●俳句の旅/伊豆修善寺梅林~伊豆南部河津桜
①平成23年2月22日
◇伊豆修善寺
梅と桜を一度に見る旅に句美子が連れて行くというので、誘いにのる。桜は河津桜。宿は、西伊豆の今井浜東急リゾートという。梅林は、熱海か修善寺かと聞くので、修善寺がよさそうだと二人旅に出かけた。新横浜から新幹線こだまに乗り、三島近くに残雪の富士を大きく見て、三島で下車。三島から伊豆箱根鉄道で修善寺に向かう。修善寺までは、先頭車両の最前席で、揺れながらも、まっすぐな線路を見ながらの旅。後ろを振返ると、いつも富士山がある。
修善寺駅に到着してから、修善寺梅林へすぐ向かう。修善寺駅から東海バスの「もみじ林行」に乗る。この終点となっているもみじ林に梅林がある。梅見に行く老婦人たちが乗っているが、途中、梅林ではないところで、なんども降りようとする。運転手は、観光案内も兼ねて、そのたび、ここは違う、終点で降りると案内する。立てば、よろけないように注意する。もみじ林で下車。入り口の蕎麦屋と、四十八ヶ所の札所の小さい菩薩の石碑を一つを過ぎて山道を梅林へ。三ヘクタールあるという梅林。歩くと落葉樹が葉を落として、日がよく降り注いでいる。もみじ林の名の由来がわかる。若楓のころは、美しいことだろうと思いながら歩く。ほどなく、右手に西梅林の入り口がある。数歩入れば、漂う梅の花の香り。ここの梅の木はどれも古木。幹はウメノキゴケが覆っている。百年の古木もある。樹のかたちも写真家が喜びそうな形が多くある。梅林の中の竹林は竹の秋。紅白の梅の花の後ろの竹の秋は色がつやつやとしている。梅林は丘となったりしている。丘に登れば、何か見えそうだ。登って見る。伊豆の高い山々が見える。
◇伊豆修善寺梅林
丘を降りて谷を下ると東梅林へ。こちらは、修善寺温泉へ通じる道らしい。文人の句碑もある。石の鳥居を潜ってさらに下り、温泉への分かれ道のところから、また登る。すると、戸外に太い薪を組んで、大きな炉をつくり、鮎を串刺しにして焼いている。一匹が六百円。一本ずつ食べる。腸までがおいしく食べれる。寒いので炉のほとりに近寄りたいが、火の粉が散って服に穴が開くのでいけないという。食べ終われば、ポリタンクのお湯で手が洗える。鮎を食べて、また梅林を。今度は、雪どけのあと、ますます葉の色が青くなった水仙の小道がある。ここを辿り、もとの西梅林へ。だれか少し上から不意に現れ驚くが、写真を撮っていたらしい。気づくと富士山の山頂が見えている。ちょうどその人がいた場所が富士見には一番良いところだ。写真はもっぱら句美子が撮っているが、富士を収めて来た道をバス停まで下る。バスが来るまで二十分ほど。山すそにパンジーや菜の花の花壇があって、三椏の花が咲いている。咲いているものは、黄色い花簪のようで、かわいらしい。
◇三椏の花(伊豆修善寺梅林)
来たバスに乗り、修善寺温泉まで。みゆき橋で下車。それから温泉街へ入る。句美子が目当とする蕎麦屋が見つからず、店に寄りながら歩く。修善寺に来たからには、修善寺に参らねば。御手洗は、温泉のお湯。賽銭をあげ、本堂を見る。きれいな本堂で、天井には花の絵がある。消えそうな絵もあって、つつましい。弘法大師の立像が庭にある。ちょうど年に二回のお寺の庭の公開期間中にあたっていた。旅館のおかみが持ち寄った雛人形が飾ってある。吊るし雛も部屋ごとに飾られている。吊るし雛はなにか強すぎる縮緬の色に情念あるようで、敬遠して、廊下から庭を見る。こじんまりとした鶴や亀、龍に見立てたもの石や滝を配している。滝の落ちるあたりに菖蒲らしき芽が見える。花が咲くときれいでしょう、と言うと、「いいえ、この庭は花を咲かせません。さつきでも花芽を摘んでしまいます。庭の形が崩れますから。」ということであった。住職の部屋からが正面となっている。写真で外から見るよりは、よい寺であった。
◇伊豆修善寺
寺を出て温泉街を歩く。からからと落葉が舞う。源氏にまつわる建物、墓がある。温泉街も終わりかというところに、目当ての屋台の蕎麦屋があった。よしずで囲った蕎麦屋である。二人ほど待って中に入る。寒いので暖かい蕎麦にしたいところだが、生わさびを摺ってくれるので、わさび食べたさにざるを頼む。ちょうど私たちの前で蕎麦が無くなたのでこれから捏ねるという。ずいぶんお腹をすかせてきたのに、捏ねて、切って、ゆでるとは。塗りの捏ね鉢にそば粉を入れて数分押しながら捏ね、それを秤ではかり筒へ入れ、ゆで釜の上の機械に入れた。すると、するすると蕎麦が出てきて、それをすぱっと包丁で切って、釜の湯へ落とす。わさびを客に摺らせたり、店自慢をしている間に出来上がる。地のりをかけてくれて出された。蕎麦つゆに柚子のかけらを入れてくれた。椿山荘の蕎麦と同じくらいおいしいといっておいた。一律500円。
