座り心地のいいイスは、座り心地が悪い。
私がここでいうイスとは、人間が座るというイスではなく、政治家というイスである。
権力を笠に着てエラソーにしているイメージが定着している政治家は、自分にとっては座り心地の悪いイスである。
私の基本政治姿勢は、権威とか権力に対する嫌悪感が出発点になっている。
だから自分自身が政治家であるが権威的であったり、権力的であったりしてはならないと、いつも自分に言い聞かせている。
役所の人たちは先生などと言って低姿勢で私たちにやってくるが、それは私という存在ではなく、政治家のバッジ=権力に低姿勢だけなのである。
権力や権威である政治家を否定する政治家とは、一種の自己矛盾的存在であるが、「市民の政治」を掲げて実践することが目指すべき私の政治である以上、それは不変である。
座り心地のいい政治家というイスが、座り心地が良くなってしまった時、それは私が政治を辞める時である。
昨日はあいさつまわり、吉井町1区あいさつ、富岡で飲み会。
私がここでいうイスとは、人間が座るというイスではなく、政治家というイスである。
権力を笠に着てエラソーにしているイメージが定着している政治家は、自分にとっては座り心地の悪いイスである。
私の基本政治姿勢は、権威とか権力に対する嫌悪感が出発点になっている。
だから自分自身が政治家であるが権威的であったり、権力的であったりしてはならないと、いつも自分に言い聞かせている。
役所の人たちは先生などと言って低姿勢で私たちにやってくるが、それは私という存在ではなく、政治家のバッジ=権力に低姿勢だけなのである。
権力や権威である政治家を否定する政治家とは、一種の自己矛盾的存在であるが、「市民の政治」を掲げて実践することが目指すべき私の政治である以上、それは不変である。
座り心地のいい政治家というイスが、座り心地が良くなってしまった時、それは私が政治を辞める時である。
昨日はあいさつまわり、吉井町1区あいさつ、富岡で飲み会。