俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

9月9日(月)

2024-09-09 08:55:45 | 日記
晴れ、のち曇り
朝顔の葉の上黒き雲が満ち    正子
ベランダの狭き空にも秋の雲   正子
日日草如雨露の水に散りやすく  正子

●9月月例ネット句会入賞発表
https:/blog.goo.ne.jp/kakan02d

●自由な投句箱に『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著)から、その日の俳句を一句ずつ貼り付けている。平成17年8月28日発行なので西暦では2005年。この日から19年経って、取り上げた俳句の古さを毎日感じながら貼り付けている。選んだときは十分新鮮だったのに、なぜかと思っている。

「インターネット俳句センター」を開設したのが1996年なので、この時はすでにインターネットを使いはじめて丸9年経っているから、「ネット社会」という社会への変化でもないだろう。詠む対象に変化があるのかもしれない。人間の心のありようの変化かも知れない。

信之先生が遺しているリルケの作品集を開いて、はじめの2篇の小さい詩を読むことができた。一日一篇を読んだのだ。1885年、リルケが20歳の時の作品の最初の2篇「古い家で」と「小さい地区」と言う題名の詩で、リルケが生まれた街プラハを詠んでいる。プラハはどんな街なのだろう、ニコライ堂の緑青色の塔はどんな様子なんだろうとか、小さな街の切妻屋根の間から見える小さい空はどんなに可愛くてきれいなんだろうとか、想像するのが楽しくなる。古都の風景かもしれないが、この詩が古いと言う印象はない。(このころのプラハをこの詩に詠んだが、後年様変わりしたプラハを好きではなかったようだ。)

芭蕉の俳句はリルケよりもっと古いが、古いには古いが、古くて萎んできた印象はない。なにがそうさせているのか、知りたいもの。よく「人間の普遍的なテーマ」を取り扱っているので古びないと言うことが言われる。これが当たっているようで実はよくわからない。
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