晴
●夜明け前から雑誌類の整理。ときどき整理はしているつもりだが、すぐに増えて積み上がる。2月に整理してその後はそのままだった。
●URの緑地にはやくも槿が咲いていた。それにしても早い。新しく建てられた選挙ポスターの看板で隠されてしまっているのが、隙間から見えた。
●信之先生91歳になるが、介護サービスはこれまで一度も受けていない。週1か週2、サービスを受けて欲しくて、介護関係の人に連絡をとっているが、そんな年ではないと言い全く困っている。
私は編集の仕事に集中できず、朝から晩までYou Tube でなんとなくクラッシクを聞いている。そこでフルトベングラーがベルリンフィルを指揮したモーツアルトのピアノコンチェルト20番に出会った。フルトベングラ―の指揮について面白いことを聞いた。フルトベングラ―の指揮は、指揮棒が微妙に動いていて、どこではじまるのかよくわかないそうだ。例えば、指揮棒の先が第1ボタンのところに来たときが始めだとか、楽団員個人が判断しないといけないらしい。ぴしっと音が揃うという感覚ではないらしい。遅れてもいけない、揃ってもいけない。なんとなく分かる。大勢の個人がいて、それぞれ芸術的考えがあって、揃うのもがおかしいと言えばおかしい。遅れては音楽にならないし。
揃うと言うことに関して思った。句集で、5-7-5、はい次の句5-7-5、はい次の句5-7-5とゆるぎない俳句が続いたら、嫌になるか、笑いそうになる。5-7-5の中に、その人らしいリズムとか息遣いとかがあって、少しリズムが崩れて面白いのだ。それは俳句の韻律の問題で、前衛でも例えば、著名な坪内稔典さんの句も、きっちり5-7-5で新しくないのだ。俳句の韻律の問題の研究が進むといいと思っている。言葉と音は切り離せない。