屋台を出て、竹林へ。桂川が流れ、渡月橋がある。京都をまねているようだ。橋を渡り、独鈷(とっこ)の湯へ。弘法大師が独鈷を突き刺してお湯が出たところで、川に突き出していて、今は足湯処。川を眺めながら足湯につかる。四十五度以上はありそうなお湯。長く、ずっと浸かっていた。独鈷の湯を出て、温泉街へ。温泉饅頭は売り切れ。大杉で有名な日枝神社前の店で、「えびぽん」という桜海老のはいったぽんせんべい買う。伊豆には、千年の大木が多いらしい。その土産をもって、修善寺駅へ戻り、河津行きのバスに乗る。天城峠を越えて、1時間半ほどのバスの旅である。
バスは、若い句友の智久さんの住む湯ヶ島を通り、浄蓮の滝などを通り天城峠を越えて行く。天城峠近くに山葵田を見た。あまりに急峻なところにある小さな田に驚く。沢に作られたようで、水が零れ落ちている。天城峠を越えるころは、私たち二人以外に一人お客がいるだけになった。ループ橋という、奈落に底に落ちそうな橋をぐるぐると下っていって、河津七滝(かわづななだる)などを通り、川沿いに続く河津桜を見ながら河津駅に到着。四時半ごろだったろう。それから、海はどちらか方向を確かめ、少々街中を歩き、海沿いの遊歩道を伝って、今井浜のホテルへ。風が荒く、どおっと寄せて、白い飛沫散らす波が恐ろしい。山側は、河津桜がよく咲いて、椿も咲いている。これだけの風があっても暖かいのだろう。二十分ほど歩いてホテルに着く。送迎バスでなく、遊歩道を歩いたのは正しかった。
野に飛べる春鶺鴒や修善寺へ
修善寺の街のこぞって雛飾る
蕎麦に摺る山葵のみどり春浅し
春浅し川に突き出す足湯なり
紅梅がかすみ白梅がかすみ
梅林の丘をのぼりて伊豆連山
鮎を焼く炉火に手を寄せ暖をとり
梢より富士の雪嶺に風光る
わさび田の田毎に春水こぼれ落つ
天城越ゆ春の夕日の杉間より
山々の春は名ばかり天城越ゆ
◇伊豆修善寺梅林
②平成23年2月23日
◇朝の今井浜からの相模湾を臨む・河津川の桜並木(伊豆南部河津町)
ホテルの名は、「今井浜東急リゾート」。シンボルマークがストレチア(極楽鳥花)の花。オレンジ色にどこかに明るい青がある。ホテルのフロントの女性のスカーフもオレンジと明るい青。五時前のチェックインとなった。食事は五時半を指定しておいたとホテルの係り。七時十五分から、夜桜見物の送迎バスが出るので、受け付けるという。まずは、六階の部屋に。部屋は、全室海に向いている。カーテンを開ければ、ビーチに寄せる荒い波が見える。ホテルの用意したさくらまんじゅうとさくら煎餅をお茶でいただく。少し休んだあと食事に。和食を頼んだというのでどういう料理か楽しみにした。先付けに豆乳玉子の葛あんかけが出て、ほどよく体があたたまった。わさびの葉のてんぷらがあったが、辛くもなく、味というほどの味はなかった。フロントは三階にあったが、レスランは一階。ビーチの境のホテルの庭には松の木があって、篝火が焚かれているが、炎が風で飛んでいる。ずいぶん日が長くなって、六時ごろもまだ浜は明るい。食事を終えて、部屋へ。夜桜見物までは、少し時間がある。コーヒーを飲みながら、椅子に座ってテレビを見ているとニュージーランドの地震報道。しかしながら、突然の睡魔。句美子によると、十五分ぐらいぐっすり寝ていたらしい。
