俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

8月7日(水)立秋

2024-08-07 10:29:57 | 日記
晴れ、のち曇り
黄昏の雲の内なる稲光    正子
配達の荷にどっかりと梨袋  正子
立秋の坂ながながと大学沿い 正子

●夕べの雨と雷が嘘のように今朝は、秋めいた朝の空だった。今日は立秋。きのう親戚の訃報を聞いて、お盆が近いことに改めて気づいた。お盆の支度をしなくては。去年は新盆だったので落ち着かなかったが、ことしは静かにお盆が迎えられる。日吉の仏具店で精霊棚の真菰、蓮の葉、牛馬などを揃えた。

●『ヘッセ詩集』(高橋健二訳)を読んでいる。有名な詩には、ドイツ語の原詩があるが、原詩がないものにも、訳の後にドイツ語の原題が書かれている。これは素晴らしい考えと思う。もとの詩に当たりやすいこともあるが、私はもうひとつの価値を見た。

「村の夕べ」の原題は「Dorfabend」。「村」は日本の「むら」、「Dorf」はドイツの「むら」で、おなじ「むら」ながら言葉が喚起する「むら」のイメージは全く違うものになる。だから、「Dorfabend」を目にしたとき、すぐにも「Dorf」に行ってみたいと思ったのだ。ヘッセへの共感は、ヘッセの話す言葉を辿ることから始まるのだろうと思った。
ヘッセの詩集『ロマン的な歌』のなかの「シュッワルツワルトSchuwalzwald)」を読んで、はやもクリスマスカードのことが思い浮かんだ。この詩は意味がやさしいし、モミの木もあるし、クリスマスのカードに素敵なのじゃないかと。(ヘッセはシュワルツワルトの北の玄関口のカルフで生まれている。)

 シュワルツワルト(高橋健二訳)

なんとも言えず美しくつながる丘、
暗い山、明るい草地、
赤い岩、トビ色の谷が、
モミの影にほのかにおおわれている!

その上で、塔の鐘の
つつましい響きが
モミのあらしのざわめきにまじると、
私はいつまでも耳を澄ましていることができる。

そうすると、夜、暖炉のそばで
読んだ伝説のように、
ここを家としていたころの記憶が
私をとらえる。

あのころは、遠いかなたがもっと気高く、柔らかく、
モミの林に飾られた山々が
もっと幸福に、もっと豊かに、
少年だった私の目の中で輝いた。

この第4連に私は自分の子ども時代を重ねた。朝夕に、中国地方の老年期の松におおわれた山の向うに深い空を見、山の向うに彩られた街を想像した。たしかに、「遠いかなたがもっと気高く」、「松の木に飾られた山がもっと幸福に」見えていた。
Copilotに尋ねて、この詩の原詩を教えてもらった。


Schwalzwald 
         Hermann Hesse

Seltsam schöne Hügelfluchten,
Dunkle Berge, helle Matten,
Rote Felsen, braune Schluchten,
Überflort von Tannenschatten!

Wenn darüber eines Turmes
Frommes Läuten mit dem Rauschen
Sich vermischt des Tannensturmes,
Kann ich lange Stunden lauschen.

Dann ergreift wie eine Sage
Nächtlich am Kamin gelesen
Das Gedächtnis mich der Tage,
Da ich hier zu Haus gewesen.

Da die Fernen edler, weicher,
Da die tannenforstbekränzten
Berge seliger und reicher
Mir im Knabenauge glänzten.

第4スタンザの最後の行は、ドイツ語をよく知らない私にも、感銘深く受け取れれて、胸にジンときた。樅の木のTannen(baum)の響きが懐かしく聞こえる。驚いたのは韻が踏んである。





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