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140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

押井守の勝敗論

2010-05-16 06:54:57 | 映画
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宮崎やキャメロンのような興行収入を更新する監督は、勝ち続けなければならない宿命に
ある。勝ち続けることは不可能で、いわばその構造を作り出してしまったのが不幸であり、
負けである。逆に、興行的に当たらなくても映画を撮り続けていられる監督――ゴダール、
北野武、押井守などが、不敗の構造を持つ「勝ち」側の監督なのである、と押井氏は語る。
勝ち負けは世間の評価ではなく、自分の中だけの価値基準だということをこの本は教えて
くれる。
押井守の勝敗論第2弾
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政治は知名度を利用した人気投票、経済では「勝ち組」「負け組」、そして格差社会
希望もなく緩慢な死に向かって進むだけの閉塞感に満ちた世の中
そんな世間に合わせる必要はないのだろうが
自分の中の価値基準は彼らには伝わらない。
そして私は分裂する。
「生活のために仕事をする私」と「今、この文章を書いている私」
仕事に専念すれば悩みも少なくて済むのだろうが、それでは面白みがない。

私には極めて偏った美意識がある。
人は様々な方向に偏るものだと思うが、仕事が忙しくて「偏れない人」が増えていると思う。
そんなふうになってしまうと年収だけが物差しの世界になってしまう。
そうなると「モモ」の出番かな?

格付け会社が何を企んでいるのかわからないが
3段階引き下げとかで一瞬にして世界が不安定になる。
自分たちが作り上げたルールで自分たちの首を絞めている。
そうなると押井監督といえども「不敗」を貫くことは困難だろう。
どうしたらいいかは誰にもわからない・・・

えっとそれで「エヴァ特需」ですか?
私にはよくわかりませんが、それでよろしいんじゃないですか・・・
「エヴァ」でも「ミク」でも「寧々さん」でも楽しめればいいと思う。
「バッハ」でも「ドストエフスキー」でもOK!
人生なんて最後は必ず敗北するものだ。
私たちは不可避な死に向かって不可逆な人生を歩んでいる。
そういう自覚があるとないのとでは生き方がちょっと違ってくる。

アバター

2010-05-08 05:38:47 | 映画
やっとレンタルで見た。
2Dで見てもおもしろいので、3Dで見たらすごいのだろうなと思った。
しかし日本人の私たちの視点からすると既に馴染みのある風景が含まれている。
キャメロン監督は宮崎駿作品のファンであり、「もののけ姫」にオマージュを捧げた
シーンがあると公言しているそうだ。確かに似ている点がある。
私は「自然と共存」とか「腐海が大地を浄化していると訴える説教臭いナウシカ」とか
「地球にとって人類は害」といった思想には辟易しているので
「もののけ姫」を見ても「ふーん」としか思わないが
偉い監督さん同士は合い通じるものがあるのだろう。
一方、WASP(White Anglo-Saxon Protestant)にとってはおもしろくない視点が含まれていると思う。
なんといっても先住民の土地を侵略し、自分たちが支配するようになったのがアメリカ人だ。
そしてこの映画では白人は侵略者であり、さらには侵略に失敗して退却するという、
ベトナム戦争並みに惨めな姿が描かれ、主人公は上官の命令に背く元海兵隊員なのだ。
そういうわけで第82回アカデミー賞でアバターが獲得したのは
「視覚効果賞」、「撮影賞」、「美術賞」にとどまったのだろう。
さらに次にキャメロン監督が映画化に動いた広島・長崎の原爆体験記が出版中止になるなどの
妨害工作がなされているのだと思う。
アメリカってわかりやすい・・・

監督・ばんざい!

2010-03-21 06:48:29 | 映画
本作品以前に北野監督が撮った映画は12本
・その男、凶暴につき
・3-4x10月
・あの夏、一番静かな海。
・ソナチネ
・みんな~やってるか!
・キッズ・リターン
・HANA-BI
・菊次郎の夏
・BROTHER
・DOLLS
・座頭市
・TAKESHIS'

興行的に成功したのは1本らしい。
興行的に成功するつもりで撮っているとも思えないが・・・
本作品は映画の可能性についての思索・試行・破壊のようなものだろうか?
途中までナレーションの説明がありわかりやすいが、それが消失した途端に迷子になる。
主張もないし結論もない。基本はお笑いだが、ただ終わるのを呆然と見ているしかない。
新生するための破壊であるようなことを語っている。
今の映画はひどいということも語っている。

最新作「アキレスと亀」以外は全部見たことになる。
「意味のない不可避な暴力」はあまり好きではないので
この中で気に入っている作品は以下の二つ。
・あの夏、一番静かな海。
・DOLLS
台詞の少ないところが好き。
人が死ぬのは嫌い。

みんな~やってるか!