夜桜見物には暖かくして出かける。一月の吟行で懲りたので、帽子、手袋は必携。ホテルのマイクロバスに乗って、五分ほどで河津駅に着く。河津駅から少し歩くと河津川に出て、その岸に三キロに渡って桜がある。夜桜はすべてライトアップされているわけではないようだ。橋の袂から河口へ向かって土手を歩き始める。三百メートルもしないうちに潮の香りがしてきた。ライトアップされた桜は、オレンジっぽく見える。緋寒桜と大島桜の自然交配種が河津桜ということなので、色が濃く、一か月近くも散らないという。途中から橋を渡って、民家が並ぶ土手を歩く。そこから空を見上げると、オリオン座の星雲までがくっきり見える。星がきれいに見えるところらしい。そして元の橋の袂へ。そこでホテルでもらった写真撮影のサービス券で、句美子と夜桜の下で記念写真を撮ってもらった。「河津桜まつり」と記録入り。会場近くに大きなスーパーがあって、句美子がそこで、鯵のひらきと、地のりと、桜あんの小さいどら焼きを買った。夜桜見物はそれだけにして、随時運行されている迎えのマイクロバスでホテルへ。鯵のひらきは冷蔵庫へしまう。よやく温泉に浸かる。すっかり暮れているので、露天風呂からは、星空と波の打ち寄せるどどっという音だけ。今夜はそこそこ温まって、明日の朝のお湯を楽しみ出る。
◇夜桜(伊豆南部河津町)
朝の温泉を楽しみに目覚ましをかけたが、眠すぎる。健康をとるべきか、温泉を楽しむか考えているうちに、再び、眠ってしまった。起きてカーテンを開けると、まぶしくて目が開けておれない。ちょうど真東に昇った太陽で海は灰色の光となっている。出発準備をしてから、庭に続くレストランで朝食。ブッフェなのだが、席に着くとすぐにボーイさんが、コーヒーを入れてくれた。句美子はミルクティー。ポトフの小ぶりにきった野菜がおいしい。大根、セロリー、ブロッコリーなど地元の野菜。それに白菜のコールスローも。普通はキャベツのところが、白菜。朝食後は、部屋に帰らず、庭を伝ってビーチへ。庭にストレチアの花が咲いている。プールにも水が貯められてきれいに澄んでいる。砂浜に出るとちょうど引き潮。貝のいるらしい穴がいくつも。人の足跡も。いのししの足跡と早合点してしまった大型犬の足跡などがある。ホンダワラなどの海草がところどころに打ち上げられている。ビーチの端の岩場に来たので引き返す。波打ち際を歩いて波に追いかけられた。危うく足を濡らすところ。誰一人いない砂浜だが、ただ一人カメラを持った人が通りすがっていった。朝のビーチの散策は温泉に匹敵すると、朝湯に行かなかった理由になった。ぐるっと回って行くと、きのう辿って来た遊歩道に出た。遊歩道をまた少し歩き桜や椿をきのうと同じように見て、浜へ引き返し、ホテルの部屋へ。バルコニーから句美子がビーチの写真を撮った。
◇朝の今井浜からの相模湾を臨む(伊豆南部河津町)
河津の桜まつりは朝九時から屋台が揃う。ホテルのマイクロバスで、二人だったが、河津駅まで運んでもらう。きのう来るときに桜は見たのでもうよいような気がしたが、朝の川岸の桜と菜の花がすがすがしい。河津川の水のきれいなこと。鮎が釣れるようだ。川の鴨が泳ぐ水かきまでもがよく見える。鶺鴒がいくらでもいる。桜や菜の花を見ながら歩く。途中のさくら足湯というところで、足湯をたのしむ。修善寺の独鈷の湯よりもぬるい。桜まんじゅう、さくらえびせんべい、栗ぽん、おやき、桜の苗木、吊るし雛などを売る屋台が続く。黒眼がねをかけ、黄色い服のイタリア人夫婦の屋台もある。つぶあんのよもぎのおやきをほおばる。桜海老せんべいを買う。川岸を上流へ、人がまばらになるところまでずいぶん歩いた。河津桜の絵を描いて売る人もいる。買う人もいる。「踊り子温泉会館」まで来た。近くに峰温泉という温泉がある。三十メートルほど温泉が噴きあがるのが売りもの。次の噴き上げは十二時三十分だという。三十分ほど待つ間、篭に卵を入れて、温に浸けて温泉玉子を作る。待ってる間も少し寒いので足湯をする。東洋一という温泉の噴き上げを見てそこを出る。バス停近くの店でケーキとコーヒー。来たバスに乗って、河津駅まで。見事な桜の原木がバスの窓から見えた。二十分ほど乗ったろうか、河津駅に着くとさすがにお腹が空いている。これから電車で帰途に着くわけだが、残っている駅弁は、この時間では、さざえ弁当だけ。わっぱ風の折に入って、さざえとひじきが載せてある。それを持って普通電車に乗る。三時間あれば帰れるので、踊り子号にも、スーパービューにも乗らないで、鈍行で帰る。二時四十六分発の熱海行。熱海からは、JRの快速アクティ東京行で横浜まで。相模湾が見える方、つまり行き手右側に席をとった。
◇河津桜(伊豆南部河津町)
