140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

女のいない男たち

2015-11-28 00:05:53 | 村上春樹
【ドライブ・マイ・カー】
主人公は妻が自分以外の男と寝ていたことに傷つき、妻が病気で亡くなった後も延々と引きずり続けている。自分に何が欠けていたのかと彼はずっと思い悩んでいる。緑内障の徴候が見つかった彼の車を運転することになったドライバーの女の子に彼はそのことを話す。
「奥さんはその人に、心なんて惹かれていなかったんじゃないですか」
「だから寝たんです」と彼女は言う。
「そういうのって、病のようなものなんです。家福さん。考えてどうなるものでもありません」とそういうことであるらしい。
そういうものなのか?
「女のいない男たち」というのは「最愛の女性を失った男たち」のことらしい。その最愛の女性と理解し合うことさえできないという悲しさが、その言葉にはつきまとっている。
北海道の十二滝町という地名が出てくるが「羊をめぐる冒険」と関係はないようだ。まえがきによると実際の地名について苦情があったそうだから、この「地名」に変更されたのかもしれない。そして「ドライブ・マイ・カー」というタイトルもビートルズと関係はないようだ。

【イエスタデイ】
ビートルズの『イエスタデイ』の関西弁の歌詞(別に対訳でもない)が載っていたが、ビートルズ・サイドから「示唆的要望」を受けたということなので、この本に収められている関西弁は以下に縮められたということだ。

昨日は/あしたのおとといで
おとといのあしたや

しかし情報を伏せるのが困難な時代であり、ちょっとググってっみると以下のようなものが見つかった。もともと掲載されていたものと同じかは、わからない。

ーーー(引用開始)ーーー
昨日は
あしたのおとといで
おとといのあしたや
それはまあ
しゃあないよなあ

昨日は
あさってのさきおとといで
さきおとといのあさってや
それはまあ
しょあないよなあ

あの子はどこかに
消えてしもた
さきおとといのあさってには
ちゃんとおったのにな

昨日は
しあさっての四日前で
四日前のしあさってや
それはまあ
しょあないよなあ
ーーー(引用終了)ーーー

「あの子はどこかに消えてしもた」の部分が、かろうじて"Why she had to go?"にあたるのではないかと思ったが、それ以外はまったくデタラメというか、ただの遊びであって、ビートルズ・サイドが何を神経質になっているのかわからない。関西弁については「イエスタデイ」以外にも以下の言及がある。
「その証拠に、たとえばサリンジャーの『フラニーとズーイ』の関西語訳なんて出てないでしょう?」
「出てたらおれは買うで」と木樽は言った。
私も欲しい。ついでに「ライ麦畑でつかまえて」の関西語訳もお願いしたい。

「もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたかとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか、そういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな」

「もしも自分が、ほんまにこの話を聞いてみたいんやったら、おれが生まれたとことか、みみっちい幼年時代がどんなんやったとか、生まれる前におとんとおかんは何してたんかとか、そんな《デーヴィッド・カパーフィールド》式のしょうもないことを聞いてみたいかもしれへんけど、そんなことは言いたくないねん」

たぶん、サリンジャー・サイドから苦情は来ない。

【独立器官】
「すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている、というのが渡会の個人的意見だった」ということだが、彼自身が「最愛の女性」にこっぴどくやられてしまい、その独立器官の犠牲となる。そのような盲目的な恋に彼を仕向けたものもまた「独立器官」なのだという。
意のままにならないとか、意識しなくても独立して機能を果たすという意味では、独立器官はたくさんある。肺も心臓も胃も腸も私たちの意のままにはならない。それらの器官はひとつの身体を維持するために統合的に働いている。嘘をつくとか、恋をするというのは、身体的なことと精神的なものの中間にあって、制御できるようでいて制御できない。そのことで私たちは苦しむ。意のままにならないものを意のままになると思っているので苦しむ。「ノルウェイの森」にしても意のままにならない身体が不幸のはじまりだった。

【シェエラザード】
タイトルは毎夜不思議な物語を語ることで命をつないだ「千夜一夜物語」の王妃シェエラザードを指している。その王妃と同じように毎回不思議な話をしてくれる女性を「シェエラザード」と主人公は呼んでいる。私はリムスキー・コルサコフの素敵な音楽のことを思い出す。
「現実の中に組み込まれていながら、それでいて現実を無効化してくれる特殊な時間、それが女たちの提供してくれるものだった。そしてシェエラザードは彼にそれをふんだんに、それこそ無尽蔵に与えてくれた。そのことが、またいつかそれを失わなくてはならないであろうことが、彼をおそらくは他の何よりも、哀しい気持ちにさせた」
それほど熱烈に女を愛しているというわけではないが、女を失うことの意味を主人公はそのように解釈している。「現実の中に組み込まれる」というのと「現実を無効化する」というのはどういうことなのだろうか?
前者は気がついた時には世界に投げ出されていて、生き延びるためには世界に参加しなくてはならない人間の姿のようであり、後者はその世界で疎外される運命でしかない人間を救済するための手段であるような気がする。前者は生き延びることであり、後者は生きることだろう。生き延びることと生きることは微妙に違う。

【木野】
「おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。本物の傷みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくはなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。蛇たちはその場所を手に入れ、冷ややかに脈打つそれらの心臓をそこに隠そうとしている。
『ここは僕ばかりではなく、きっと誰にとっても居心地の良い場所だったのでしょう』とカミタは言った。
彼の言おうとしていたことが、木野にも今ようやく理解できた」
確か「虚ろな人間」が「ねじまき鳥クロニクル」に出てきて主人公を助けていた。傷つくべきときに傷つかなかった人間がそうなのだろうか?
そこは「誰にとっても居心地の良い場所」ということだが、記憶や心を失くした「世界の終り」のような場所なのだろうか?

【女のいない男たち】
「女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ」
「どちらにせよ、あなたはそのようにして女のいない男たちになる。あっという間のことだ」
「女のいない男たち」にならないためには、女を愛さないか、女より先に死んでしまうか、どちらかしかなさそうだ。女を愛さない人生にあまり意味はなさそうだし、死んでしまったらすべては失われる。生きている限り「女のいない男たち」になることは避けられないのかもしれない。
かつて愛したという記憶が埋ずみ火のように残っていて、そこからささやかな暖を取って生き延びている。そういうことは失ったことに気付こうとしない「虚ろな人間」のすることなのだろう。「女のいない男たち」になるのか「虚ろな人間」になるのか、どちらかを選択しなければならない。

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