鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

はじまりの旅(山辺道)

2022-05-23 15:51:14 | 邪馬台国関連
昨日の日曜日は鹿児島県大隅地方に所在する肝属郡東串良町で、NHKのど自慢があった。

東串良町の町制施行90周年を記念するイベントとして、公民館などの掲示板にポスターが張られたりしていたので楽しみにしていたが、12時20分ごろから始まった番組は、何と二組目が終わると同時に「臨時ニュース」が入り込み、中断してしまった。

その臨時ニュースというのは「福島県沖を震源とする震度5弱の地震の発生」だった。

NHKの渋谷(東京本局)のニューススタジオに画面が切り替わり、すぐに福島放送局からの画像が送られて来た。画面が小刻みに揺れ、やがて少し大きな揺れに代わったが、「震度5弱」だから決して大揺れではなかった。

その後、例によって各地の震度と、福島沖の震源地が×で示された日本地図が表示されたが、「これによる津波の心配は有りませんが、念のため海岸には近寄らないでください」というアナウンサーの言葉に、「ああ、大きな地震ではないんだ。間もなくのど自慢会場に場面が切り替わるだろう」と思っていたのだが、あに計らんや地震のニュースはそのまま続行された。

それでも地震関連のニュースはあと10分くらいなものだろうと高を括ったのだが、何と午後1時時を過ぎても流れ続け、終わってから1時のニュースでも取り上げられ、結局、東串良町でのど自慢大会は最初の二組が放映されただけで終わってしまった。

楽しみにしていた視聴者にとって「幻ののど自慢大会」になってしまったのだが、のど自慢大会が行われている大隅地方で震度5弱とかの地震が発生したのならともかく、こっちにはほとんど影響のない遠隔地の地震である。当地の鹿児島放送局による放映に切り替えられなかったのだろうか。残念至極であった。

そのままNHKを見続けていたら、「はじまりの旅」という15分の小番組を見ることになった。

奈良県大和地方の桜井市から天理市にかけて山沿いに通じている「山の辺の道」が紹介されていた。

番組の起点は桜井市にある「大神神社」であり、そこから山の辺の道を歩き、終点の天理市の「石上神宮」であった。特に興味をひかれたのが石上神宮で行われている「鎮魂行事」で、自分が毎朝唱えている「ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの、たり」というのと一緒であった。

それはそれとしていずれ書く機会があるかもしれないが、大神神社と石上神宮とを結ぶ山の辺の道の中央部に展開するのが「纏向遺跡」で、その遺跡の中心的な大古墳「箸墓古墳」が卑弥呼の墓のごとく説明されていたのには驚く。



「箸墓古墳」はたしかに「史上最大最古の前方後円墳」(全長278メートル)には違いないが、前方後円墳として最古ではない。現に、同じ纏向遺跡に散在する纏向古墳群の中には箸墓古墳より1世紀以上古い前方後円墳が3つもある。

これら小ぶりの前方後円墳(全長100メートル前後)なら卑弥呼の時代に何とか合致するが、そもそも畿内大和に卑弥呼の墓があろうはずもない。

朝鮮半島の魏の植民地である帯方郡から卑弥呼の治める邪馬台国までの行程は「1万(水行)2000里(陸行)」であり、帯方郡から九州島北部の末盧国(唐津市)まですでに水行1万里なのだから、残りは陸行の2000里で、唐津に上陸したら邪馬台国までは徒歩の行程、つまり邪馬台国は九州島内にあるほかないのだ。

「箸墓古墳」は宮内庁の比定では正式名「太市墓」で、埋葬者は書紀の記事からは「倭迹迹日百襲媛」で、第10代崇神天皇の大叔母に当たる。

この人は三輪山にます大物主神と聖婚したとされ、大物主の正体が蛇であったことに驚き、陰部(ほと)を箸で突いて亡くなったとされている。そのため葬られた墓の名が「箸墓」となったという伝承がある(崇神天皇紀10年条)。(※陰部を女陰とする説が一般だが、自分は「喉(のと)」だろうと考えている。)

私は崇神天皇の時代を300年代の初めのころと考えるので、倭迹迹日百襲媛が死んだのは320年の頃であり、そう考えると箸墓古墳もその時代の築造、つまり4世紀前半となる。この年代観が妥当だろう。






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