鈍行の旅はいかに。花見客が大勢いた駅も乗ってみれば、席は空いている。二人掛けの椅子に並んで駅弁を開いて食べていると、反対側の横長い椅子のおじさんが声を掛けてきた。「河津桜を見に行ったの。どこから来たの。」自分たちは男六人、仕事明けで花見に来て帰るところだという。そして、「おーい、みんなこっちへおいでよ。」と仲間を誘う。一人背の高い、六十過ぎの緑色のマフラーを巻いた人がやってきた。「親子で旅行ですか。お父さんはお仕事?」と聞く。句美子が「はい、そうです。」と答える。話はそれきり。すると向こうへ行って桜まんじゅうを持ってきて食なさいという。いただく。もうひとつ食べなさいという、またいただく。「うちには、息子と娘がいるが、二人ともフリーターでね。職がないんだが、若いものは、一度就職すると、そこをやめないんだって。」「お嬢さんは、学生さん?」「いいえ、社会人です。」「そうか、今度就職するのかね。」「いいえ、四年目です。」「そうか、二年目か。」と少しちぐはぐな話が続く。すると、もう一人やせた人がやって来て、前の座席に座った。「私は、東京出身で、ギタリストになるつもりだったんだが、左人差し指が曲がらなくなってね、有楽町のそごうの店員になったんだよ。でもさ、性に合わなくてやめて、指の治療も兼ねて熱海にやってきて、ホテルマンを昭和四十五年から定年までしたよ。」「じゃ、六十四,五歳ですか。」と私。みんなが笑った。「私は七十二歳ですよ。」と帽子を取って頭を見せてくれた。銀髪がうすく透けている。ホテルマンらしくスマートな身のこなし。「ホテルでは営業のフロントをやらなくては、一人前ではないよ。」「フロントは、本根のところお客の何を見ているんですか。」と私。「それは、お客様が何を要望しておられるかを見ていますよ。」と模範回答。職業が身についておられる。やがて熱川を過ぎる。今度は、入れ替わり、みんなをこっちへ来いと呼んだ人が前の席に来た。来たとたん、手に持っていたビール缶を転がしたので、大変。ティッシュだのを総動員して、床にこぼれたビールを拭いた。私たちが四国から引っ越してきたというと、宇和島と道後温泉に行ったことがあるという。自分は東京出身で家も東京にあるが、女の人ばかりが住む家にして貸すことにしていると言った。そして、自分たちは小田原あたりに皆住んでるんだよ。小田原に家を買いなさいという。もとの席に帰って、リュックから、「うちの母ちゃんは仕事だよ。事務所のおばちゃんより、かわいいよ。」と言いながら、ごそごそとゆで卵を二つ出して、食べなさいという。いただいて食べる。すると、さっきの背の高い男の人からだと「ぽん栗」という焼き栗を二つ言付けて来た。これもいただく。そして、あとからその人が来て、「男は、性格だよ。女好きと、ばくち好きはだめ。家は、普通に働いてりゃ、だれでも持てるよ。」という。「俺たちは退職してから男ばかりで仕事をやってんだよ。」「NPOかなにかですか。それとも、男ばかりで会社を興したとか。」と私。「そんな大したことはやってないよ。料金所で働いてんだ。真鶴のさ。」「料金所には何人くらいいるんですか。」「みんなで四十人くらいかな。」「そんなに。」「そうさ、一日中車は通ってんだよ。四時間仮眠をするがね、寝た気にはならないよ。」初島が見えたとき、皆で「初島だ、初島だ」と窓から島を見ていた。伊豆高原駅に来たとき、「伊豆高原もこのごろはさっぱりさ。すがすがしいところだったが。」こんな話が続いて、終点の熱海が近づいた。誰か、どこかで見たことのあるような人ばかりであった。同じ花見帰りということか、母と娘の旅ということか、鈍行の旅のおかしさであった。海沿いの景色はどうだったのか気になったが、ずっと同じような景色だったよ、と句美子が言う。熱海からは、JRで横浜まで。それから東横線で日吉、日吉本町といつものコースで帰宅。夕食は早速土産を取り出して、鯵のひらきを焼いたり、せんべいやどら焼きや飴やと、あれもこれもと食べた。 梅と桜を見る旅であった。なお深く印象に残るのは、井上靖の「しろばんば」に書かれた湯ヶ島の暮らしの風景、天城の山葵田、今井浜ビーチ、鶺鴒が飛び交う清流である。それに、花見帰りのお土産をいっぱい持った定年後の男たち。
怒涛とは椿桜に飛沫くとき
海に向き伊豆の椿の紅きなり
夜桜は紅かんざしのごと灯る
夜桜にオリオン星雲浮いてあり
重なりて透けることあり朝桜
菜の花に蛇行の川の青かりし
春浅き湯に聞くばかり波の音
春朝日海にのぼりて海くらし
春砂をゆきし足跡は浅し
引き潮の色こそ深き春の砂
早春の砂の風紋駈けてあり
鈍行の列車に剥ける春卵
(完)
