140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

ドレの神曲

2014-07-05 00:54:50 | 神曲
蛇について次のような記述があった。
「暗くなると蛇が毎日現れて、あたりを窺うのです。そしてスキがあれば闇に乗じて、
亡霊たちの集うこの谷間に入り込もうとするのです。天使はそれを防ぐために
毎日ああして谷を見回り、蛇を退けてくれるのです。」
「蛇はどこから来るのですか。」恐る恐る私は尋ねた。
「それがわかれば苦労はない。ただ心して蛇を避ければ良い・・・・・・。」

その蛇は「エバをそそのかしたあの蛇」ということである。
蛇がどこから来るのかわからないのだとしたら「無意識から来る」のだろう。
キリスト教では悪とされている蛇は意識に忍び込もうとするある種の関心であり
それなくしては知識とか社会とか文明などは生じなかっただろう。
人間の精神段階を発展させて来たであろう無意識つまり新たな可能性は
確立された権威や教義にとっては不要のものであり
天使という超自我はその侵入を見張っている。

神曲自体の広さも深さも省かれているので文章はあまりおもしろくない。
絵を見るための本と割り切った方が良さそうだ。
永井豪はドレの描いた絵の何点かをそのまま漫画に持ってきていることがわかった。
それだけ影響が大きかったのだろう。小さい子供がこんなものを見るもんじゃない・・・

解説に「冥界の全体像を、つぶさに、そして克明に描ききったのはダンテが最初であり、
そしてそれはその後の人々が地獄や天国に対して想い描くイメージの原像となった」
「そしてその幻想を視覚化し、それを人々の眼に見事に、具体的な場面として
焼き付けたのがギュスターヴ・ドレである」と書いてあった。

視覚化された挿絵とダンテの原像には大きな隔たりがあると思う。
少なくとも私にとってはそうだ。そして「原像」がどんなふうであるかは説明しにくい。
それは主観的な像であるように思える。ドレが客観化したものは一つの解釈なのだと思う。
集英社の本にはブレイクの挿絵が入っていたがユリゼンとかなんとかいう
中途半端な思想が入った絵で見ていて不快だった。
そういうのに比べたらドレの方が好きだ。

「智は光」「愛は光」「光は全て!」
そんなふうなことが書いてあったが、妙に意識化された「智」と「愛」という感じがする。
やはり権威にとっては制御不可能な無意識は抑圧されるべきなのだろう。
しかしなんでまた私たちはこんな面倒なものを備えているのだろう?
消化や呼吸も脳が制御しているのだと思うが無意識とは関係がなさそうだ。
内に閉じた制御に関しては意識には現れないし指示を待っていたら窒息してしまう。
7つの罪で語られるような外への関心は生体内での化学物質の分泌などに誘発され
意識に上って来るのだろう。
そのせいで私たちは地獄に落とされたり煉獄で浄財に励まなくてはならない。
本当にめんどくさい。

「氷地獄コキュートス」
「神に謀反を企てたその最たる罪人が凍りつく氷地獄コキュートス」
「地獄の最下層」
そこで凍り付いているのは神に背いたルチフェルとキリストを売ったユダ
家康に敗れた三成の首が晒されている風景と
そう違いはないと思う。

フレイザーが語るように呪術から宗教が発展して来たのだとしたら
宗教の母もまた無意識なのだろう。
その子供は成長すると厳格な父性的性格を持ち
母に反逆する。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。