初めて観水型を生けました。
権助ハゼ(夏ハゼ)、百合、山シダ、アスター。
花器はまどか。
主枝の選択をほめていただきました♪
はぜは矯められるそうですが、
ちょうど良い形の枝だったので、そのまま使用しました。
山シダをどう入れたらいいのかな?と思いました。
先生に伺ったところ、基本として自然に(葉裏を見せたりしない)
とのこと。
上級のクラスでは葉裏を見せたりしますが、
私の級ではまず基本を大事にすること。
アスターは小菊のように扱います。
って、小菊もあんまり生けたことないので
これまた先生に伺い、この量で良いとのこと。
あんまりガザガザといっぱい入れません。
はぜは5本使っています。
主枝や副枝以外に、中間高、中間枝です。
5本使うことで、他の花材との一体感を出します。
中間の百合は、普通中間高の枝より後ろに花が来るように
するそうですが、私のは逆になっています。
間違いではないとのこと。
盛花、楽しいです。
小さな自然を見ているようです。
昨日、夜会社で残業してると
同僚が事務処理でうまくいかないと困っていました。
教えてと言われたのですが
私もやったことのない処理だったので
そばにいた先輩に質問すると、
ヒントはくれたのですが、
ぜんぶは見てもらえず、なかなかうまくいきませんでした。
知ってるなら教えてくれればいいのに!
って、ちょっと不満に思いながら
他に数人集まって試行錯誤。
後で本人が来て、うまくいったよとのこと。
良かった良かった。
で、自分の席にいると、さっきの先輩が通りかかって
「○○、さっきはごめんな。
ちょっとテンパってて・・」
「!」
また、やっちゃった!!
近頃、私は自分の自己中心的な態度を改めようと
毎日、自分本位にならないよう今日を過ごすこと!
と目標をかかげております。
のに、先輩のこの一言を聞くまで、
また自分本位になっちゃってたよ。。
自分を中心に考えれば、
「なんで手伝ってくれないの?みんな困ってるのに!」
となります。
そのとき、「先輩は忙しいんだ」とか「先輩も何か困ってるんだ」
って知るのは難しいけど、
やり方を教えてくれなかったとき、
「先輩には先輩の事情があるかもしれない」と
気持ちを切り替えて自分で努力したり、
他の人にも声かけて、先輩のことを恨まない
ってことはできなきゃいけなかった。
まだまだ修行が足りんな・・
なんの修行?って、
仏教の法話みたいので、こういう話を聞いたことがあって。
「修行中の僧がたくさんいる前で、
ある禅僧が「雨漏りしてるのでなんとかしろ!」だかなんだか
指示したとき、みんな水を受ける器などを探し回った。
1人だけ、すぐさまザルを差し出した。
禅僧はこの僧を大層ほめた。」
他には、
「飼い主のない子猫を寺で育てようとしていた修行僧達に、
ある禅僧が、難題を出す(詳細は忘れちった)。
修行僧達がひるんでいると、禅僧は猫を切り殺した。
遅れてやってきたある僧が、その出来事を聞き、
その場で草履を頭に乗せ、立ち去った。
禅僧は「この者なら、猫を助けることができたのに」と言った。」
なんのこっちゃ?
最初に聞いたときはそう思いました。
ザルで水は受けれないし、
頭に草履って意味不明。。
でも、ここにはある重要な真理が語られているのです。。
以前、私に悟られずに気遣いをしていた人の話をしたことが
あったと思います。
あれと一緒なんじゃないかと。
やさしくしよう、気遣いをしようと思って
やさしくしたり、気遣いするのは
本当のやさしさではないんでしょう。
本当にやさしい、気遣いのできる人というのは、
計算したり、状況を読んだりしないのです。
相手に感謝されようとも思ってない。
相手によって態度を変えたり、
状況によってやさしかったりやさしくなかったり。
そういう計算や、後になってこうすれば良かったと考えるのは、
後知恵です。
とっさにザルを差し出した。
頭に草履を置いて立ち去った。
仏教では、瞬時に行動できることが大事なことらしいです。
必要なときにすぐ行動できなければ、
どんな知恵も役立たずです。
この世の人々を救済するのに、いちいち計算なんかしてたら
助けることはできないから?
私はこの世の人々を救いたいなんて思ってないし、
仏教信者でもなく、
ただ、ある出来事から自己中な自分をふがいないと思い、
常に自分本位でものを見たりしない自分になりたいと思い、
そのためには自分でも意識しなくなるくらい、
自分本位でない行動や考えが常にできるようにしたいなと。
それで、毎朝目標を・・・ネ。
でも難しいです。
自分でよしっ!って思えるのって、1週間で2日くらいです。
これが毎日になる日はいつ来るのか・・・