2010-03-21 06:47:22 | 映画
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ビートたけし監督による日本映画。1995年2月11日公開。
それまでは「北野武」名義で映画監督を行ってきたが、
本作は初の「ビートたけし」名義での製作となった。
そのため「ビートたけし第一回監督作品」と銘打たれる。
「北野武」名義も含めた場合は5作目に当たる。
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お笑いです。撮っている方が楽しそうです。
真剣になるとふざけたく気性は普遍のものなのでしょう。
彼はそうやって微妙な平衡をとって生き続ける宿命にあるのでしょう。

TAKESHIS'

2010-03-14 13:12:37 | 映画
脈絡を欠いた映像の羅列
理解されることを望まない映像
反復される台詞、反復される光景、反復される銃撃戦
変奏される台詞、変奏される光景、変奏される銃撃戦
観る者を置き去りにする映像
キャンセルされた因果関係
始まりも無く終りも無い映像の羅列

Dolls

2010-03-14 09:57:00 | 映画
彼らは紐でつながったまま黙々と歩き続ける。
彼らが手にするはずだった幸福は彼が捨て去ってしまった。
そして語り合う言葉も失くしてしまった。
そして目的もなく目標も無く歩き続ける。
人生は不可逆に出来ている。
失ったものを再び手にすることはできない。
彼にはそれがわかっているようだ。
だから彼は彼女といっしょに歩き続けることしかできない。
死が彼らに安息をもたらすこともない。
そんな姿を見ていると不毛という言葉が浮かんでくる。
そしておそらくは私の人生も不毛なのだ。
私もまた目的もなく目標もなく日々を過ごしているのだ。
彼らと同じように黙々と歩いているだけなのだ。

その男、凶暴につき

2010-03-13 07:58:54 | 映画
1989年8月12日公開の日本映画。北野武の映画初監督作。松竹富士配給。
善もなく悪もなく徹底的に暴力を撮り、それを発表することの意味はどこにあるのだろうか?
あるいは復讐、あるいは本能、あるいは別の解決方法が見あたらないために殺す。
殺して殺して殺しまくる。出て来る奴らは気違いばかり・・・
それをフランス人は「自然体と自由さ」と呼んでいるのだろうか?
映画の進行とともに言葉は減り、暴力描写が激しさを増す。
この作品が発表された当時は賛辞一色であったという。
そして今は「北野映画の原点として重要視されている」という。
否定しようとすればするほど纏わりついてくる暴力は
やはり自分の中に組み込まれているものなのだろう。

菊次郎の夏

2010-03-13 07:57:41 | 映画
1999年公開の北野武監督作品。第52回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式参加作品。
人が死なないという点で優れていると思うが
急に上品になられても、どういう反応をすれば良いか困ってしまうというのが正直な感想。
情動の安っぽさを知りつくしているためか深く働きかけようともせず
平凡で片付けられてしまう程度の人と人の結びつきを映している。
「そんな結びつきはどこにでもある、ありふれたものでいいでしょう?」ということを
伝えたいのだろうかと思った。

3-4x10月

2010-03-07 05:37:09 | 映画
ビートたけしが「北野武」名義で監督した2作目の日本映画である。
1990年9月15日全国松竹系ほかで公開。
沖縄と暴力を映している。
行動の合目的性だとか理由というものが一切なく見る者を困惑させるが
ラストシーンは予想した通りだった。
なぜなら他に終りようがない展開だったからだ。
いや、展開と呼べるものすら作ろうとはしていない。
始めてしまったものに終りが必要だっただけ。
この映画から私が見出した唯一のことは暴力は潜在的に誰もが有しているということだ。
誰もがというよりは全ての男というべきか。
男性は暴力の資質を持ってこの世に生まれてくる。
それは否定できない事実だろう。

ソナチネ

2010-03-06 11:55:35 | 映画
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ビートたけしが「北野武」名義で監督した4作目の日本映画。1993年6月5日全国松竹系ほかで公開。
以後の『HANA-BI』にはメロドラマとしての要素が、
また『BROTHER』にはエンターテインメントとしての要素が盛り込まれていることに比して、
静謐で狂気的なムードが全編を支配する純正のバイオレンス映画として、
北野映画に「バイオレンス」を追究するファンに高く評価されている。
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バイオレンスを追求しても仕方がないと思うけど・・・
作品の中に並べられているのは死だけ。他の要素がほとんどないことは確か。
沖縄特有の色彩と死を対比することも、HANA-BIのように生と死を対比させることもない。
あらゆる形で不意に訪れる死の連続が「静謐で狂気なムード」を作り出している。
そう、気付かないうちに「狂気」に巻き込まれてしまっていたのだ。
それは主人公と主人公を取り巻く人々に訪れたものであったが
いつ誰が狂気に巻き込まれるのかを私たちは知らない・・・