晴れ
朝顔をコップに挿せば水が澄み 正子
直木賞の本が派手なり夏休み 正子
夕暮れて戻る晩夏のわが家路 正子
●月曜日。なにかと、「始めなければ」と思うが朝から眠い。今朝も昨日と同じ、小澤征爾指揮の「ザ・グレート」を聞いていたが、ついに眠りこむ。目が覚めると、口内炎の痛みがかなり良くなっている。やはり、休むに限るのだろう。
●7月19日から読み始めたモリスの『アイスランドへの旅』(A JOURNAL OF TRAVEL IN ICELAND 1871)を読み終わる。レイキャビックとオーロラしか知らなかったアイスランドだったが、野営と農家などに泊まりながら馬30頭を連れた男4人とガイド二人の、荒々しい自然の旅は、明治時代初めのこととは言え、半ば、共に行動している気持ちになった。特におもしろいのは、農家や牧師の家に泊まり、その家の銀のスプーンや主婦の編んだソックスを買ったり、牧師には古い写本をいらないかと勧められたりするところ。キャンプ地では千鳥や雷鳥を撃ち、鱒を釣り、それを食事に供することなど。今では経験できそうにない。
今はアイスランドでは、みんな英語を上手に話すようだが、モリスが旅した当時は、英語が通じなくて、それが、どこかこの旅日記を面白くしている。モリスはアイスランド語を勉強して旅立っているが、私もほんの少しアイスランド語を知るようになった。多くの人が知らない言語を知ったのも、小鳥の会話を小耳に挟んだ感じがする。
モリスはこの旅日記を表すために、一日の終わりにノートに克明に記録している。そして2年後の1873年、次のアイスランドへの旅に出る直前に清書をし終え、友人のバーン・ジョーンズ夫人へプレゼントされたとのことで、生前は出版されていない。
私はイギリスの旅日記、尾瀬の旅日記を水煙と花冠に掲載しているが、その二つは前半のみである。後半をまだ書いていない。ドイツの旅は時々思い出して書く程度で全くと言っていいほど書いていない。今思えば旅の一日の終わりに、きちんとノートにメモを残し、旅を終えて落ち着いて清書すべきだったと思う。
今ひとりの暮らしになって、自分に何が残されているかと言えば、すべてが何もなく、「書く」ことだけしか残っていないと思える。ガラスペンがインクを含んでいる間は書けると言う類のものにすぎないが。