鴨着く島

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安倍氏の国葬儀

2022-09-27 21:03:01 | 日本の時事風景
今日の午後2時から安倍元首相の国葬儀が日本武道館で行われた。

公式の参列者は、内外合わせて4300人だったという。これは55年前に行われた吉田元首相の6000人を下回った。

九段坂下に設けられた一般市民の参列者のための「献花台」には、早い人で朝の4時頃から並んだ人たちの長蛇の列が続き、予定では10時からの献花が30分早められそうである。

午後2時からの国葬儀では、まず岸田首相に先導された安倍昭惠夫人の持つ遺骨が入場し、中央の祭壇に置かれてから始まった。

行政・立法・司法の各長からの弔辞と献花が始まり、現・元の国会議員及び各国の要人約700名の献花が続いた。

岸田首相が唐突に安倍氏の国葬儀を発表してからは、国内の世論が真っ二つに割れたが、結局「内閣府設置法」による閣議決定が最優先されて今日に至った。

ただ吉田元首相の1967年当時の国葬と違うのは、行政機関以外の弔意、すなわち国・県・市町村の各庁舎に半旗を掲げること以外には何ら国民個人の弔意は求められなかったことだ。

また、来日した各国の要人では、アメリカのハリス副大統領とインドのモディ首相は現職の大物だが、他の国々からはおおむね大統領や首相だった元職が多く、中心は各国の駐日大使たちであった。

岸田首相が国葬にした理由の一つとして安倍氏が世界のトップと親交を深めたのを引き継ぐための「弔問外交」に資するためだったのだが、アメリカのハリス副大統領とはかなり突っ込んだ意見の交換があったにせよ、その他の要人たちとはいわゆる「外交儀礼」の範囲を出なかったようだ。

それはそれでよいのだが、その程度の弔問外交なら何も国葬にせず「内閣と自民党による合同葬儀」レベルでも十分だったように思うのだ。

それに・・・、アメリカのトランプ元大統領への国葬への参列案内状は出したのだろうかと訝る。なぜなら安倍氏が交流した世界の要人の中でも突出して「仲良し」だったのがトランプ氏だったからだ。

トランプタワーへ駆けつけて大統領当選の祝意を世界で最初に伝えたのも安倍氏なら、トランプ氏のフロリダの私邸に招かれてゴルフに打ち興じたのも安倍氏だった。ゴルフ場でトランプ氏と一緒にゴルフカートにニコニコ顔で乗っている安倍氏の写真は、まだ記憶に残っている。

それからプーチンだ。安倍氏はロシアのプーチン大統領とも30回近い会談を重ねており、一時期は「北方領土4島のうち2島をとりあえず返してもらい、平和条約を結ぶ」という譲歩案がまとまるかに思われたのだが、狡猾なプーチンによって「2島を返して平和条約を結んだはいいが、アメリカの基地が2島に置かれては元も子もない」と蹴られている。そして、その後の進展は全くない。

北朝鮮にはまさか出してはいないだろう。何しろ正式な国交がないのだから。この北朝鮮によって仕組まれた日本人拉致の問題も安倍氏の得意とするところかと見え、本人も「私の政権の内に必ず解決します」と言っていたのだが、こちらも進展はない。

得意な外交力で「開かれたインド太平洋構想」を提唱し、アメリカ・オーストラリア・インドとの連携を模索し、「クワッド」(4国条約)締結に漕ぎつけたのは評価できるし、アメリカが提唱したTPP(環太平洋パートナーシップ)をアメリカが離脱したあとにうまくまとめたのも評価できる。

しかし森友学園問題や加計学園問題そして桜を見る会など問題が不透明なままであり、特に森友学園問題では「やましいことがあったのなら総理を辞めるどころか、国会議員も辞めますよ」と国民注視の中で大見得を切ったにもかかわらず、うやむやになり、文書の書き換え騒動でひとりの公務員の自殺者まで出している。

そのうえ7月8日の演説最中の暗殺事件から明らかになった旧世界基督教統一神霊教会(旧統一教会)と政治家の癒着問題解明は長引いているが、この統一協会の傘下の「勝共連合」が組織された1968年の頃に、安倍氏の祖父である岸信介が関係していたことが判明している。孫の安倍氏も旧統一教会のシンパだった可能性が高い。

この事件の当初、私は大和西大寺駅前での演説中に安倍氏を標的にした山上徹という容疑者は「八つ当たり的」に安倍氏を狙ったと思っていたのだが、実は祖父岸信介の時代からの所縁であったことに暗澹とした思いである。

こういったことどもを勘案すると、安倍氏の葬儀は国葬にはふさわしくなく、吉田氏以外の歴代の首相経験者がそうであったように「内閣と自民党との合同葬」レベルがふさわしかったと思う。

岸田首相が国葬を早い段階で決めたのは、安倍氏の死が非業の死(暗殺)によるものであったことと、これに対して各国から外交通で諸外国に知己の多かった安倍氏に対しての弔意が大量に寄せられたからだろう。気持ちは分からないでもないが、勇み足だったという他ない。