俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

1月31日(水)

2024-01-31 21:02:14 | 日記
晴れ
 湯島天満宮三句
梅匂う男坂をのぼり来て 正子
枝垂れ梅はうす紅白きビルを背に 正子
手水の水梅の香りの混じるかに   正子

●3月なみの暖かさ。10時過ぎの電車で、湯島天神に出かけた。電車は日がよく差してのんびりしている。通勤が終わった時間。1月25日の鷽替えの神事に行く予定だったが、行けないでいた。目黒から山手線で御徒町で下車。御徒町の駅を出るとすぐ右手にアメ横の商店街が見える。左手に折れて松坂屋の横を通って、8分ほど風情があるわけではないが、台東区立黒門小学校があって、このあたり台東区と文京区の境になっている。それを進み「学問のみち」と幟が立っている道を進むと神社に到着。男坂の石段から上ることになった。上り着くとすぐ馥郁と梅の香りがしてきた。屋台は甘酒屋と達磨屋と草餅を売るところが開いている程度、人はほどほど。みんな紙コップで甘酒を飲んでいる。一杯300円。

元希に健康お守りと学業お守りを頂いた。福豆も二袋いただいた。絵馬は重なる上にも重ねて掛けられ、学問の神様の霊験を知る。受験生らしい高校生もいるにはいたが、地味な服装の父兄らが多い。絵馬を読むと山梨や埼玉の住所を書いているのもある。本郷の東大が近いので、東大狙いが多いのかと思ったら、資格試験や高校や国家試験など一般の受験合格祈願のほうが多いようだ。受験なんでもお引き受けか。撫で牛をちょっと撫でてみた。梅を見ながら、境内の梅はどれも名があって、その品から、ご利益がありそう。

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1月30日(火)

2024-01-29 23:25:28 | 日記
晴れ

●花冠のメンバーにメールが届いていないのか、それともメールを読んでいないのかわからないので、確認のためにネット短信No.410を出す。本日中に返信がきたのは、8名。

●町内会の当番で去年4月から広報など配布している。今日の広報に区民文化センターの開館記念式典があると載っていた。文化センターがどこにできたのかと思ったら、この前、芭蕉句碑を探して行きついた新綱島の高いビルの5.6階が文化センターとのこと。3月29日にN響のコンサートマスターだったマロさんの演奏がある。ベートーベンの「春」など、とあったので、聞きに行こうと思う。ホールは見た目コンサートホールのように設計されている。2月1日からチケットぴあで販売されるとのこと。
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1月29日(月)

2024-01-29 12:12:16 | 日記
晴れ

●ネット短信No.409に有花さんから返信。愛媛新聞の紹介記事を喜んでくれた。晃さんへ転送。

●俳壇からの「前書きのある句」の原稿依頼。なんとか、書き上げた。問題は俳句。2月14日が締め切りなので、もう少し、手元に置く。

●先日新綱島の鶴見川沿いの芭蕉の句碑があるというので、見に行った。工事中で柵がしてあり、近くに行けなかったので、民家の敷地内に句碑らしきものを見つけ、遠くから写真だけ撮って帰った。ネットで調べて、実際それが芭蕉句碑とわかった。名主で俳人の池谷与四郎(桐林斎鳳山)の四男政之丞(東場義旺)が鶴見川改修工事の落成を記念して建立したものだった。芭蕉が立ち寄ったと言う話ではなく、名主が俳句をたしなんでいて、落成記念(慶應3年1867年)にということのようだ。この年は漱石が生まれている。ちなみに、生家の分家のおばあさんが、長寿で慶應3年生まれだった。私が小学生の頃の話で杖を突いて歩いている姿を目にしている。小学生だったので、江戸時代生まれをめずらしく思っていた。
句碑に彫られていたのは
あかあかと日はつれなくも秋の風 芭蕉
             (元禄2年1689年)奥の細道
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1月28日(日)

2024-01-29 11:57:05 | 日記
晴れ
枝くぐる風にほつほつ枝垂れ梅  正子
境内の紅梅白梅はや満開     正子
風に凍てミニ薔薇なおも健気なり 正子

●ネット短信No.409を送信。合同句集『泉』が愛媛新聞で紹介されたことなど。今日は返信無し。

●夕方、句美子が来る。途中、小杉のモンベルによって、フリースを買ってきてくれた。「着てよね。」と念を押された。
仏壇にお参りしていたが、「お父さんは仏様かどうかよくわからないね。」というのが、聞こえた。私もそんな感じがしていたので、台所仕事をしながら、黙って聞いていた。句美子と家で最期を看取ったので、同じように感じているのかもしれない。まだ、家にいるような空気感がある。信之先生が仏様になるのは、も少し後だろう。


