★水浴びの水にかがやく春の椋鳥(むく) 正子
椋鳥の水浴びの動く輝く様子がみえてきます。春が来て活発になってきました。 (祝恵子)
○今日の俳句
春鳥の飛び去り棒の揺れるのみ/祝恵子
たとえば、畑に突っ立っている棒に、鳥が飛んで来て止まり、辺りを見たり、鳴いたりして、飛び去る。飛び去るときのはずみで棒が揺れる。春になると特に小さな生き物がいきいきと動き始める。春らしい景色。(高橋正子)
○丘を走るバス
三月の終わりの三十一日。港北区日吉本町から下田町にかけてある「松の川緑道」を信之先生が案内してくれるというので出かける。この緑道は、以前は「松の川」という清流であったが、その川を埋めてしまって、今は川なりに細い道となっている。道にあるマンホールの蓋に「あめ」などと書いているが、川の名残りであろうか。ボランティアの人たちがここを緑道として護っているようである。今日歩いたところは、緑道とは程遠い抜け道のようなところ。別なところは(句美子の話では)せせらぎが流れ、金魚もいたりするようだ。今日はそこを通らなかった。
日吉本町三丁目のわが家を出て、氏神の駒林神社前の住宅の並ぶ坂道を上り、日吉本町二丁目の丘に出る。その丘を下り、慶応大学の日吉下田学生寮に出る。丘から石段を少し降りて行く。石段の手前にメルヘンティクな家がある。家も手作りのようだ。柱の木も枝が残っている。「piano lesson」と表札にある。薪を焚いているようで、薪を積んであり、それにも可愛い屋根がつけてある。ブルーグレーを基調とした家はどんな子どもが住んでいるんだろう。石段を降るあたりは、慶大の合同練習場で、野球の練習など大きな声が終始聞こえる。しばらく歩くと「松の川緑道」と緑の案内札の掛かったところがあった。
川の流れの通りの細い道がある。取り立てて植物もない。ほどなくゆくと、ベンチがあったので、持参のコーヒーを飲む。買い物袋を提げた人が時々通る。道が終わるあたり山吹が早くも咲きはじめている。桜も咲き始めている。左手の丘に大きなマンションが建ち並ぶ。UR住宅機構、公団のマンションで、サンヴァリエ日吉。日吉本町六丁目の丘の続きがここ下田町のサンヴァリエである。サンバリエを下るとすぐ下田小学校があり、突き当たりの道路向こうにコンビニのミニストップがある。ミニストップにソフトクリーの旗。地震や原発事故で、アイスクリームの存在などは忘れていたが、ソフトクリームの旗を見て、買うことを即決。二つ買って店の広場の椅子で小休憩。信之先生は、ソフトクリームを持ってどこか道を探しに行った。
「東山田行」のバスに乗ろうとして停留所を探すがない。スーパーらしい店の前を通り、喫茶店を通り、下田郵便局を過ぎて、高田町に出る。町の商店街らしきところの四つ角にガラクタと積み上げた骨董屋があり、引き取った骨董を磨いている夫婦があって、道を尋ねる。信之先生が、「山本記念病院はどちらへ行けばよいのか」と聞くと、真っ直ぐ行って四つ角に当たるから、そこを左に折れて、坂を上って右に行けばバス停があるという。その通りに歩くが、だんだん訝しくなってきた。坂を上るあたりは、丘となって丘は、広い畑となっている。丘の上の遠くに、二本の大きな桜の木があり、よく咲いているようだ。遠景だがよい景色なので写真を撮る。「あの桜を見よう。」というと、「そこまで行く元気がない。」と信之先生が皮肉っていう。しかし、畑の坂を上ると、「高田五丁目」のバス停があった。やはり、桜のところまで来なければならなかった。行き先は、「高田町」とある。「おかしい、地元の人は案外いい加減だから。」とそこのバス停で待つことを懐疑する。バスの運行時刻表を見ると、一時間に二本くらいしかバスが走っていない。次のバスまで四十分近くある。さて、どうするか。畑の傍のはこべや、諸葛菜などを写真に撮る。いなりずしと、細まきずしを持って来ていたので、畑の斜面の風の当たらないところで、ビニールシートをひろげてお弁当を開く。見渡す限りの畑には、今、なにも植わっていない。ジャガイモが玉葱が植えられるのだろうと思うが、全く人影さえもない。畑の斜面は風が当たらなくて暖かい。弁当を食べているうちにすぐに時間が経って、バスの出発まであと四分となった。先にバス停に行った信之先生が、ひとり現われた老婦人に、「山本記念病院に行くバスはここから出ますか。」と聞いている。「そうですよ。一時間に二本しかないバスだから。」山本記念病院経由で東山田へ行こうとしているのだ。まもなく、「高田町行」のバスが日吉駅の方から上って来た。このバスは、全く丘の上を走っている。バスに乗ろうとする人は、丘の下のほうにある家家から坂を上って来るのだ。遠くに桃の花が咲いている。辛夷の花が二本、真っ白になって立っている。桜らしい花も遠くに見える。県立団地も丘から離れてある。どこか迂回するような道だが山本記念病院に着いた。バス停の看板に「高田町(山本記念病院)
