曇りときどき晴れ
名月の空のうす雲やわらかに 正子
月見団子月見饅頭みな丸く 正子
水切りの菊花の茎を思い切り 正子
●中秋の名月が見られるか、どうか。朝より、曇ったり、晴れたり。結局見れなかった。
●亜蘇さんから葉書きをいただくが、「諸行無常」の言葉もあった。ようやく住所がわかる。
●昼前、角川へ「全国結社マップ 南関東」の原稿をメールで送付。締め切りは10月13日。
●角川8月号 「夏隣」(髙橋正子)への句評。
①「俳句10月号」に連載の「合評鼎談」に「俳句8月号」の拙句「夏隣」の合評(鼎談)が掲載される。堀本裕樹、津高里永子、奥坂まやの三氏。七句のうち四句が話題に。鑑賞は、堀本氏と奥坂氏の二人。
以下に引用。
髙橋正子(花冠)「夏隣」
堀本 同ページに掲載のエッセイや俳句を一読すると、最近旦那さまを亡くされたことが分かります。一句一句からそのお気持ちが伝わりました。
生ききって一遍ほどに夏痩せす
時宗の開祖であり、踊り念仏を広め遊行した宗教者の一遍上人。一遍は各地を回ったわけですが、旦那さまも<生ききって>、ご自分の命を最後まで全うされたと。<夏痩せす>がとても切ない。<一遍ほどに>の比喩が旦那さまの
生を愛情をもって称えています。
奥坂 命を燃焼され尽くして亡くなられた。それが<一遍ほどに>で伝わりました。<一遍ほどに>が<生ききっ>たことと<夏痩せす>の両方にかかってきます。
堀本 ふさふさと芍薬ゆらぎ棺の上に
棺の上にはいろんな花を置くと思いますが、ふさふさと揺れるような<芍薬>が置かれた。芍薬の様子と棺の静けさが切々と伝わります。旦那さまは芍薬の花が好きだったのかもしれません。
衣更えて夫かろやかに旅立てり
悲しいけれど<かろやかに旅立てり>と詠まれた。髙橋さんの送り出す気持ちに救われます。俳句には亡き人の魂と同時に、送る人の気持ちを鎮魂する力があるのだなと、改めて思いました。
奥坂 夏未明命を閉づる息ひとつ
「最後の息」というのはよく詠まれていますが、<命を閉づる>ものなのだと、これまで存分に生ききってこられたのだと分かります。亡くなったけれど、また新しい世界に開かれていく魂を感じます。
(お礼:堀本さま、奥坂さまには、真摯なご鑑賞をいただき、ありがとうございました。なりよりの励ましになりました。髙橋正子 9月28日)
②「氷室10月号」(尾池和夫主宰・京都宇治市)の現代俳句鑑賞(211)に角川俳句8月号クローズアップに載った正子の句を余米重則氏が鑑賞してくださった。以下引用
<生ききって一遍ほどに夏痩せす
「俳句八月号」髙橋正子(花冠代表)
「生ききって」という言葉はとても強く重い言葉である。天寿を全うしたということではなく、「生きるという強い意志」を最後まで貫かれた状態が強く伝わってくる。
一遍上人の如く痩せられたということは、おそらく病気と闘いながらの最期であったのではなかろうか。介護の方のある種の満足感も伝わってくる。
(余米重則)
(お礼:余米重則様には温かい句評をいただき、ありがとうございました。なによりの励ましになりました。 髙橋正子 9月28日)
③「山繭10月号」(宮田正和主宰・三重・伊賀)を贈呈いただく。
現代俳句鑑賞
松村正之
衣更えて夫かろやかに旅立てり 髙橋正子
(俳句8月号「夏隣」より(花冠))
作者のご夫君は四月に風邪を引かれ、五月半ば過ぎには亡くなられたという。「生ききって一遍ほどに夏痩せす」の句もあるが、その間作者は夫君を懸命に支え精一杯の看取りをされたのだろう。しかし、一か月余というのは余りにも短いではないか。作者は白装束に着替えて旅立たれた夫君の姿を「かろやかに」と表現することで、そのあっけなさに堪えておらるのだ。この句は究極の衣更えの句となって読む人の心に深く染みてくる。
(お礼:心よりの句評をお寄せいただき、ありがとうございました。伊賀の地よりの句評を光栄に存じます。 髙橋正子 9月29日)