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1月27日(土)

2024-01-27 15:43:41 | 日記
晴れ

●今日の愛媛新聞<刊行フラッシュ>欄の花冠合同句集『泉』の紹介記事を晃さんがメールで送ってくれた。愛媛の洋子さん、美知子さん、晃さんの句が紹介される。

セロファンを鳴らして秋の薔薇を解く 藤田洋子
石鎚の冬灯掲げて野は眠る      柳原美知子
わが街の盆の花火へ機を降りる    吉田晃

愛媛新聞の生活文化部にお礼の電話。担当記者の方は休み。代わりに、ほかの記者が受けてくれた。すぐ電話を切ろうと思ったが、意を翻し、中学校の校長を務めた晃さんの愛媛の俳句教育の活動についての情報、現在愛媛新聞に掲載のキッズ俳句についての教育界から見解を伝えた。

話をするうちに、記者の「教師の経験あり」の経歴にたいする認識に、あれ!と思うことがあった。「教師の経験」とは、実はどういうことなのか。一般的な話として、you tube一月万冊の佐藤章元朝日新聞記者が嘆いてよく言うことに似ていると思った。世の中、これほど疑念に包まれていながら、ジャーナリストに、世の中の今に懐疑や疑念がないではないかと。世の中のうわべすらが、浅くなっているんだわ。
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1月26日(金)

2024-01-26 10:21:29 | 日記
晴れ
寒晴にきな粉香ばしくも零る  正子
寒菊の黄色心の色としぬ    正子
午後からは日陰る窓に春隣   正子

●朝の室温15℃を切っているが、それほど寒くない。ベランダに出ると暖かいと言っていいほどの日差し。

●花冠2月号、モーツアルトバイオリン協奏曲3番を聞ぎながら編集。2020年の敬二さんの句に、「蚕豆むくシューベルトを聞きながら」があった。シューベルトと蚕豆の季節。敬二さんはこのころ楽しかったのだ。

15人の雑詠をどう並べるかは、難しい。忖度なく並べるには、正子の雑詠を末尾に置くしかないか、など。たいして仕事が進んでいないのに、疲労感半端ない。

●先おととい、病院に行ったついでに郵便局のATMに並んだが、手間取る人が前にいて、見ることもない警察の指名手配者の写真を眺めていた。桐島という黒ぶちメガネの犯人の顔が一番よくわかる。その印象も強く残っている今日、それが虫の知らせではないにしろ、彼が鎌倉市の病院に末期癌で入院し、本人を名乗っている、と言うニュースにはっとした。50年経っての逮捕になるらしい。広島県の神辺町の出身で、テロ事件を起こしたのは20歳。逃走前に実家の父親に電話をしてきたとか。そんな情報もあった。
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1月25日(木)初天神

2024-01-25 11:12:50 | 日記
晴れ
大寒の明るき朝日仏間へと   正子
伊予柑の明るき一個供えけり  正子
太陽に眩んで寒禽見失う    正子

●大寒波の予報だったが、寒波が通り抜けたのか、9℃ぐらい。1月25日という日は、日本で最低気温を記録する日らしい。

●花冠の編集。合間に「俳句」1月号をめくる。「俳句の今とこれから」の四氏の新春座談会。内容について何か言うこともないが、思ったことがある。

座談会では、コロナで変わったのは「電子化」ということだと言っているが、一般社会や経済界に比べて電子化は20年遅いと思うが、これは本質的な問題ではない。

それより、多死社会問題。しっかりと鍛えられた俳人が多く亡くなってきている。そういうしっかりした俳人や俳句があってこその俳句だ。メディアが俳句をガチャガチャ触るせいもあってか、地道に俳句を作ることが、若い人にとって難しい時代になっているのは確か。

多死社会を迎えて、特に「何を引き継いでいるのか」が重要になって来るのではないかと思えた。俳句甲子園出身のメディアで知られる若い俳人の「結社は要らない、自分は現に育っている」と話すのを聞いた。結社の問題は別としても、「育っている」は疑問。私の俳句の師の川本臥風先生は、75、6歳のときに、雑談の折、何気なく「〇〇君、ようやく俳句がわかりましたよ。」と私の夫に言ったそうだ。俳句はそのようだと考えてよい。系譜から引き継いだもの。俳句の伝統と言われるもの。つまり、師から何を引き継いだか、それが今後問題になって来る気がする。



