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140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

おおかみこどもの雨と雪(ネタバレ編)

2012-08-16 00:05:05 | 映画
【注意】これから映画を観ようという人は読まないでください。
くだらないことをつらつらと書いていこうと思いますが
たぶん思いっきりネタに触れると思います。

①雨と雪
雨と雪がこどもの名前とは知りませんでした。
雪というのはアリとして、雨って名前は聞いたことがありません。
それとお姉さんが雪なので「雪と雨」にしないのはどうして?
語りが雪だから?わかりません。

②狼と人間
狼と人間のどちらを選べばよいかを考えているようでしたといった感じのセリフがあって
この時すでに両方が人間を選ぶということはないのだと
私たちは知らされているようなものです。
そして両方が狼という場合はストーリーが成立しなくなります。
語りが雪であるだけに狼として生きて行くのは雨ということになります。
幼い時は雪の方が狼っぽかったわけですが
次第に雨が狼としての生き方を選んで行くわけでして
弱々しい男の子が立派な狼へと・・・
そして一方ではガサツな女の子が多感な少女へと変貌して行きます。
ここで狼か人間かという選択肢は明示的なものですが
それはきっと観ている人に対しても人生における、あるいは生き方についての、
選択が大切だと伝えたいということなのでしょう。
しかしいったい私は何を選択したのだろうかと自問してしまうのですが
このようなダラダラした文章を書くのも一つの選択ではなかろうかと
自分を慰めるより他にすることがない?

③育児
おおかみこどもが部屋を散らかしてくれたりするわけですが
これも人間のこどもの姿を「おおかみこども」というテーマに載せて
私たちに再確認させているのだと思います。
そしてスクリーンの中に育児をしていた自分たちと幼かった頃の子どもたちの姿を
見つけることで私たちは物語の中に主体的にとりこまれて行くわけです。
そういうわけで客観的に見ようとしても感情移入してしまう。

④自然
雨と雪が美しい自然の中を駆け回るのですが
彼らの視点で躍動感ある描写をしたり実写よりもリアルな風景を出現させています。
そういうのってけっこう普通のことだと思ったりしますが
意外と誰もやっていないのではないでしょうか?
ここには「もののけ姫」の森とは違った美しさがあるのではないかと・・・
そういえばキャメロン監督もオマージュを捧げたのだっけ。

⑤お父さん
おおかみおとこのお父さんがあっけなく死んでしまいます。
清掃車に放り投げられて惨いです。
それにしても彼は何を学びに大学に出入りしていたのか気になります。
こっそりと図書館に入って、うれしそうにページをめくっていました。
本好きなおおかみおとこの知り合いがほしい!

⑥その後
雨は狼として生きて行くので子どもに恵まれる可能性は少ないと思います。
雪は人として生きて行くので子どもに恵まれるのだろうかと考えました。
そうするとその子は「おおかみこどもこども」になるわけで
狼の血はどんどん薄くなり、変身できるのはどこまで?
というくだらないことを考えてしまうのでした。
おしまい。

おおかみこどもの雨と雪

2012-08-14 22:20:06 | 映画
予想通り、泣かされた。
「サマーウォーズ」のような娯楽性を排除している。
この人は二度とサマーウォーズのような作品を作る気がないのだと思った。
たとえば、ポケモンでも、「バトルしようぜ」といった格闘モノから逃れられない。
そのくせ、愛や正義や希望や勇気や友情などを語る。
私は主人(ポケモンマスター?)の命令をいつも忠実に聞いて格闘を繰り広げる
ポケモンたちが可哀想でならない。

「日本よ、これが映画だ」というキャッチコピーに不快感を覚えている人も多いと思う。
その上から目線はいったい何なのかと?
そして暴力がないとストーリーを作ることができない人々は
結局のところ映画を観る人々をバカにしているのだと思う。
「おまえたちが感動する映画というのは、こういうものだろう?」と
強大な敵と打ち克つべき試練と大逆転のラストシーンを用意してあげたのだ。
さあ感動しろ!!!!!

