
鎌倉駅から歩いてほんの数分。
比企ヶ谷というところがあります。
これは幼稚園。
こんな幼稚園に通いたかったかも・・・

妙本寺。
日蓮宗のお寺です。
全国の日蓮宗寺院のなかでは身延山久遠寺、池上本門寺とならんで最古の寺だそうです。日蓮の像(非公開)は日蓮が生きていたときに作られたとか?

いつもは素通りしてしまう案内を何気に見ると、
”小林秀雄の「中原中也との思い出」”に、
「妙本寺境内に、海棠の名木があった」とあります。
そういえば、今は海棠の季節。
でも、このお寺で海棠の花はまだ見たことがない。
中原中也というと、独特の音と世界観の詩で
結構好きだったのを思い出しました。
詩集も持ってます。
最愛の子供を亡くし、失意の中、
自身も病に倒れ亡くなったという
寂しくなるような生い立ちが
詩の情感と重なってちょっと感傷的になります。
そっか!
中也って山口の人だけど、鎌倉にいたことがあったんだ・・・。
告別式は鎌倉の寿福寺だったそうです。
知らなかったなぁ・・・

おぉ~!!!
すごい!
5メートルくらいはあるでしょうか。
海棠の木が大きい物で3本。
そのうち本堂に向かって左の2本が7分咲きで見事です。
人もいっぱい来てました。
一眼レフ持ってくれば良かった~!!
もう4時過ぎだし、桜ももうそろそろ盛り過ぎたしと
思って油断した・・

海棠って、ピンクが濃くて蕾はさくらんぼのように下がってますね。

右の木はこれからですよ。
よっしゃ!

日蓮さん。
この妙本寺がある比企ヶ谷は、かつて比企一族の屋敷があった地域です。
比企能員は源氏の重臣であり、比企の尼は頼朝の乳母でした(頼朝が伊豆に
流刑になった際、よく助けたそう)。
能員の娘、若狭局は2代将軍頼家の嫡子一幡を生みました。
比企氏の勢力拡大を恐れた北条氏によって、
比企一族は滅ぼされ、その弔いのために妙本寺が
この地に建てられたのだとか。
一幡も5歳くらいで北条氏が攻めてきたときに
火に包まれて亡くなったそうです。
お墓があるのですが、幼い頃に亡くなったことが
分かるので、かわいそうに思います。
ここに来ると必ず手を合わせます。

山門を内側から見た写真。
桜がはらはらと舞っていました。

枝垂れ桜もありますが、もうだいぶ散っています。

楓ですかね?
よく見ると、小さな花が・・・

椿もまだまだ見頃。
なんてくっきりした色合いでしょう。

スミレも。
シャガももう咲き始めています。
見頃はもう2週間くらい先でしょうか。
日蓮さんは銅像だから大丈夫なんでしたっけ?
ふと思いましたが、開祖の方々はお坊さんなんでやっぱりみんな坊主頭ですね(笑)。
親鸞聖人もツルツル頭ですしね。(って、くだらんコメントすいません(爆))
桜、もう葉桜になってますね!やっぱ早いなぁ・・・。
ありますねぇ(本堂内とかのは)。
この日蓮さんのように外にある像はだめっていうのは
見たことないです。
坊主、一回やってみたくないですか?(ナイですね・・)