俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

8月4日(土)

2018-08-04 11:29:39 | 本を読んで
★野に出でて日傘の内を風が吹き  正子
夏の暑い日ざしをさえぎるために用いる日傘は開くと綺麗な色彩の草花などが描かれたり、優美な紫紺や黒などの無地な日傘等があり、その日傘を高原の強い日差しの中で差すと日傘の中を高原の涼しい風が吹きぬけ、とても爽快な気分になれます。清涼感たっぷりの素敵な句ですね。(小口泰與)

○今日の俳句
枝ごとにあふるるほどの百日紅/小口泰與
百日紅は炎暑にも負けず盛んに花を咲かせる。枝先に「あふるるほど」の花だ。「あふるるほど」の花が百日紅の花の特徴を言いえている。(高橋正子)

●夕べ雨の音がした。
夜の秋窓打つ音は雨の音      正子
 夫
風邪少し昨日うなぎに今日の鮨   正子
八月や句会準備を朝のうち     正子

朝、30度になった時点で、クーラーを入れる。29度はまだいい。

◆◆◆

辻村麻乃句集『るん』を読んで。
高橋正子

 あとがきに、句集名の『るん』は、ルンという言葉の概念に依る。
とある。チベット仏教に関する言葉で風という意味ということだ。
「るん」という「音の響き」と「意味」が作者の思いと重なるのだ
ろう。

 鳩吹きて柞の森にるんの吹く

 「鳩吹く」・「柞」という古典的で柔らかい言葉の、その森に風
が吹く。「ルン」の概念をこの句から感じ取れるような気がする。
そして、あとがきに

 詩人である父、岡田隆彦、俳人の岡田史乃を両親に持つことで、
たまたま今までの師系の概念と少し離れたところにいる。
 もう、若くはないが、そんな私が新しい風をそっと吹いても良い
のではと思うようになった。

とある。著者は遠慮がちながら、自身が新しい風を吹こうとしてい
る。吹いている。表紙は、著者自身が纏った薄衣が浜辺の風に吹か
れて、ついに風になっている印象の写真的なものだ。「風」の足元
は裸足に違いないと、帯をめくれば、しっかりと靴が今の時に立っ
て踏ん張って履かれている。

 『るん』は、るん春、るん夏、るん秋、るん冬、るん新年から成
っている。『るん』の俳句は季語の使用が私の年齢からみても保守
的に感じられるものと、今50代の等身大の、あるいはもっと若い
感じの句が混じって、その振り幅がと大きい。その振幅は、著者の
奮闘の素直な姿かもしれない。保守的である句は、自身の俳句の勉
強の結果であろう。

 著者は東京港区の赤坂で生まれ育った。港区は赤坂氷川神社があ
ったり、江戸の粋の文化が残るところ。著者の生活圏に氷川神社が
あるのではと思うが、この神社の存在も著者に影響を与えていると
思う句が本句集には、かなりある。神社や祭り、あるいは(稲荷の)
狐などが多く詠まれている。

 初午の薄揚げに射す光かな

 そして著書自身の独特の感受性の強さから生まれた句がある。

 口開けし金魚の口の赤き闇
 鮭割りし中の赤さを鮭知らず

見てはいけないものを見たときの怖さか。「黄昏が怖い」以前の著
者はもう夕焼けが楽しめるようになっているが、「黄昏の怖さ」を
感じるのは本当に詩人の感性だろう。

 前書きが少ない句集なので、句を詠んだ場所を想像してのことだ
が、京都への旅や総持寺での冬安居の句など、禅への関心がうかが
える。禅への関心は、俳句に精進する人が通る道ではあるが。

 また、秩父の火祭や武甲山を詠んだ句は、筑紫磐井氏の序を読む
と、金子兜太氏への敬慕も手伝っているようだ。

家族を詠んだ句は、好感がもてる。

二人の子は、
アネモネや姉妹同時に物を言ふ

夫は、
農夫の手受け継ぐ夫と墓参かな

父は、 
おお麻乃という父探す冬の駅

母は、
雛のなき母の机にあられ菓子

子としての著者は、
母見舞う秋空へ漕ぐペダルかな

以下に私の好きな句を挙げる。


出会ふ度翳を濃くする桜かな
初午の薄揚げに射す光かな
雛のなき母の机にあられ菓子
電線の多きこの町蝶生まる

水分石流れも花も分かちをり
水分石(みまくりいし)は、日本庭園で石橋と組み合わされて配置
される。龍安寺で詠まれた句だろうか。水が分かれると、水に散り
浮かぶ花びらも水の通りに分かれる。美しくも、佇めば無常を感じ
させる光景である。