サマーウォーズは悪役のいないということで一部で批判されている。
確かに、AIが悪役であり、最後はAIを作った開発者も味方に加わり、
みんなで人格のない悪役を倒して感動するというのは甘っちょろい。
もっとギラギラした敵を、憎悪の塊りのようなエイリアン(侵略者)を倒すべきなのだ。
そういう意味では、最後は息子を助けるアナキン・スカイウォーカー
(つまりはダース・ベイダー)も敵役としては甘いのだ。
そして「時をかける少女」に悪役は出てこない。
「ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島」は・・・よくわからないです。
それで私は思うのだけれど、「どうしても悪役は必要なの?」

「おおかみこども―」の緩急のテンポと細やかな感情描写も
刺激を求める人々には不要なものかもしれない。
美しい雪景色や駆け回る子どもたちの姿も平々凡々たるものかもしれない。
そのような「普通の話」が終わって、映画の最後に曲が流れて、
すぐに劇場を出ようとする人はひとりもいなかった。
映画に限らず、およそ作品というものは、伝えないことがないのなら、
何の価値もないだろう。

私にとって良い作品とそうでない作品を区別する方法はただひとつだけある。
もう一度、読みたいと思う本
もう一度、聴きたいと思う音楽
もう一度、観たいと思う映画
それだけです。

メリダとおそろしの森

2012-07-29 16:33:39 | 映画
ネタバレ注意でお願いします。
(これから観るという人は読まないでください)

母親が魔法で熊にされてしまうのだが
ギリシャ神話のカリストーのことを思い出した。
北斗七星が尻尾の部分にあたる、おおぐま座として夜空をめぐっている。
恋多き大神ゼウスとの間に子をもうけたが
嫉妬した女神ヘーラーにより熊の姿に変えられてしまったという。
ああ、ギリシャ神話っていつもそんな感じ・・・

ある日のこと、一人の若者が狩りをしていて熊になったカリストーを見つける。
その若者こそ、カリストーの子、アルカスだった。
立派に成長した我が子を抱きしめようとするカリストーの姿は
アルカスにとっては襲い掛かってくる熊にしか見えない。
いまにも槍で彼女を突き刺そうとするアルカス・・・

この恐ろしい状況を見たゼウスは、二人をさらって、
おおぐま座とこぐま座にしてやったという。
「はじめから全部、アンタが悪いのでは?」と私は言いたい。

こぐま座の尻尾の先はポラリス(北極星)だ。
近くにあるおおぐま座とともに天の北極を周回し海に沈むことがない。
それは恋敵が星座にされたことに怒りを覚えたヘーラーが
大洋の神であるテーテュースとその夫のオーケアノスに
彼らが海に下りて休息することを禁じるよう嘆願したからだという。
「アンタもしつこいな」と私は言いたい。

それで今まで書いたことは映画のネタには、あまり関係ないかもしれない。
一致点は母親が熊になるということだけだ。
しかも無責任なゼウスと違って最後は元の姿に戻る。
予想されたラストシーンではあるが
つい涙ぐんでしまう。

実は3D映画って初めてだが、3Dであることを意識するのは始めの方だけだった。
3Dが普及しない理由がなんとなく察せられる。
2時間程度なら良いが普段からメガネをかけて見たいと人は思わないだろう。

自由は責任を伴うとか
運命を他人任せにしてはいけないといった教訓は含まれてはいるが
この映画の主題は母と娘の絆であると思う。
ちなみに「おそろしの森」ということだが
森はちっともおそろしくなかった。

ブラック・スワン

2012-04-15 00:08:28 | 映画
「ブラック・スワン」という映画を観た。
「ブラック・スワン」とは「白鳥の湖」に出てくる「黒鳥」のことだ。
一世を風靡した経済についての本のことではない。 
主人公の精神が崩壊していく様子が描かれている。
心理描写ではなくて映像で表現しているところが馴染めない。
それで今は「白鳥の湖」を聴いている。
これはチャイコフスキーの傑作なので全曲演奏を何回も聴いている。
よく考えてみたらバレエそのものを観たことが一度もない。
私にとって「白鳥の湖」は聴くものだったのだ。
この映画を観て映像にも少しだけ興味を持った。
「白鳥の湖」を観る機会は来るだろうか?
よくわからない。

