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去年今年貫く棒の如きもの 高濱虚子
「去年今年」の季語であまりにも有名になった句である。虚子は、客観写生を唱えたが、虚子自身は、大変主観の強い人間である。去年が今年となっていく時を「棒の如きもの」と主観の強さで把握した。太い棒のような時は、虚子の一貫した人間の太さや力とも言えよう。
「去年今年」の季語であまりにも有名になった句である。虚子は、客観写生を唱えたが、虚子自身は、大変主観の強い人間である。去年が今年となっていく時を「棒の如きもの」と主観の強さで把握した。太い棒のような時は、虚子の一貫した人間の太さや力とも言えよう。
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野焚火の四五人に空落ちかかる 臼田亜浪
昭和11年、亜浪58歳のときの作。野焚火を囲んで、おそらく男達であろう、四五人が、暖をとりながら何か話しているのだろう。そこに空が落ちかかっている。どんより曇った分厚い雲に寒さが押し寄せている。そういう空を落ちかかると感じたのだろう。野焚火の火の色が、落ちかかる空と男達の服装のなかで、際立っている。亜浪の充実期の作品。
昭和11年、亜浪58歳のときの作。野焚火を囲んで、おそらく男達であろう、四五人が、暖をとりながら何か話しているのだろう。そこに空が落ちかかっている。どんより曇った分厚い雲に寒さが押し寄せている。そういう空を落ちかかると感じたのだろう。野焚火の火の色が、落ちかかる空と男達の服装のなかで、際立っている。亜浪の充実期の作品。
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堪へてゐる冷えと歯痛とひとつになる 川本臥風
暖房が今ほどではないころは、冬の寒さは耐えがたい。しんしんと冷えてくる日など、歯痛が始まると、それをどう治めることもなく、だたひたすら耐えることに終始する。部屋に広がる冷えと歯痛とが、分かちがたい感覚として体にとらえられている。臥風先生にしてのみあることだろう。
暖房が今ほどではないころは、冬の寒さは耐えがたい。しんしんと冷えてくる日など、歯痛が始まると、それをどう治めることもなく、だたひたすら耐えることに終始する。部屋に広がる冷えと歯痛とが、分かちがたい感覚として体にとらえられている。臥風先生にしてのみあることだろう。
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くらがりに傾いて立つ炭俵 谷野予志
谷野予志の天狼調と呼ばれる代表句である。「傾いて立つ」は口語で、口語俳句として完成度が高く、文語よりも口語であることにこの句の真価がある。また、一句一章としての名句でもある。くらがりに炭俵が立っている光景は、炭で暖をとっていたころには納屋などでよく見かけた。炭俵は使いかけると、口を開けて傾いて立っていた。物に即した句である。
谷野予志の天狼調と呼ばれる代表句である。「傾いて立つ」は口語で、口語俳句として完成度が高く、文語よりも口語であることにこの句の真価がある。また、一句一章としての名句でもある。くらがりに炭俵が立っている光景は、炭で暖をとっていたころには納屋などでよく見かけた。炭俵は使いかけると、口を開けて傾いて立っていた。物に即した句である。
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誰か咳きわがゆく闇の奥をゆく 篠原 梵
闇をゆく自分のほかには誰もいないだろうと思いながら歩いていると、そうではない。自分の歩いていく道の先の真っ暗闇に咳をして歩いてゆくものがいる。咳がこぼれることによって、「闇に奥」が感じられた。仕事を終えて奥深い闇を帰る二人の男の距離に、都会市民の生活が見える。
闇をゆく自分のほかには誰もいないだろうと思いながら歩いていると、そうではない。自分の歩いていく道の先の真っ暗闇に咳をして歩いてゆくものがいる。咳がこぼれることによって、「闇に奥」が感じられた。仕事を終えて奥深い闇を帰る二人の男の距離に、都会市民の生活が見える。
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広告塔かけのぼる冬至の夜空 川本臥風
冬至の夜空は、早く暮れてすでに真っ暗である。その夜空にネオンサインの広告塔がある。漸次点灯するネオンなので、光が夜空へかけのぼっているように見える。冬至という一年で最も昼間が短い特別な日の夜空であるので、漆黒の夜空に点る広告塔が生きもののようである。
