鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

まる二日の停電(台風14号襲来)

2022-09-20 20:32:07 | おおすみの風景
今日の午後6時ちょうど、突然、家の中の電気が点いた。丸々二日間の停電がようやく終わったのだ。

台風14号が屋久島近海から北上し、大隅半島にもっとも近くなったと思われる一昨日の午後4時台のごうごうという横殴りの雨風を居間のガラス越しに見ていたら、5時前になって突如停電が始まったのだった。

その日は4時頃になって大相撲を観ようとNHKのチャンネルにしたのだが、ずっと台風関係の報道に終始しており、それはそれで聞きながら、大相撲が始まるのを今か今かと待っているうちに、家の中の電気がすべて消えた。

灯りを探し出してから家の雨戸全部を閉め、早い夕飯を食べてから、CD兼用の携帯ラジオに乾電池を入れ、7時過ぎにはベッドに横になった。

横になりながら聞いていたニュースで、台風は夜7時頃、鹿児島市内に上陸したと言っていたとあり、ちょっと驚いた。もう少し西の南九州市(頴娃町・知覧町)か枕崎市あたりかと思っていたからだ。直接鹿児島市に上陸した台風はこれまで聞いたことがない。

台風の北上する速度は20キロであったから、逆算すると3時間前の最も風の強かった午後4時台は、間違いなく鹿屋市に最接近していたことになる。鹿屋市の瞬間最大風速の発表はなかったが、おそらく時速50mは行っていただろう。

これでも平成5年(1993年)9月の台風13号の60mよりは10m少ない。最大瞬間風速60mというのは屋根の瓦を飛ばす速さだ。60mを経験しなくてよかったと胸をなでおろした。

昨日明るくなってから雨風は小康状態になっていたので、ウメを散歩に連れて出てみたが、わが家にも周辺の家々にも被害はなかった。ただ植木の枝が折れたり、咲いていた花の花弁が吹き飛ばされてはいた。

その程度で済んだことにホッとした。

昨日も一日中停電だったので、ほぼスマホのユーチューブとジオを聞いて過ごした。明るい日中は本でも読めると思っていたのだが、読めるのは新聞くらいで、停電が早く復旧しないかと気もそぞろになっていて、意外とまともに読むことはできなかった。

また就寝が7時という高齢者施設並みの就寝時間だったが、ハンディ型の蛍光灯を傍においてラジオやらCDやらを聞きながら寝入ったが、夜中は3回も目が覚める始末で、そのたびにトイレに入った(※トイレは電気式の流水だが、ハンド型も予備に設置してあり、困ることはなかった)。

そして今朝。何とも涼しい朝だった。

6時に起きるとすぐにウメを連れて散歩に出たが、近所のどの家にも明かりはなく、静まり返っていた。

しかしちょうど東の空から大きな太陽が顔を出すところで、台風を無事にやりすごした有難みを感謝することだった。

快晴になったので、庭に散乱した柿の実や枝葉をかき集めたが、さほどではなく、それでも汗をかいたので近くの温泉に行くことにした。

よく出かける吾平町の温泉に電話するも不通、もう少し遠くの高山温泉に伝はするがやはり不通であった。どうやら我が家のある地区と同じく停電のようだった(※吾平町と高山町は同じ配電線でつながっているようだ)。

さらにもう少し遠くの串良温泉に電話したら営業しているというので行くことにした。13キロ先、車で25分ほどの所だが、背に腹は代えられない。

帰って来て早い晩酌を摂りながら、今日もラジオで大相撲を観戦(聴戦?)したのだが、ラジオの大相撲実況中継をこの3日間聞きながら感心するのは、実況担当アナウンサーの滑舌と解説の大変なことだ。

両力士の動きを逐一言葉に載せる上に、その合間に解説者とのやり取りがあり、終わってからも両力士の取組結果の解説と明日以降の取り組みの見通しなどをすらすらと話すのだ。よほど滑舌よく、また記憶力も必要で、頭の回転も速くないと務まらないだろう。

今日も大関陣が総崩れで、これで3日間続いたのだが、大相撲始まって以来の椿事だそうで、解説者の元小結・舞の海も、実況担当のアナウンサーにそう教えられてさすがに最初の一言が出なかった。舞の海ならずとも唖然とするほかない。