の時代は縄文前期から中期(6000年~4000年前)であり、この時代になると世界的には多種多量の土器が発見されており、「火焔型」は確かに珍しく特筆に値するが、年代の古さでは南九州の前平式とか岩本式・吉田式などにははるかに及ばない。

もう10年近く前になるが、東京の国立上野博物館を訪れたことがある。その際、縄文時代の展示コーナーに火焔型土器は置かれていたが、上野原遺跡出土の土器は(前平式も壺型も)展示されていなかったのには首を傾げた。(※国の重要文化財なので展示は無理にしても、レプリカさえなかった。)

一体どういうわけか? 思うに「古過ぎるから」だろう。なにしろ南九州は蛮族「クマソ・ハヤト」の居住地であったから、そんな古い時代に日本(世界)に先駆けて土器など作るはずはない――というのが考古学者の見解なのだろう。

日本国内で最古のものが発掘されても、「もっと古いのがシベリアあたりから発掘されるかもしれない」などとのたもう一流の考古学者もいるくらいだ。

「クマソ・ハヤト」地方に限らず、とにかく日本国内で世界最古の土器が作られるはずはない――という、素人から見ると何とも自虐的な見方をする学者が多いようだ。「物自体に語らせよ」というのが物質科学の基本的なテーゼではなかったのか?

日本考古学会、中国考古学会、ロシア考古学会が何と言おうとも、「今の時点では南九州の縄文早期土器群と壺型土器が世界最古だ。文句あるか!」くらいな気持ちで声を上げないと南九州の超先進的土器群は無視されるだけだ。

上野原縄文の森では来年度までに、上記の年代観を取り入れた展示に模様替えをするというから楽しみだ。

一歩進めて「南九州の1万年前の定住遺構と土器群」を世界文化遺産に登録できないかを考えたい。期待は高まる。

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