◇河津桜・鷺・菜の花(伊豆南部河津町)
①平成23年2月22日
◇伊豆修善寺
梅と桜を一度に見る旅に句美子が連れて行くというので、誘いにのる。桜は河津桜。宿は、西伊豆の今井浜東急リゾートという。梅林は、熱海か修善寺かと聞くので、修善寺がよさそうだと二人旅に出かけた。新横浜から新幹線こだまに乗り、三島近くに残雪の富士を大きく見て、三島で下車。三島から伊豆箱根鉄道で修善寺に向かう。修善寺までは、先頭車両の最前席で、揺れながらも、まっすぐな線路を見ながらの旅。後ろを振返ると、いつも富士山がある。
修善寺駅に到着してから、修善寺梅林へすぐ向かう。修善寺駅から東海バスの「もみじ林行」に乗る。この終点となっているもみじ林に梅林がある。梅見に行く老婦人たちが乗っているが、途中、梅林ではないところで、なんども降りようとする。運転手は、観光案内も兼ねて、そのたび、ここは違う、終点で降りると案内する。立てば、よろけないように注意する。もみじ林で下車。入り口の蕎麦屋と、四十八ヶ所の札所の小さい菩薩の石碑を一つを過ぎて山道を梅林へ。三ヘクタールあるという梅林。歩くと落葉樹が葉を落として、日がよく降り注いでいる。もみじ林の名の由来がわかる。若楓のころは、美しいことだろうと思いながら歩く。ほどなく、右手に西梅林の入り口がある。数歩入れば、漂う梅の花の香り。ここの梅の木はどれも古木。幹はウメノキゴケが覆っている。百年の古木もある。樹のかたちも写真家が喜びそうな形が多くある。梅林の中の竹林は竹の秋。紅白の梅の花の後ろの竹の秋は色がつやつやとしている。梅林は丘となったりしている。丘に登れば、何か見えそうだ。登って見る。伊豆の高い山々が見える。
◇伊豆修善寺梅林
丘を降りて谷を下ると東梅林へ。こちらは、修善寺温泉へ通じる道らしい。文人の句碑もある。石の鳥居を潜ってさらに下り、温泉への分かれ道のところから、また登る。すると、戸外に太い薪を組んで、大きな炉をつくり、鮎を串刺しにして焼いている。一匹が六百円。一本ずつ食べる。腸までがおいしく食べれる。寒いので炉のほとりに近寄りたいが、火の粉が散って服に穴が開くのでいけないという。食べ終われば、ポリタンクのお湯で手が洗える。鮎を食べて、また梅林を。今度は、雪どけのあと、ますます葉の色が青くなった水仙の小道がある。ここを辿り、もとの西梅林へ。だれか少し上から不意に現れ驚くが、写真を撮っていたらしい。気づくと富士山の山頂が見えている。ちょうどその人がいた場所が富士見には一番良いところだ。写真はもっぱら句美子が撮っているが、富士を収めて来た道をバス停まで下る。バスが来るまで二十分ほど。山すそにパンジーや菜の花の花壇があって、三椏の花が咲いている。咲いているものは、黄色い花簪のようで、かわいらしい。
◇三椏の花(伊豆修善寺梅林)
来たバスに乗り、修善寺温泉まで。みゆき橋で下車。それから温泉街へ入る。句美子が目当とする蕎麦屋が見つからず、店に寄りながら歩く。修善寺に来たからには、修善寺に参らねば。御手洗は、温泉のお湯。賽銭をあげ、本堂を見る。きれいな本堂で、天井には花の絵がある。消えそうな絵もあって、つつましい。弘法大師の立像が庭にある。ちょうど年に二回のお寺の庭の公開期間中にあたっていた。旅館のおかみが持ち寄った雛人形が飾ってある。吊るし雛も部屋ごとに飾られている。吊るし雛はなにか強すぎる縮緬の色に情念あるようで、敬遠して、廊下から庭を見る。こじんまりとした鶴や亀、龍に見立てたもの石や滝を配している。滝の落ちるあたりに菖蒲らしき芽が見える。花が咲くときれいでしょう、と言うと、「いいえ、この庭は花を咲かせません。さつきでも花芽を摘んでしまいます。庭の形が崩れますから。」ということであった。住職の部屋からが正面となっている。写真で外から見るよりは、よい寺であった。
◇伊豆修善寺
寺を出て温泉街を歩く。からからと落葉が舞う。源氏にまつわる建物、墓がある。温泉街も終わりかというところに、目当ての屋台の蕎麦屋があった。よしずで囲った蕎麦屋である。二人ほど待って中に入る。寒いので暖かい蕎麦にしたいところだが、生わさびを摺ってくれるので、わさび食べたさにざるを頼む。ちょうど私たちの前で蕎麦が無くなたのでこれから捏ねるという。ずいぶんお腹をすかせてきたのに、捏ねて、切って、ゆでるとは。塗りの捏ね鉢にそば粉を入れて数分押しながら捏ね、それを秤ではかり筒へ入れ、ゆで釜の上の機械に入れた。すると、するすると蕎麦が出てきて、それをすぱっと包丁で切って、釜の湯へ落とす。わさびを客に摺らせたり、店自慢をしている間に出来上がる。地のりをかけてくれて出された。蕎麦つゆに柚子のかけらを入れてくれた。椿山荘の蕎麦と同じくらいおいしいといっておいた。一律500円。