十三人の刺客

2012-04-15 00:05:05 | 映画
「十三人の刺客」という映画を観た。
タイトルからして「七人の侍」を連想してしまうが邪推だろうか?
なんか内容も似てると思うのだが・・・
観る者を飽きさせないという点では優れているのだろう。
しかしたった一人の「お命を頂戴する」ために
なんて多くの命が無駄に散っていくことだろう。
「剣の道」とか「死に場所を求める侍」ってそんなに良いものだろうか?
登場人物の一人に「侍だからって偉そうにするな」と語らせていたが
それは私のような人のことを配慮してくれているのかもしれない。
主君の命と家臣の命が平等ではない時代
侍の命と百姓の命が平等ではない時代
しかしよく考えてみると命が平等なんてことがあるだろうか?
それに戦時には命の値段はとても安いが平時には一人の命は地球よりも重いなどと言う。
70億人を突破した世界人口ってどれだけ重いのだろう?
まったく想像もできない。

SPACE BATTLESHIP ヤマト

2011-08-26 00:20:34 | 映画
「SPACE BATTLESHIP ヤマト」を見た。
スタートレックよりはマシかもしれないが
シャアの出てこないガンダム
力石の出てこないあしたのジョーのような物足りなさを感じる。
あるいは木村拓哉の木村拓哉による木村拓哉のための映画というべきか?
アニメーションに比べてかなり劣化している。
コスモゼロも出来損ないのガウォークみたいで超カッコ悪い。
松本零士さんの泣いている声が聞こえる。
薄っぺらな敵キャラはインデペンデンス・デイのパクリか?
ハリウッドに汚染されているような映画の仕上がりに関して
西崎義展さんと宮川泰さんが天国で泣いている声が聞こえる。
地球(古代進)―ガミラス(デスラー)―イスカンダル(スターシア)の描く三角形が
アニメ版の魅力だと思うが実写版では実現不可能だったということで受け止めておこう。
きっとデスラーやスターシアを演じきれる俳優がいないのだろう。
しかしよくこれだけの大根を揃えたものだ。
そして美術も音楽も演出もアニメ版には遠く及ばない。
興行的に成功すればOKなのか?

要約すると
a science-fiction film
of Takuya Kimura,
by Takuya Kimura,
for Takuya Kimura
ということです。

「武士の一分」の木村拓哉は良かったけどな・・・
監督(山崎貴さん)が○○○○だからだろうか?
それで「いつか撮ってみたい映画」が原作版「風の谷のナウシカ」だって
率直に言って「ヤマト」をこんなふうにしてしまう人に
「ナウシカ」の心理描写はムリだと思う。

デビルマン

2011-06-30 00:00:22 | 映画
「デビルマン(実写映画)」を見た。
これはひどいと思ってWikipediaを見たら各方面から酷評されていることがわかった。
北野武は「酔っ払って見たらこれ以上のものはない」と述べたそうだ。
「制作費10億に対して興行収入は5億と興行的にも大失敗に終わった」という。
そして監督を務めた那須博之さんは翌年に急逝している。
ありとあらゆる意味で救いようがない映画だ。
実写版のキャシャーンもひどかったが
どっちがマシだろう?