谷若葉詩(うた)の立つ瞬間(とき)摑みけり
詩人には、詩が立つ瞬間、詩が生まれ出そうとする瞬間がある。そ
の瞬時を谷若葉の中で、自分で摑んだのだ、その確信の句。

麦秋の撓ふ側から煌めけり
麦が熟れるころ、光は小麦色にきらきらと耀く。麦が撓えば、茎が
撓えば、そして撓うものは、その側面から輝くのだ。繊細な観察だ。

黒揚羽駿河の縹に嵌りたり
「駿河の縹」と言えば、駿河の海の色か、富士の色か。縹色に嵌っ
た黒揚羽は駿河の縹に化石のように取り込まれた。

深閑と海の岩屋に夏日さす
放射線状屋根全面に夏の雨


咲ききりて生姜の花の甘さかな
女性らしい感性の句。生姜の花、つまり、ジンジャーの花だ。つう
んと鼻腔から入る甘い匂い。「咲ききり」がきっぱりとしている。

「追ひ焚きをします」と声する夕月夜
風呂の追い焚きをしますよと言う声の優しさ。心遣いの優しさに、
湯の匂いがほのかに立つようだ。夕月夜が美しい。

金管の全て上向く秋の空
ブラスバンドの金管楽器が、秋空へ向けて音を吹く。秋晴れの空に
輝く金管楽器の溌剌とした音色が耳に聞こえ、爽やかだ。

農夫の手受け継ぐ夫と墓参かな
母見舞う秋空へ漕ぐペダルかな


落つるなら谷まで落ちよ冬紅葉
真っ赤に紅葉した冬紅葉。散り落ちるなら、途中にかかることなく、
谷まで落ちよ。落ちるならいっそ落ちよの心意気。

紙漉きて手の甲にある光かな
紙漉きの水は冷たい。白濁した水から、紙を平らに平らに幾度も掬
いあげる。窓辺からは、光が差し込む静かな紙漉き場。手の甲が光
そのもに見える。

我々が我になる時冬花火
おお麻乃という父探す冬の駅

新年
初鏡幼女うつとり髪梳きて
青空を貨物過行く三日かな


               辻村麻乃句集『るん』
               著者:辻村麻乃
               発行所:俳句アトラス(林誠司)
               平成30年7月31日発行

◆◆◆


○稲の花咲く

[稲の花咲く/横浜市緑区北八朔町(2013年7月31日)]

★いくばくの人の油よ稲の花 一茶
★南無大師石手の寺よ稲の花 子規
★稲の花今出の海の光りけり 子規
★湯槽から四方を見るや稲の花 漱石
★雨に出しが行手の晴れて稲の花 碧梧桐
★軽き荷を酔うてかつぐや稲の花 虚子
★酒折の宮はかしこや稲の花 虚子
★八十路楽し稲の花ひろびろと見る/高橋信之
★稲の花見つつ電車の駅までを/高橋正子
★稲の花雲なく晴れし朝のこと/高橋正子

 イネ(稲、稻、禾)は、イネ科 イネ属の植物である。稲禾(とうか)や禾稲(かとう)ともいう。 収穫物は米と呼ばれ、世界三大穀物の1つとなっている。本来は多年生植物であるが、食用作物化の過程で、一年生植物となったものがある。また、多年型でも2年目以降は収穫量が激減するので、年を越えての栽培は行わないのが普通である。よって栽培上は一年生植物として扱う。属名 Oryza は古代ギリシア語由来のラテン語で「米」または「イネ」の意。種小名 sativa は「栽培されている」といった意味。用水量が少ない土壌で栽培可能なイネを陸稲(りくとう、おかぼ)と呼ぶ。日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、海外において栽培作物として確立してから、栽培技術や食文化、信仰などと共に伝播したものと考えられている。稲を異常なまでに神聖視してきたという歴史的な自覚から、しばしば稲作の伝播経路に日本民族の出自が重ねられ、重要な関心事となってきた。一般に日本列島への伝播は、概ね3つの経路によると考えられている。南方の照葉樹林文化圏から黒潮にのってやってきた「海上の道」、朝鮮半島経由の道、長江流域から直接の道である。3つの経路はそれぞれ日本文化形成に重層的に寄与していると考えられている。現在日本で栽培されるイネは、ほぼ全てが温帯ジャポニカに属する品種であるが、過去には熱帯ジャポニカ(ジャバニカ)も伝播し栽培されていた形跡がある。

 多くの節をもつ管状の稈を多数分岐させ、節ごとに1枚の細長い肉薄の葉をもつ。稈は、生殖成長期になると徒長して穂を1つつける。他殖性の風媒花であるが、栽培稲では98%程度が自家受粉する。開花時間は午前中から昼ごろまでの2-3時間と短い。花は、頴花(えいか)と呼ばれ、開花前後の外観は緑色をした籾(もみ)そのものである。籾の先端には、しなやかな芒(ぼう)が発達する。芒は元々は種子を拡散するための器官であるが、栽培上不要なため近代品種では退化している。農業上、種子として使われる籾は、生物学上の果実である玄米を穎(=籾殻:もみがら)が包んでいるもの。白米は、玄米から糠(ぬか)層、胚など取り除いた、胚乳の一部である。生態型によるジャポニカ種 (日本型、島嶼型)とインディカ種 (インド型、大陸型)という分類が広く知られている。