」とある。山本記念病院が終点の「高田町」であった。バスはそこに留まったまま、運転手もバスから降りた。記念病院の庭の花の写真を撮る。花にら、ムスカリと黄水仙、菜の花など。山本記念病院から地下鉄グリーンラインの「東山田」駅に歩いてゆき、そこから電車で帰る予定である。記念病院を後にして歩き始めた。町内会の地図看板を見たり、手元の地図を見たりして、高田西五丁目の丘の住宅地を降りる。途中からは港北区ではなく、都筑区東山田となっている。住宅地を行くうち行き止まり表示あって、その先は急な石段がある。すぐそこに第三京浜国道が見えるので、ともかく石段を降りる。途中、崖の菫の花を撮る。降りると、国道であって、「下根」というバス停がある。降りたところを振りあおぐと、今来たところは、「危険崩落地区」の看板がある。恐ろしい。国道沿いに小鳥屋があって「うす雪鳩」という風流な名の鳥の番がいた。うすいグレーの羽に雪がはらはらと降りかかったような白い班がある。バスに乗ろうと時刻表を見るが、あと、一時間ほどはバスが来ない。信之先生が、早淵川に出て東山田に行くという。早淵川は鶴見川の支流で前に歩いた。川には何もいないと見えたが、水の色とよく似た、あるいは石の色とよく似た鴨が二十羽ほどしきりに水苔を食べているようであった。川石かと思うと動くので、鴨とわかる次第。白鷺が一羽。鴨の仕草などを見て川から離れ、東山田の駅に着いた。地下鉄グリーンラインで、東山田、高田、日吉本町と帰る。駅のエスかレーターは、福島第一原発の事故で節電のため、どこもストップ。若いスーツの男性が鞄を提げて、とんとんと拍子をつけて階段を降りてゆく。
こんなところに丘があって、畑が広がって、桃や辛夷が咲いている。丘を走るバスは、初夏にはどんな景色を見せるだろう。城ヶ島を訪ねたとき、三浦半島の丘の鯉幟がそよぐキャベツ畑に魅了されたが、ここの丘も
すばらしい。
桃の花まだ咲き残り丘ゆくバス 正子
丘の上総身白き花辛夷
丘の上遠く桜が咲いている
はこべらの花を撮りつつバスを待つ
三月の終わりの畑の丘をなす
山吹の花にかかれる日照り雨
日照り雨ゆすらの花にきらきらと
辛夷咲く小学校はさびしすぎ
◇生活する花たち「しでこぶし・山吹・桜」(横浜市港北区下田町)
椋鳥の水浴びの動く輝く様子がみえてきます。春が来て活発になってきました。 (祝恵子)
○今日の俳句
春鳥の飛び去り棒の揺れるのみ/祝恵子
たとえば、畑に突っ立っている棒に、鳥が飛んで来て止まり、辺りを見たり、鳴いたりして、飛び去る。飛び去るときのはずみで棒が揺れる。春になると特に小さな生き物がいきいきと動き始める。春らしい景色。(高橋正子)
○丘を走るバス
三月の終わりの三十一日。港北区日吉本町から下田町にかけてある「松の川緑道」を信之先生が案内してくれるというので出かける。この緑道は、以前は「松の川」という清流であったが、その川を埋めてしまって、今は川なりに細い道となっている。道にあるマンホールの蓋に「あめ」などと書いているが、川の名残りであろうか。ボランティアの人たちがここを緑道として護っているようである。今日歩いたところは、緑道とは程遠い抜け道のようなところ。別なところは(句美子の話では)せせらぎが流れ、金魚もいたりするようだ。今日はそこを通らなかった。
日吉本町三丁目のわが家を出て、氏神の駒林神社前の住宅の並ぶ坂道を上り、日吉本町二丁目の丘に出る。その丘を下り、慶応大学の日吉下田学生寮に出る。丘から石段を少し降りて行く。石段の手前にメルヘンティクな家がある。家も手作りのようだ。柱の木も枝が残っている。「piano lesson」と表札にある。薪を焚いているようで、薪を積んであり、それにも可愛い屋根がつけてある。ブルーグレーを基調とした家はどんな子どもが住んでいるんだろう。石段を降るあたりは、慶大の合同練習場で、野球の練習など大きな声が終始聞こえる。しばらく歩くと「松の川緑道」と緑の案内札の掛かったところがあった。
川の流れの通りの細い道がある。取り立てて植物もない。ほどなくゆくと、ベンチがあったので、持参のコーヒーを飲む。買い物袋を提げた人が時々通る。道が終わるあたり山吹が早くも咲きはじめている。桜も咲き始めている。左手の丘に大きなマンションが建ち並ぶ。UR住宅機構、公団のマンションで、サンヴァリエ日吉。日吉本町六丁目の丘の続きがここ下田町のサンヴァリエである。サンバリエを下るとすぐ下田小学校があり、突き当たりの道路向こうにコンビニのミニストップがある。ミニストップにソフトクリーの旗。地震や原発事故で、アイスクリームの存在などは忘れていたが、ソフトクリームの旗を見て、買うことを即決。二つ買って店の広場の椅子で小休憩。信之先生は、ソフトクリームを持ってどこか道を探しに行った。
