140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

死にいたる病

2012-12-24 16:15:36 | キルケゴール
キルケゴール「死にいたる病」を読んだ。
アマゾンのレビューを見ていると岩波文庫のものはデンマーク語からドイツ語に
訳したものを、さらに日本語に訳しているため、わけがわからなくなっているという。
そこでレビュアーお勧めの、ちくま学芸文庫から出ている古本を買ったのだが、
もともと難解な本らしいので、わからないところが多々あった。

「死にいたる病」とは絶望のことであり、訳注によると、
「神とほんとうの関係を結ぶことを知らない人、それを知ろうと欲しない人、
そういう人々のうちに見いだされる、均衡を失った状態をあらわすものとして、
この『死にいたる病』という表現を用い、この状態を『絶望』と名づけて、
そのさまざまな形態を分析し、そのみじめさを描いて、
人々に覚醒をうながそうとする」ための本らしい。

「死にいたる病」という表題には何か近寄りがたい印象を持ってしまうが
おおざっぱにいうとキリスト教の教化のために書かれたものだと思う。
ここではキリスト教に無関心でいることさえ許されないようであり、
たとえば著者は以下のように書いている。
「キリスト教がきみに宣べ伝えられたということが、
きみがキリストに関して一つの意見をもつべきであることを意味している。
キリスト自身が、言いかえれば、キリストが現にいますということ、
またキリストが現にいましましたということ、それが全人世の運命を決する重大事なのである」・・・
まったく西洋文明とはおせっかいなものだ。私はイワンに代弁してもらうことにする。
それもまた西洋文明ではあるが・・・

そしてまた「罪とは絶望である」と著者は書いている。
「罪の反対は信仰なのである」とも書いている。
まとめてしまうと信仰でないものは罪であり、絶望であり、死にいたる病ということになる。
罪の文化とはよく言ったものだ・・・

しかし・・・冒頭に書かれていることが、なんというか、素晴らしい。
「人間は精神である。しかし精神とは何であるか?精神とは自己である。
しかし、自己とは何であるか?
自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。
あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係すること、そのことである」
この文章によって導かれた結果については、機会を改めて書こうと思う。
<心>と<自己>と<関係>が同じものであるというそのことについて
深い洞察力でキルケゴールは見抜いていたのだと思う。

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