屋台を出て、竹林へ。桂川が流れ、渡月橋がある。京都をまねているようだ。橋を渡り、独鈷(とっこ)の湯へ。弘法大師が独鈷を突き刺してお湯が出たところで、川に突き出していて、今は足湯処。川を眺めながら足湯につかる。四十五度以上はありそうなお湯。長く、ずっと浸かっていた。独鈷の湯を出て、温泉街へ。温泉饅頭は売り切れ。大杉で有名な日枝神社前の店で、「えびぽん」という桜海老のはいったぽんせんべい買う。伊豆には、千年の大木が多いらしい。その土産をもって、修善寺駅へ戻り、河津行きのバスに乗る。天城峠を越えて、1時間半ほどのバスの旅である。
バスは、若い句友の智久さんの住む湯ヶ島を通り、浄蓮の滝などを通り天城峠を越えて行く。天城峠近くに山葵田を見た。あまりに急峻なところにある小さな田に驚く。沢に作られたようで、水が零れ落ちている。天城峠を越えるころは、私たち二人以外に一人お客がいるだけになった。ループ橋という、奈落に底に落ちそうな橋をぐるぐると下っていって、河津七滝(かわづななだる)などを通り、川沿いに続く河津桜を見ながら河津駅に到着。四時半ごろだったろう。それから、海はどちらか方向を確かめ、少々街中を歩き、海沿いの遊歩道を伝って、今井浜のホテルへ。風が荒く、どおっと寄せて、白い飛沫散らす波が恐ろしい。山側は、河津桜がよく咲いて、椿も咲いている。これだけの風があっても暖かいのだろう。二十分ほど歩いてホテルに着く。送迎バスでなく、遊歩道を歩いたのは正しかった。
野に飛べる春鶺鴒や修善寺へ
修善寺の街のこぞって雛飾る
蕎麦に摺る山葵のみどり春浅し
春浅し川に突き出す足湯なり
紅梅がかすみ白梅がかすみ
梅林の丘をのぼりて伊豆連山
鮎を焼く炉火に手を寄せ暖をとり
梢より富士の雪嶺に風光る
わさび田の田毎に春水こぼれ落つ
天城越ゆ春の夕日の杉間より
山々の春は名ばかり天城越ゆ
◇伊豆修善寺梅林
②平成23年2月23日
◇朝の今井浜からの相模湾を臨む・河津川の桜並木(伊豆南部河津町)
ホテルの名は、「今井浜東急リゾート」。シンボルマークがストレチア(極楽鳥花)の花。オレンジ色にどこかに明るい青がある。ホテルのフロントの女性のスカーフもオレンジと明るい青。五時前のチェックインとなった。食事は五時半を指定しておいたとホテルの係り。七時十五分から、夜桜見物の送迎バスが出るので、受け付けるという。まずは、六階の部屋に。部屋は、全室海に向いている。カーテンを開ければ、ビーチに寄せる荒い波が見える。ホテルの用意したさくらまんじゅうとさくら煎餅をお茶でいただく。少し休んだあと食事に。和食を頼んだというのでどういう料理か楽しみにした。先付けに豆乳玉子の葛あんかけが出て、ほどよく体があたたまった。わさびの葉のてんぷらがあったが、辛くもなく、味というほどの味はなかった。フロントは三階にあったが、レスランは一階。ビーチの境のホテルの庭には松の木があって、篝火が焚かれているが、炎が風で飛んでいる。ずいぶん日が長くなって、六時ごろもまだ浜は明るい。食事を終えて、部屋へ。夜桜見物までは、少し時間がある。コーヒーを飲みながら、椅子に座ってテレビを見ているとニュージーランドの地震報道。しかしながら、突然の睡魔。句美子によると、十五分ぐらいぐっすり寝ていたらしい。
夜桜見物には暖かくして出かける。一月の吟行で懲りたので、帽子、手袋は必携。ホテルのマイクロバスに乗って、五分ほどで河津駅に着く。河津駅から少し歩くと河津川に出て、その岸に三キロに渡って桜がある。夜桜はすべてライトアップされているわけではないようだ。橋の袂から河口へ向かって土手を歩き始める。三百メートルもしないうちに潮の香りがしてきた。ライトアップされた桜は、オレンジっぽく見える。緋寒桜と大島桜の自然交配種が河津桜ということなので、色が濃く、一か月近くも散らないという。途中から橋を渡って、民家が並ぶ土手を歩く。そこから空を見上げると、オリオン座の星雲までがくっきり見える。星がきれいに見えるところらしい。そして元の橋の袂へ。そこでホテルでもらった写真撮影のサービス券で、句美子と夜桜の下で記念写真を撮ってもらった。「河津桜まつり」と記録入り。会場近くに大きなスーパーがあって、句美子がそこで、鯵のひらきと、地のりと、桜あんの小さいどら焼きを買った。夜桜見物はそれだけにして、随時運行されている迎えのマイクロバスでホテルへ。鯵のひらきは冷蔵庫へしまう。よやく温泉に浸かる。すっかり暮れているので、露天風呂からは、星空と波の打ち寄せるどどっという音だけ。今夜はそこそこ温まって、明日の朝のお湯を楽しみ出る。