「東山田行」のバスに乗ろうとして停留所を探すがない。スーパーらしい店の前を通り、喫茶店を通り、下田郵便局を過ぎて、高田町に出る。町の商店街らしきところの四つ角にガラクタと積み上げた骨董屋があり、引き取った骨董を磨いている夫婦があって、道を尋ねる。信之先生が、「山本記念病院はどちらへ行けばよいのか」と聞くと、真っ直ぐ行って四つ角に当たるから、そこを左に折れて、坂を上って右に行けばバス停があるという。その通りに歩くが、だんだん訝しくなってきた。坂を上るあたりは、丘となって丘は、広い畑となっている。丘の上の遠くに、二本の大きな桜の木があり、よく咲いているようだ。遠景だがよい景色なので写真を撮る。「あの桜を見よう。」というと、「そこまで行く元気がない。」と信之先生が皮肉っていう。しかし、畑の坂を上ると、「高田五丁目」のバス停があった。やはり、桜のところまで来なければならなかった。行き先は、「高田町」とある。「おかしい、地元の人は案外いい加減だから。」とそこのバス停で待つことを懐疑する。バスの運行時刻表を見ると、一時間に二本くらいしかバスが走っていない。次のバスまで四十分近くある。さて、どうするか。畑の傍のはこべや、諸葛菜などを写真に撮る。いなりずしと、細まきずしを持って来ていたので、畑の斜面の風の当たらないところで、ビニールシートをひろげてお弁当を開く。見渡す限りの畑には、今、なにも植わっていない。ジャガイモが玉葱が植えられるのだろうと思うが、全く人影さえもない。畑の斜面は風が当たらなくて暖かい。弁当を食べているうちにすぐに時間が経って、バスの出発まであと四分となった。先にバス停に行った信之先生が、ひとり現われた老婦人に、「山本記念病院に行くバスはここから出ますか。」と聞いている。「そうですよ。一時間に二本しかないバスだから。」山本記念病院経由で東山田へ行こうとしているのだ。まもなく、「高田町行」のバスが日吉駅の方から上って来た。このバスは、全く丘の上を走っている。バスに乗ろうとする人は、丘の下のほうにある家家から坂を上って来るのだ。遠くに桃の花が咲いている。辛夷の花が二本、真っ白になって立っている。桜らしい花も遠くに見える。県立団地も丘から離れてある。どこか迂回するような道だが山本記念病院に着いた。バス停の看板に「高田町(山本記念病院)
」とある。山本記念病院が終点の「高田町」であった。バスはそこに留まったまま、運転手もバスから降りた。記念病院の庭の花の写真を撮る。花にら、ムスカリと黄水仙、菜の花など。山本記念病院から地下鉄グリーンラインの「東山田」駅に歩いてゆき、そこから電車で帰る予定である。記念病院を後にして歩き始めた。町内会の地図看板を見たり、手元の地図を見たりして、高田西五丁目の丘の住宅地を降りる。途中からは港北区ではなく、都筑区東山田となっている。住宅地を行くうち行き止まり表示あって、その先は急な石段がある。すぐそこに第三京浜国道が見えるので、ともかく石段を降りる。途中、崖の菫の花を撮る。降りると、国道であって、「下根」というバス停がある。降りたところを振りあおぐと、今来たところは、「危険崩落地区」の看板がある。恐ろしい。国道沿いに小鳥屋があって「うす雪鳩」という風流な名の鳥の番がいた。うすいグレーの羽に雪がはらはらと降りかかったような白い班がある。バスに乗ろうと時刻表を見るが、あと、一時間ほどはバスが来ない。信之先生が、早淵川に出て東山田に行くという。早淵川は鶴見川の支流で前に歩いた。川には何もいないと見えたが、水の色とよく似た、あるいは石の色とよく似た鴨が二十羽ほどしきりに水苔を食べているようであった。川石かと思うと動くので、鴨とわかる次第。白鷺が一羽。鴨の仕草などを見て川から離れ、東山田の駅に着いた。地下鉄グリーンラインで、東山田、高田、日吉本町と帰る。駅のエスかレーターは、福島第一原発の事故で節電のため、どこもストップ。若いスーツの男性が鞄を提げて、とんとんと拍子をつけて階段を降りてゆく。
こんなところに丘があって、畑が広がって、桃や辛夷が咲いている。丘を走るバスは、初夏にはどんな景色を見せるだろう。城ヶ島を訪ねたとき、三浦半島の丘の鯉幟がそよぐキャベツ畑に魅了されたが、ここの丘も
すばらしい。
桃の花まだ咲き残り丘ゆくバス 正子
丘の上総身白き花辛夷
丘の上遠く桜が咲いている
はこべらの花を撮りつつバスを待つ
三月の終わりの畑の丘をなす
山吹の花にかかれる日照り雨
日照り雨ゆすらの花にきらきらと
辛夷咲く小学校はさびしすぎ
◇生活する花たち「しでこぶし・山吹・桜」(横浜市港北区下田町)