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1月24日(水)

2024-01-24 13:40:39 | 日記
晴れのち曇り
菊花蕪芯に真っ赤な唐辛子 正子
大寒の寝床句帖に小さき燈 正子

●今日、大寒波の予報。昼前から急に冷え込む。信之先生の月命日。仏壇店から菊花蕪を供えてはとメールが来る。それもありで、作って供える。夕飯に頂いたが、すごくおいしい。寒中の野菜においしさ凝縮。
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1月23日(火)

2024-01-24 10:54:11 | 日記
晴れ

●昨夜You tubeの東テレBizで講書始の儀を初めから終わりまで見た。最先端のことをご進講されるというので、今の最先端は何なんだろうと言う思いから。ひとり20分の講義は、白い冊子を開きながら教科書を読むように進められた。国語学の「役割語について」の講義と「刑事法」についての講義は興味を引かれた。

その「役割り語」なのだが、最近アラフォーと思える男性のメールに「送りますね。」と言いう風に語尾に「ね」がついているメールが一人からではなく、来る。上から下へ読んでいると、「ね」があるので、女性担当者からのメールかと思っていると、署名まできて、男性からのメールだったこともある。この「ね」はなに?メールも気さくさもあるが、ビズネスとしてはどうよ。高齢女性への優しさなのかと思えた。50代以上の男性なら、そして、20代の男性もこんな「ね」は多分使わないだろう。ちょっと面白く思った。

●ハート内科定期通院。検査のために朝食抜きで、正午をまわっていたが、診療所のあるアピタのビルの裏通りを鶴見川の方へ歩いた。太陽を見ながら南西へと歩くと、海がある方の空が明るい感じがする。海の光が空へ反射しているとしか思えない。裏の通りには、瀟洒なマンションが建っていて、アピタのビルは、パナソニックの工場跡だったと思い出す。ほどほど歩くと「新田堀」と書いたバス停がある。ここからバスで帰ることにした。この辺りは、日吉駅東口行のバスが走っていて帰りを心配することなく歩ける。例のたばこ屋前の停留所を少しゆくと鶴見川へ上がる階段が見えたが、今日は川へはいかなかった。




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1月22日(月)

2024-01-22 10:30:39 | 日記
晴れ
枯原の枯れゆく色を見て駅へ  正子
洗われて濡れて光るは蕪の束  正子
わが家も冬の家なり誰も来ず  正子

●アマゾンが「あなたの閲覧履歴からおすすめの本」をメールで時々知らせてくる。今朝、開けてひっくり返るほど驚く。意中の人を当てて来た。人ではなく本なのだが、それほど驚いだ。その本は著者より送られて本棚にある。その本をここで明らかにするには、内心の事情をばらしてしまうようなもの。あな恐ろしや。アマゾンの集積知も半端でない。
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1月21日(日)

2024-01-21 12:45:12 | 日記
雨、午後曇り
冬の夜ロールキャベツにトマト色  正子
寒水を流し続けてキャベツ剥ぐ   正子

●ロールキャベツを作る。キャベツが充実の育ちなのか、葉を剥ぐのに苦戦。はじめ水で剥がしていたが、手が凍りそう。あとは、40℃のお湯を流しながら剝がした。王道のロールキャベツを目指したが、巻きが少し緩かった。ロールキャベツに合うご飯は、結局ピラフ。冷凍していたヤリイカのカレーピラフ。夕方句美子が来たので持たせる。

●仏壇にお参りしていた句美子が、「まだ、アルカイダが・・」と言うのが聞こえた。「?アルカイダ?テロ組織?」 実はお供えしているモロゾフの「アルカディア」のクッキーのことだった。話しはじめたころ、「たまご」を「たがも」と言い、「たまご」を「かまぼこ」と言うこともあった。この言語感覚は、誰かに似ている。音が分けられて、シャッフルされ、別の音のまとまりになって出てくる。
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1月20日(土)大寒

2024-01-20 12:24:28 | 日記
曇り、小雨

●パソコンで作業していると、It’stime to say good by の曲が聞こえた。何気なく聞いていたが、歌声もないし、曲だけ。それがサッカーのカイザーと呼ばれたベッケンバウアーの追悼式の式典で流れていると分かったのは、大統領のスピーチが聞こえてから。ベッケンバウアーが亡くなったことを知らなかったが、1月7日78歳で亡くなったそうだ。彼は1945年ミュンヘンの近くで生まれている。この年に生まれたことには偶然ながら意味がありそう。大統領のスピーチの終わりにDanke für Beckenbauer , Danke für Allesが耳に残ったが、Danke für Allesは日本語にどう訳すのだろう。よく言われることみたいだけど。