 稲の食用部分の主 成分であるでんぷんは、分子構造の違いからアミロースとアミロペクチンに別けられる。お米の食感は、両者の含有配分によって大きく異なる。すなわちアミロース含量が少ないお米は加熱時にやわらかくモチモチした食感になり、アミロース含量が多いとパサパサした食感になる。日本人の食文化では、低アミロースのお米を「美味しい」と感じる。この好みは、世界的には少数派となっている。通常の米は20%程度のアミロースを含んでいるが、遺伝的欠損によりアミロース含量が0%の品種もあり、これがモチ性品種で、モチ性品種が栽培されている地域は東南アジア山岳部の照葉樹林帯に限定されている。その特異性から、その地域を「モチ食文化圏」と呼称されることがある。日本列島自体が西半分を「モチ食文化圏」と同じ照葉樹林に覆われており、またハレの日にもち米を食べる習慣がある(オコワ、赤飯、お餅)ことから、日本文化のルーツの一つとして注目された。


◇生活する花たち「蓮の花・のうぜんかずら・ブラックベリー」(横浜市港北区箕輪町)
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『旬菜膳語』所感/12月4日(木)

2008-12-04 16:47:34 | 本を読んで
 著者は、林望。リンボウ先生と称されているようであるが、国文学出身の書誌学者。文献学者。図書、書物についてその書物の成り立ちや、起源などを研究する学問のようだ。日本の古典や古書、文学書は言うに及ばず、中国のものにも、ヨーロッパのものも広く研究を拡げられているようだ。それを総動員して書かれた本で、その博学と文章の軽妙さには、都会人のよさがあって、たのしく読める。『イギリスはおいしい』に継いで出された本で、「イギリスはおいしい。日本はもっとおいしい。」と帯にある。
 著者も漱石と同じように、イギリスに留学する。そして日本の良さを思うのである。留学中、胆嚢の病気をした著者は、食事に油を絶たねばならず、さりとて、仕事があって帰国できず、イギリスで暮らさざるを得なくなった。レストランで油抜きの料理を注文するが、上等のオリーブオイルだから体によいといって、茹で野菜や茹で魚にオイルがかかっていたりして、希望の食事を呈してもらうことはなかった。一度だけ油抜きの料理と言って出されたものは、塩胡椒さえしていない、ただのボイル野菜。シェフの発想の貧弱さを嘆く。彼らのノウミソを疑う。つまり、こういったことに対して、食文化がないということである。それに比べ、日本の食文化のゆたかさは、比類ないものだと述べる。
 この本は、春の巻、夏の巻、秋の巻、冬の巻と四季にわかれ、それぞれ、旬のものがこれまた博識をもって採り上げれている。その中のどの項目から読んでもよい。読めば、食は文化であり、文化は生活の智恵や工夫、または偶然が生んだものの継承を繋いでいくことがら生まれることをよく知らされる。四季があり、海に囲まれ、また山も野もあり、田もある、水もある土地が育む文化である。ところが、現代の人たちは、このよい食文化を忘れかけている。もう一度その良さを知れと言うのである。俳句がさまざま採り上げられているのもこの本の妙味であるが、昨今の著名俳人の俳句の引用が一つもない。このことは、すでに著者のいう、伝統的日本文化の髄が消えていることを示しているように、私には思える。巻端にかえてとして「四時偶吟」として著者の俳句があるから、俳句眼を尊重したい。

(一)
 先ず、春の巻の「桜鯛のころ」を挙げる。百魚はそれぞれ良さがあって、食べ飽きることはないが、もっとも味わい深きは鯛であるという著者。鯛と言えば、瀬戸内の桜鯛が思い浮ぶ。鯛網で有名な鞆の浦の岬を回ったところで育った私は、鯛は懐かしい、本書の話も懐かしい。鯛を一匹食することは、文化を食することである。身辺の生活記憶を織り交ぜて読むと、鯛にまつわる歴史の深さが思われる。辻嘉一の『味覚三昧』にある鯛を食べる醍醐味。石黒庄吉の『くらしの中の魚』の、浮き鯛の話。桜鯛について魚見吉晴『漁師の食卓』の話など、通なれば知ることである。通にある文化が大事なのである。『永代蔵』などにあらわれた江戸と京や大阪での鯛を買う際の気質まで、俳句や川柳を採り上げて、話がくり広げられる。食通としてしられた池波正太郎の『池波正太郎のぞうざい料理帖』の鯛のおいしい食べかたを挙げ、「鯛の刺身と温い飯」のうまさを称えて終る。
以下作業中

『旬菜膳語』
林望著(岩波書店2008年10月24日発行1800円+税)
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