俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

3月25日(月)

2024-03-25 14:02:06 | 日記
小雨
一日を春の時雨にもてあそぶ    正子
ソックスを濡らし子が来ぬ春時雨  正子
草刈られ土筆すくすく育ちたり    正子

『芭蕉百五十句』から秋の句
起あがる菊ほのか也水のあと
はつ秋や海も青田の一みどり
荒海や佐渡によこたふ天河
わせの香や分入(わけいる)右は有磯海(ありそうみ)
合歓(ねむ)の木の葉ごしもいとへ星のかげ
病雁(やむかり)の夜さむに落て旅ね哉
秋風のふけども青し栗のいが
名月はふたつ過ても瀬田の月
鶏頭や雁(かり)の来る時尚あかし
ひやひやと壁をふまへて昼寝哉
ぴいと啼(なく)尻聲(しりごえ)悲し夜の鹿

●K・ひとみさんからお便り。<子規博主宰の「子規塾」での小西昭夫先生の「髙橋信之の俳句」の講義は熱量が半端無かった>と書いてあった。小西さんに葉書きで、お礼を。俳壇4月号に、「種田山頭火俳句の「前書き」」についてのエッセイも拝読した旨を伝えた。

●『近代美学入門』(井奥陽子著/ちくま新書)。「西洋近代」とは、17世紀~19世紀のこと。日本の江戸時代。
「芸術とは美しいもので、高い技術によって創作されるもので、高尚で凡人には生みだせないオリジナリティ溢れるものだ。あるいはそうあるべきだ。」というのは、近代的考え。現代では、「こんにちでは、芸術には美も技術も必須ではありません。」「もはや芸術は『美しい諸技術』ではありません。」となる。
大方の人は、ヨーロッパの近代の芸術に関する概念で判断していると言えそう。こう考えるのは危ういと言う著者。

「近代(なかでも18世紀後半から19世紀の)ヨーロッパ以外の芸術について理解しようとするなら、それぞれの地域の文化や思想を汲まなければいけません。近代ヨーロッパでなく、当人たちの物差しに合わせる必要があります。そのため、『芸術』から思い浮かべられる概念は、近代ヨーロッパのものであると、自覚することが重要なのです。そうすることで、また、芸術について柔軟に考えられるようになる気がするのです。」

●現代アートや前衛俳句においては、「美しい諸技術」は必須でないことになっている。現代アートや前衛俳句を評価する基準があるのか、どうかわからないが、あれば、なによりも「力」のような気もする。
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