◇夜桜(伊豆南部河津町)
朝の温泉を楽しみに目覚ましをかけたが、眠すぎる。健康をとるべきか、温泉を楽しむか考えているうちに、再び、眠ってしまった。起きてカーテンを開けると、まぶしくて目が開けておれない。ちょうど真東に昇った太陽で海は灰色の光となっている。出発準備をしてから、庭に続くレストランで朝食。ブッフェなのだが、席に着くとすぐにボーイさんが、コーヒーを入れてくれた。句美子はミルクティー。ポトフの小ぶりにきった野菜がおいしい。大根、セロリー、ブロッコリーなど地元の野菜。それに白菜のコールスローも。普通はキャベツのところが、白菜。朝食後は、部屋に帰らず、庭を伝ってビーチへ。庭にストレチアの花が咲いている。プールにも水が貯められてきれいに澄んでいる。砂浜に出るとちょうど引き潮。貝のいるらしい穴がいくつも。人の足跡も。いのししの足跡と早合点してしまった大型犬の足跡などがある。ホンダワラなどの海草がところどころに打ち上げられている。ビーチの端の岩場に来たので引き返す。波打ち際を歩いて波に追いかけられた。危うく足を濡らすところ。誰一人いない砂浜だが、ただ一人カメラを持った人が通りすがっていった。朝のビーチの散策は温泉に匹敵すると、朝湯に行かなかった理由になった。ぐるっと回って行くと、きのう辿って来た遊歩道に出た。遊歩道をまた少し歩き桜や椿をきのうと同じように見て、浜へ引き返し、ホテルの部屋へ。バルコニーから句美子がビーチの写真を撮った。
◇朝の今井浜からの相模湾を臨む(伊豆南部河津町)
河津の桜まつりは朝九時から屋台が揃う。ホテルのマイクロバスで、二人だったが、河津駅まで運んでもらう。きのう来るときに桜は見たのでもうよいような気がしたが、朝の川岸の桜と菜の花がすがすがしい。河津川の水のきれいなこと。鮎が釣れるようだ。川の鴨が泳ぐ水かきまでもがよく見える。鶺鴒がいくらでもいる。桜や菜の花を見ながら歩く。途中のさくら足湯というところで、足湯をたのしむ。修善寺の独鈷の湯よりもぬるい。桜まんじゅう、さくらえびせんべい、栗ぽん、おやき、桜の苗木、吊るし雛などを売る屋台が続く。黒眼がねをかけ、黄色い服のイタリア人夫婦の屋台もある。つぶあんのよもぎのおやきをほおばる。桜海老せんべいを買う。川岸を上流へ、人がまばらになるところまでずいぶん歩いた。河津桜の絵を描いて売る人もいる。買う人もいる。「踊り子温泉会館」まで来た。近くに峰温泉という温泉がある。三十メートルほど温泉が噴きあがるのが売りもの。次の噴き上げは十二時三十分だという。三十分ほど待つ間、篭に卵を入れて、温に浸けて温泉玉子を作る。待ってる間も少し寒いので足湯をする。東洋一という温泉の噴き上げを見てそこを出る。バス停近くの店でケーキとコーヒー。来たバスに乗って、河津駅まで。見事な桜の原木がバスの窓から見えた。二十分ほど乗ったろうか、河津駅に着くとさすがにお腹が空いている。これから電車で帰途に着くわけだが、残っている駅弁は、この時間では、さざえ弁当だけ。わっぱ風の折に入って、さざえとひじきが載せてある。それを持って普通電車に乗る。三時間あれば帰れるので、踊り子号にも、スーパービューにも乗らないで、鈍行で帰る。二時四十六分発の熱海行。熱海からは、JRの快速アクティ東京行で横浜まで。相模湾が見える方、つまり行き手右側に席をとった。
◇河津桜(伊豆南部河津町)
