鴨着く島

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1万年前の定住跡(復元)

2022-09-25 22:59:39 | おおすみの風景
少し前になるが、鹿児島と宮崎で共通の縄文時代早期の遺跡群のうち霧島市(旧国分市)上の段にある「上野原遺跡」にかかわる年代観が1000年繰り上がったと発表された。

9月17日から11月23日まで「上野原縄文の森」の展示場で「開館20周年記念企画展・南の縄文文化」というタイトルで記念展が催されているので訪ねてみた。

これまでは南九州を広く覆う「鬼界カルデラ」の大噴火による堆積物(アカホヤ火山灰)は6400年前とされていたのだが、この噴出は7300年前に、また上野原遺跡で発掘された世界に類のないツインの「縄文の壺」は7500年前から8500年前に繰り上げられた。そして平底の貝殻文土器群は10500年前になった。

しかしこういった「遺物」は人の手で動かすことができるので、この世にも珍しい縄文の壺は実はもっと新しい作品で、誰かが縄文時代の地層に故意に埋めた可能性が排除できない。だが、「住居跡」という「遺構」は表土からはるかに深い地層に刻まれているので後世に故意に刻むことは不可能で、そのため住居跡は土器や壺を作った人々がその時代に住んでいた動かぬ証拠である。

上野原遺跡ではかつてはこれら住居跡が50軒ほども見つかっており、また「集石遺構」や「連穴土坑」などの調理施設も住居跡と同じ地層に発見されている。この地層年代は今から10500年前で、この時代の住居跡と人々の生活の痕跡は世界で最も古い。


(縄文の森発行のパンフレットから転写)
上野原遺跡の一角に復元された「竪穴式住居」。高さは4m位で、直径も4m。屋根と壁は萱類を乾燥させた材料で作られ、壁の厚さは40センチほどある。入口から入った内部の三和土(床)は入口より50センチほど低くなっている。言うならば「半地下式」である。このような住居が10500年前に同時に30軒は存在したらしい。当時でいえば大きな集落であった。

このレベルの住居跡を伴う遺跡は世界でも最古かつ最大級であり、同時に作成された薄手平底の土器群とともに世界文化遺産になっておかしくない。

10月22日(土)には、霧島市のシビックセンターで、かつて県の埋蔵文化財センター勤務中にこの上野原遺跡の発掘に直接かかわった人が講演するというので、参加の申し込みをしておいた。

講演者に上野原遺跡を中心とする鹿児島・宮崎における早期縄文時代遺跡群の世界文化遺産登録に関し、その可否を問うてみたいと思っている。