俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

8月2日(金)

2024-08-02 19:44:41 | 日記
晴れ、時々曇り
紫蘇の葉に影ちらちらと晩夏光    正子
夏負けにシナモントースト力とす   正子
 トトロの黒猫ジジ
西日除け座らす「ジジ」のぬいぐるみ  正子

●日本詩歌文学館から、収書の手紙。今回求めに応じて初めて花冠No.371を送ったが、かなり徹底して詩歌に関する図書を集めている様子。今回、371号だけ送ったが、そのうち、揃えて送るつもりである。

●晃さんの俳壇の原稿が落着。郵便事情が変わって普通郵便が遅いから、締め切りに間に合うよう気を付けてくださいと念を押す。

●図書館から、『独り居の日記』(メイ・サートン著・武田尚子訳/みすず書房)と『ヘッセ詩集』(高橋健二訳/小沢書店)を新しく借り、『ヘッセ 魂の手紙』『人は成熟するにつれて若くなる』を延長で再度借りた。

暑いと言いながらも、日差しが黄ばんで、晩夏の光である。口内炎も治ったようで、音楽を聞きながら本が読めるぞ、と嬉しくなっている。学生時代の試験が終わった後の開放感に似ている。図書館から帰って、4時ごろ晃さんの電話を受けて、その後、座布団2枚と枕とほっこりした布団を居間に持ってきて、寝そべり、音楽をかけてクーラーの中で、メイ・サートンを読み始めた。

眠ったのか覚めているのか、音楽だけが聞こえて「死んだばかり」の自分がいることに気づいた。体が浮くような感じで、誰かが背中を少し支えて柩に入れられた。音楽がずっと流れていて、死んだばかりだから、まだ生きているようなのだが、胸元に薄クリーム色のレースのようなものがほんの少し見える。波が体を連れて行くような音楽が気になり、パソコンの画面をみるとマーラーのシンフォニー第5番4楽章の字幕が見えた。ああそうかと思っていると、また何度も聞いた音楽が流れている。なんだろうかと、またパソコンの場面を見るとバッハの「羊はやすらかに草を食み」の字幕が見えた。死んだばかりで柩に入れられていたのは、現実すれすれの夢の世界。耳に音楽は、はっきりと流れていた。この現実が、これが夢のようだった。




コメント
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