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1月19日(金)

2024-01-19 12:42:25 | 日記
晴れ
 一月十四日
成人の日はあす祖母の葬は今日   正子
 祖母
サフラン摘み日向へ廻りまた摘めり 正子
サフランの蕊干す新聞紙が日焼け  正子

●愛媛新聞の文化部から電話。『合同句集 泉』を簡単だが、紙面に紹介するので、内容確認とのこと。No.369号の次の号が出ていないが、どうなのかの問い合わせも。合同句集を12月発行したため、そのためにひと月発行が遅れているというと、「出来たら送ってください。」と。新聞社が関心をもってくれているのは、ありがたい。

●今日の運気は暦では◎。実際はどうだったか。電話がよく来た。5人から。

●お昼に焼き芋を焼く。オーブンの温度は230℃。この温度にすれば、意外に早く焼けることを発見。前は220℃で焼いていた。これはまだか、まだかというほど時間がかかった。10℃の違いでここまで違うかと驚いた。なぜ220℃で焼いていたかと言えば、スーパーの焼芋屋さんの温度が220℃だったから。

●角川「俳句」1月号の「日常」と「俳句」のことについて自分の理解のために1月16日の日記に重点を書き出したが、実作者の私にはよくわからない。「けり」をつけるため、少し思うところを書く。

「旅」ついての捉え方。伝統的な日本の「旅」は、日常のなかにあり、日常は旅。旅を「非日常」と考えるのは現代の捉え方であるが、日常を詠む軽舟の俳句にも「日常に旅」がある、と言っているのではないか、と言う解釈がよぎる。軽舟氏の俳句を批判しているようだが、ひいき目に、少し強引に芭蕉へと位置付けているようにも感じられる。

実作者としてみれば、軽舟氏の俳句の作り方は、大方の俳人と変わりないと思う。ただ、その言語運用が特異。
渡り鳥近所の鳩は気負いなし 軽舟
「渡り鳥」に「鳩」を持ってくるのは意外性がある。それも「近所の」がつく。鳩の気負いなさ、自分の気負いなさを言うためであろう。これが、読み手の私には歯がゆい。これを日常性と言うのか。季語は「渡り鳥」でありながら、テーマは「(自分の)気負いなさ」が眼目となっているのではないか。

もう一点気になるが、「季語・渡り鳥」と「鳩(自分)」との交じり合う点はどこなのか。交じり合っていない?自然との融合性を感じない?季題趣味ではないからそうだ、と言う意味とは違うと思う。よくわからないが、堀切先生は軽舟氏の俳句「俳句の正道」の俳句作句方法だと言っておられる、と解釈した。

「旅」の思想については、よく考えないといけない。生きている時代背景、社会背景が全く違ってくれば、旅の意味も変わる。「旅の思想」は、今現在は個人によってかなり違いがあるのではないかという思いがする。「旅の思想」は、多様性の社会や、格差社会、そこの住む人の生き方とともに一言では語れない複雑さをもって来たと思う。「旅の思想」こそが俳人の考える命題とも思える。

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1月18日(木)

2024-01-19 12:33:40 | 日記
晴れどきどき曇り

●予定を組むために、手元の神宮館版の令和6年、今年の暦を見る。めったに見ることのない、九星の易判断を見る。そのなかのこれも初めて気づいたその月の運のいい日、悪いを〇や◎、△、▲、×で示しているのを見る。今日は△。明日は◎。今日は気になる人、つまり、具合を悪くしているんではないかと気になった二人に電話。二人とも留守か、電話に出れないかの様子。

●今日の運勢は△、明日は◎。運勢に従えば、今日は嫌なことはしないで、あす運のいい日にやればよいと、一日を過ごす。落ち込む理由はないのに、落ち込み、気になることばかり増える。
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1月17日(水)阪神淡路震災忌

2024-01-17 13:56:23 | 日記
晴れ

●昨日よりは寒さは薄らいだ。

●「意を決して」花冠2月号の編集に取り掛かる。
正月を迎えるために家を片付けたために、編集の資料など、どこかに紛れ込んでしまったものがあり、それを探す。一番大切な信之先生の写真を入れた缶の所在もわからなくなった。3日に誕生日を迎えて、急に「死」が明日か明後日かのもののように思われた。その思いが却って炬燵に入ったまま無為に過ごす時間を多くしている。編集が進まず。


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