俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

8月15日(木)

2024-08-15 09:45:42 | 日記
曇り、のち晴れ

すじ雲の刷かれて空は敗戦日   正子
銀翼の雲に入りゆく盆の空    正子
  ガザ攻撃
台風の画面につづき血と瓦礫   正子


●台風7号が明日関東地方に接近しそうだ。図書館の本の返却日が明日になっているので、万一の場合を考えて今日返却に行った。またヘッセを延長して借りた。

ヘッセの小説は評価が高いが、詩はリルケなどに比べると評価が分かれている。ドイツ詩集に入れられてない場合もある。だけれども、ヘッセの詩の内容に、共感するものがある。多分、ヨーロッパの詩を鑑賞する態度ではないかもしれないのだ。ヘッセのSchuwalzwaldを刷りだして読むと、ちゃんと韻を踏んでいるが、こうも私に馴染むというのは、ヨーロッパの詩人の詩と違っているのかもしれない。

●幼子の話(一)
3日前だったか、JAへ野菜を買いに行った。帰りの電車で、私の座る向かいの、車椅子や乳母車用のスペースに若い家族が乳母車を止めた。乳母車の赤ん坊が私の顔を見るのだ。私が手を小さく振ると表情は変えないが、じっと見てくる。それで私は、パーにした左手の指を親指から順番に折り、次に小指から順番にすばやく立てる、なんということない指遊びをした。赤ん坊は表情を変えないでうんうんと顔を上下する。父親が気付いて私の方を振り向いて笑った。「かわいいね、いくつ?」と聞くと電車のゴトゴトいう騒音のなかで、赤ん坊はぐっと力強く腕を突き出して、親指と人差し指で2歳だと示した。降りる間際だったので、小さく手を振って、数の示し方はアメリカ人みたいだと思いながら降りた。電車の騒音で聞き取りにくい私の「いくつ?」の問いを聞き取り、ちゃんと答えたのだ。2歳ですでに他人とコミニュケーションがとれているのは驚きでもあった。

●幼子の話ふたつ(二)
電車で2歳の男の子と小さな関わりをもって、わが息子の2歳のころを思い出した。父親の真似をしたがる時期。息子と父親がふたり横になって、片肘を立て、手に頭を載せて寝転がり、同じ格好でテレビを見ていた。父親が置いてある飲み物をひょいと取って飲んだ。それを真似て息子も横になったまま飲み物をとって飲んだ。息子は頭から顔に、バシャッと飲み物を浴びてしまった。胸元で起こった事態にあわてたのは父親。息子は起きた事態に何が何だかの顔。夕食を作る手に、そこらにあるタオルをもって走った。

2歳の息子が父親を真似たがるものの一つに新聞を読むことがあった。父親が新聞を広げて毎日読む。息子も真似て新聞を広げるが、字が読めるわけではない。当時購読していた夕刊には、月の満ち欠けの絵や、満潮干潮の時刻が載っていた。月の絵ならわかるだろうと、私は「これがきょう出るお月さんだよ」と教えた。それからは、月の満ち欠けの絵が気に入ったか見ていた。ある日、「きょうは、おつきさんがふたつでるよ」とうれしそうに言ってきた。「?」の私だ。新聞をもってきて見せてくれた。月の絵がふたつあった。ああ、「ある日」は土曜日だった。つまり、日曜日は夕刊が休みなので、土曜日の今夜と、日曜日の明日の月の絵がふたつ載っていた。いまだに思い出す。
コメント
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