冬至の夜空は、早く暮れてすでに真っ暗である。その夜空にネオンサインの広告塔がある。漸次点灯するネオンなので、光が夜空へかけのぼっているように見える。冬至という一年で最も昼間が短い特別な日の夜空であるので、漆黒の夜空に点る広告塔が生きもののようである。
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冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋櫻子
冬菊の、ひかりのような静かなたたずまいが、全てを排して詠まれた秋櫻子の代表句のひとつ。寒気の中の菊の花は、その香りよりも花の色に心が留まる。みずからのひかりに包まれた菊が寂光土の花のように思える。
冬菊の、ひかりのような静かなたたずまいが、全てを排して詠まれた秋櫻子の代表句のひとつ。寒気の中の菊の花は、その香りよりも花の色に心が留まる。みずからのひかりに包まれた菊が寂光土の花のように思える。
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水漬きつゝ木賊は青し冬の雨 中村汀女
木賊が植えてあるところに雨水が流れ溜まってくる。雨水は薄く濁って木賊の青い茎を浸し、いかにも冷たそうな姿である。「青し」の感覚は冴えている。「冬の雨」と平凡に言い終え、求心的でないところが女性俳句らしいが、それもよさであろう。
木賊が植えてあるところに雨水が流れ溜まってくる。雨水は薄く濁って木賊の青い茎を浸し、いかにも冷たそうな姿である。「青し」の感覚は冴えている。「冬の雨」と平凡に言い終え、求心的でないところが女性俳句らしいが、それもよさであろう。
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わが触れて来し山の樹や秋深し 中村汀女
『汀女句集』所収、大正八年作。汀女は、大正七年から大正九年冬までの句を江津での句としてあげている。この句は熊本江津にいた十九歳のときの句で、結婚以前の句。「わがふれて来し」には、表現に若干の曖昧さを感じるが、私がふれたあの山の樹々は、すでに秋深くなったのだいう感懐を述べたのであろう。その山に入った思い出と重なっているのかどうかはっきりしないが、そういうことを含めて深み行く秋を山の樹々に感じとった。
『汀女句集』所収、大正八年作。汀女は、大正七年から大正九年冬までの句を江津での句としてあげている。この句は熊本江津にいた十九歳のときの句で、結婚以前の句。「わがふれて来し」には、表現に若干の曖昧さを感じるが、私がふれたあの山の樹々は、すでに秋深くなったのだいう感懐を述べたのであろう。その山に入った思い出と重なっているのかどうかはっきりしないが、そういうことを含めて深み行く秋を山の樹々に感じとった。
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鰯雲甕担がれてうごき出す 石田波郷
『春嵐』所収。昭和二十八年作。この句の前に、「甕五十馬車来て下ろす簾の外に」がある。この句では、家内から簾越しに外を見ていると、馬車がやってきて、五十の甕を下ろしていったというのだ。五十は正確に五十と読まなくてもよいだろう。レトリックであって五十ほどでもよいだろう。、たくさんの甕が簾越しに下ろされ、そこに置かれたというのだ。この句を受けて、「鰯雲甕担がれてうごき出す」となっている。簾の季節から鰯雲の季節に変わって、運ばれて来て動かぬものとなっていた甕が、また再び動かされて運び去られていった。「うごき出す」は、自分では動くはずのない甕に、命を与えてその存在感を誇示している。ものの移動に伴う存在の不可思議を思ってしまう。ついつい「アリババと盗賊」の話が念頭に浮かぶ。
『春嵐』所収。昭和二十八年作。この句の前に、「甕五十馬車来て下ろす簾の外に」がある。この句では、家内から簾越しに外を見ていると、馬車がやってきて、五十の甕を下ろしていったというのだ。五十は正確に五十と読まなくてもよいだろう。レトリックであって五十ほどでもよいだろう。、たくさんの甕が簾越しに下ろされ、そこに置かれたというのだ。この句を受けて、「鰯雲甕担がれてうごき出す」となっている。簾の季節から鰯雲の季節に変わって、運ばれて来て動かぬものとなっていた甕が、また再び動かされて運び去られていった。「うごき出す」は、自分では動くはずのない甕に、命を与えてその存在感を誇示している。ものの移動に伴う存在の不可思議を思ってしまう。ついつい「アリババと盗賊」の話が念頭に浮かぶ。
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