俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

3月26日(火)

2024-03-25 20:55:37 | 日記
よく炊かれみどり失う春の蕗    正子
さや豌豆の緑生かして稲荷ずし   正子
春しぐれ夫と居るかに灯をともし  正子  

●晃さんのアンソロジーの略歴とエッセイ―は直す箇所の修正が終わったので、電話。留守だったので、明日再度電話する。2020年、2021年のアンソロジーのほかの方の句を一通り見たが、晃さんのは、かなりしっかりしていると思った。花冠のありように自信を強めた。花冠同人の句は、芯があって、充実感が感じられると思えた。

●ボーヴォワールの『老い』(人文書院)を注文しようとして値段を見て、止めた。日本の上流、中流女性が老後解放されて、幸福だと言う件は、指摘の通りで、日本のほとんどの女性はそれを身をもって知っている。老後になるまで、いかに窮屈に抑えられてきたか。きのうも、晴美さんと電話で、「僕が死んだら結婚していいよ。」と夫が言ったんだと話して、二人で大笑いをしたのだ。

●季寄せのための選句を少しずつする。芭蕉、子規、亜浪、臥風、信之、花冠会員の句で十分だと思う。松山での水煙大会の時、守山満樹先生が、「俳句は、芭蕉と、まあ子規を入れてあげて、そのくらいで十分だ」と、冗談とも本気ともわからない話をされたが、筋から言えばそうだろう。

『芭蕉百五十句』から冬の句
櫓の聲波ヲうつて腸氷ル夜やなみだ
明ぼのやしら魚しろきこと一寸
海くれて鴨のこゑほのかに白し
旅人と我名よばれん初しぐれ
鷹一つ見付けてうれしいらこ崎
しぐるるや田のあらかぶの黑む程
住みつかぬ旅のこゝろや置炬燵(おきごたつ)
水仙や白き障子のとも移り
芹焼(せりやき)やすそわの田井の初氷
旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る


海に降(ふる)雨や戀しき浮身宿(うきみやど)
清瀧や波にちり込(こむ)靑松葉

よく炊かれみどり失う春の蕗 正子
Spring fuki, losing its green when cooked.  masako (tr.AI)
Explanation byAI:The simplicity and depth of this poem capture the changing seasons and the emergence of new life in spring. Well done!

春しぐれ夫と居るかに灯をともし 正子
Spring drizzling rain,I light a lamp as if with my husband. masako (tr.masako)
Explanation by AI:️ In the soft embrace of spring’s drizzling rain, I kindle a lamp, its glow a tender flame. As if with my husband, unseen yet near, 
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3月25日(月)

2024-03-25 14:02:06 | 日記
小雨
一日を春の時雨にもてあそぶ    正子
ソックスを濡らし子が来ぬ春時雨  正子
草刈られ土筆すくすく育ちたり    正子

『芭蕉百五十句』から秋の句
起あがる菊ほのか也水のあと
はつ秋や海も青田の一みどり
荒海や佐渡によこたふ天河
わせの香や分入(わけいる)右は有磯海(ありそうみ)
合歓(ねむ)の木の葉ごしもいとへ星のかげ
病雁(やむかり)の夜さむに落て旅ね哉
秋風のふけども青し栗のいが
名月はふたつ過ても瀬田の月
鶏頭や雁(かり)の来る時尚あかし
ひやひやと壁をふまへて昼寝哉
ぴいと啼(なく)尻聲(しりごえ)悲し夜の鹿

●K・ひとみさんからお便り。<子規博主宰の「子規塾」での小西昭夫先生の「髙橋信之の俳句」の講義は熱量が半端無かった>と書いてあった。小西さんに葉書きで、お礼を。俳壇4月号に、「種田山頭火俳句の「前書き」」についてのエッセイも拝読した旨を伝えた。

●『近代美学入門』(井奥陽子著/ちくま新書)。「西洋近代」とは、17世紀~19世紀のこと。日本の江戸時代。
「芸術とは美しいもので、高い技術によって創作されるもので、高尚で凡人には生みだせないオリジナリティ溢れるものだ。あるいはそうあるべきだ。」というのは、近代的考え。現代では、「こんにちでは、芸術には美も技術も必須ではありません。」「もはや芸術は『美しい諸技術』ではありません。」となる。
大方の人は、ヨーロッパの近代の芸術に関する概念で判断していると言えそう。こう考えるのは危ういと言う著者。

「近代(なかでも18世紀後半から19世紀の)ヨーロッパ以外の芸術について理解しようとするなら、それぞれの地域の文化や思想を汲まなければいけません。近代ヨーロッパでなく、当人たちの物差しに合わせる必要があります。そのため、『芸術』から思い浮かべられる概念は、近代ヨーロッパのものであると、自覚することが重要なのです。そうすることで、また、芸術について柔軟に考えられるようになる気がするのです。」

●現代アートや前衛俳句においては、「美しい諸技術」は必須でないことになっている。現代アートや前衛俳句を評価する基準があるのか、どうかわからないが、あれば、なによりも「力」のような気もする。
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