鈍行の旅はいかに。花見客が大勢いた駅も乗ってみれば、席は空いている。二人掛けの椅子に並んで駅弁を開いて食べていると、反対側の横長い椅子のおじさんが声を掛けてきた。「河津桜を見に行ったの。どこから来たの。」自分たちは男六人、仕事明けで花見に来て帰るところだという。そして、「おーい、みんなこっちへおいでよ。」と仲間を誘う。一人背の高い、六十過ぎの緑色のマフラーを巻いた人がやってきた。「親子で旅行ですか。お父さんはお仕事?」と聞く。句美子が「はい、そうです。」と答える。話はそれきり。すると向こうへ行って桜まんじゅうを持ってきて食なさいという。いただく。もうひとつ食べなさいという、またいただく。「うちには、息子と娘がいるが、二人ともフリーターでね。職がないんだが、若いものは、一度就職すると、そこをやめないんだって。」「お嬢さんは、学生さん?」「いいえ、社会人です。」「そうか、今度就職するのかね。」「いいえ、四年目です。」「そうか、二年目か。」と少しちぐはぐな話が続く。すると、もう一人やせた人がやって来て、前の座席に座った。「私は、東京出身で、ギタリストになるつもりだったんだが、左人差し指が曲がらなくなってね、有楽町のそごうの店員になったんだよ。でもさ、性に合わなくてやめて、指の治療も兼ねて熱海にやってきて、ホテルマンを昭和四十五年から定年までしたよ。」「じゃ、六十四,五歳ですか。」と私。みんなが笑った。「私は七十二歳ですよ。」と帽子を取って頭を見せてくれた。銀髪がうすく透けている。ホテルマンらしくスマートな身のこなし。「ホテルでは営業のフロントをやらなくては、一人前ではないよ。」「フロントは、本根のところお客の何を見ているんですか。」と私。「それは、お客様が何を要望しておられるかを見ていますよ。」と模範回答。職業が身についておられる。やがて熱川を過ぎる。今度は、入れ替わり、みんなをこっちへ来いと呼んだ人が前の席に来た。来たとたん、手に持っていたビール缶を転がしたので、大変。ティッシュだのを総動員して、床にこぼれたビールを拭いた。私たちが四国から引っ越してきたというと、宇和島と道後温泉に行ったことがあるという。自分は東京出身で家も東京にあるが、女の人ばかりが住む家にして貸すことにしていると言った。そして、自分たちは小田原あたりに皆住んでるんだよ。小田原に家を買いなさいという。もとの席に帰って、リュックから、「うちの母ちゃんは仕事だよ。事務所のおばちゃんより、かわいいよ。」と言いながら、ごそごそとゆで卵を二つ出して、食べなさいという。いただいて食べる。すると、さっきの背の高い男の人からだと「ぽん栗」という焼き栗を二つ言付けて来た。これもいただく。そして、あとからその人が来て、「男は、性格だよ。女好きと、ばくち好きはだめ。家は、普通に働いてりゃ、だれでも持てるよ。」という。「俺たちは退職してから男ばかりで仕事をやってんだよ。」「NPOかなにかですか。それとも、男ばかりで会社を興したとか。」と私。「そんな大したことはやってないよ。料金所で働いてんだ。真鶴のさ。」「料金所には何人くらいいるんですか。」「みんなで四十人くらいかな。」「そんなに。」「そうさ、一日中車は通ってんだよ。四時間仮眠をするがね、寝た気にはならないよ。」初島が見えたとき、皆で「初島だ、初島だ」と窓から島を見ていた。伊豆高原駅に来たとき、「伊豆高原もこのごろはさっぱりさ。すがすがしいところだったが。」こんな話が続いて、終点の熱海が近づいた。誰か、どこかで見たことのあるような人ばかりであった。同じ花見帰りということか、母と娘の旅ということか、鈍行の旅のおかしさであった。海沿いの景色はどうだったのか気になったが、ずっと同じような景色だったよ、と句美子が言う。熱海からは、JRで横浜まで。それから東横線で日吉、日吉本町といつものコースで帰宅。夕食は早速土産を取り出して、鯵のひらきを焼いたり、せんべいやどら焼きや飴やと、あれもこれもと食べた。 梅と桜を見る旅であった。なお深く印象に残るのは、井上靖の「しろばんば」に書かれた湯ヶ島の暮らしの風景、天城の山葵田、今井浜ビーチ、鶺鴒が飛び交う清流である。それに、花見帰りのお土産をいっぱい持った定年後の男たち。
怒涛とは椿桜に飛沫くとき
海に向き伊豆の椿の紅きなり
夜桜は紅かんざしのごと灯る
夜桜にオリオン星雲浮いてあり
重なりて透けることあり朝桜
菜の花に蛇行の川の青かりし
春浅き湯に聞くばかり波の音
春朝日海にのぼりて海くらし
春砂をゆきし足跡は浅し
引き潮の色こそ深き春の砂
早春の砂の風紋駈けてあり
鈍行の列車に剥ける春卵
(完)
◇河津桜・鷺・菜の花(伊豆南部河津町)