しかし「デビルマン」は原作者の永井豪が最もこだわっている作品だと思う。
悪魔が人間よりも残酷ということではなく
放っておくと勝手に魔女狩りを始めてしまう人間はそれ自身で十分残酷な存在だろう。
悪魔も天使も所詮は人間が作り出したものであり
人間には両者の性質が含まれている。

しかし最近では悪魔も天使も見あたらない。
金儲けや保身しか考えていない姑息で矮小化した人間が増えている。
これを何と呼べば良いのだろう?小悪魔か?
そんなキュートなものではないな・・・

神と悪魔、善と悪のような二元論では語れない時代を迎えている。
善人もいなければ巨悪もない。
しかし国家は財政難で労働者間の所得格差は大きくなる一方で
事故を起こした原発が放射性物質を撒き散らしている。
誰が悪いとは言わないが誰も悪くないわけはあるまい。

「デビルマンレディー」の最終話では
ミカエル率いる神の軍団とサタン率いるデーモン軍団との決戦を予感させている。
「デビルマン」はまだ完結していないのだろう。
神とサタンのどちらが勝つかはわからない。
正義という言葉は無意味となっている。
勝った方が正義なのだ。

借りぐらしのアリエッティ

2011-06-24 00:48:23 | 映画
「借りぐらしのアリエッティ」を観た。
「狩り」ではなく「借り」をして生活している小人の物語
感動を売り物にしていない点で
良い映画だと思う。

しかしこの映画は何を伝えたかったのだろうか?
生きようとする意思?
友情?

アリエッティは真摯に生きようとする。
そして小人が少なくなってきたという説明は
真摯に生きようとする人が減ってきたのではないかという
メッセージなのかもしれない。

デスノート

2011-06-17 00:02:12 | 映画
デスノート(後編)を観た。
前編を見てから数年放置して今頃みていたりする。
「飽きさせない」という点でよく出来ていると思う。
この話の主題である「凶悪事件の犯罪者を殺害しても良いか?」は
古くからあるテーマだ。

法治国家では被害者の親族から復讐する権利を取り上げ
法に基づいた懲罰を加害者に科すことになっているが
それが妥当であるか判断がつかない場合もある。

二人以上殺したら死刑で一人なら無期懲役というケースが既定路線の
国もあるし死刑そのものを認めない国もある。
そういう国は「死刑」がそもそも「殺人」であると人道的なことを言う。
果たして身内に被害者が出た場合にも人道的でいられるだろうか?

法の代わりに刑を執行する「キラ」が語る正義は安っぽく聞こえる。
しかし彼の行為は凶悪犯罪への抑止力にもなっている。
私たちが死刑制度を残すのも「抑止力」がなくなるのが恐ろしいからだろう。
「何をしても死刑にならないとわかっていたら何をしでかすかわからない」
そう考える私たちの頭の中は「キラ」と同じかもしれない。

しかし彼自身が正義と思っている行為は犯罪にすぎない。
それゆえ裁きを逃れることはできない。
多くの人間が関わる捜査や裁判ですら冤罪を起こしてしまうのに
唯一の人間だけが善悪を判断して刑を執行することなど
許されるはずがない。

そしてもう一つのテーマは
「あなたがデスノートの所有者になったとしたらどうしますか?」と
いうところにあると思う。
残酷な心は誰にでも潜んでいるのではないかと
一冊のノートは告発する。

白痴

2011-06-09 00:01:35 | 映画
黒澤監督「白痴」を観た。原作はドストエフスキー

黒澤監督がロシア文学を読み耽っていたのは中学生時代らしい。
普通の中学生に「白痴」が読みこなせるとは思わないが
特別な人は違うのだろう。

原作は19世紀のぺテルブルクが舞台となっているが
本作では昭和20年代の札幌に置き換えられている。
それでも興行的に成功したかは疑わしい。

愛と憎悪を描くという点で原作の映像化に成功していると思うが
映像にした時点で主人公の魅力は半減してしまっているような気がする。
ドストエフスキーが創造した人物は読者の想像力によって
より理想的な人物になるが映像は観客から想像力を奪ってしまう。
文学好きな人であれば映像化によって失われた点を補いながら観賞できると思うが
そうでない人は見ない方が良いだろう。

ドストエフスキーが「白痴」で描いたのは「限りなく美しい人」だった。
彼がどのような人を美しいと考えていたかを知るには
原作を読んだ方が良いと思う。