先日、ちょっとした用があり、母校・富岡高校を久々に訪れる機会があった。懐かしのグラウンドである。
今は野球部のグラウンドは、校外の第2グラウンドに移転してしまったが、我々の時代は蛇宮神社の元で野球部だけではなく、サッカー、ラグビー、陸上と各部入り乱れて練習をした、あのグラウンドである。
現在もバックネットはあり、その裏には野球部部室である三角ベースづくりの部室もまだ健在であった。
練習試合となれば、富高野球部のファンが300人以上集まってきて、我々選手は、いつでも見られているという感じの中で、緊張感を持って練習試合とはいえ試合に臨んだものであった。
校庭グラウンド内での今はなき野球部の姿。本当に野球部は校外第2グラウンド移転でよかったのかどうか、自分の中では疑問は消えない。
ある富高野球部監督経験者の人が語っていた。「富高野球部は、学校や仲間の生徒との一体感が重要で、その一体感なくして甲子園出場はない。野球部は特別な存在ではなく、学校や生徒に応援してもらうためにも校庭グラウンドに残るべきだった。」という話を聞き、その通りだなと私も思いました。
もう30年以上前の、あのクソ暑かった夏の練習、蛇宮神社の木々の日陰と、地域のみなさんの歓声、富高生の熱い視線。幻の如く甦った富高グラウンドでの一瞬の出来事であった。
昨日は高崎で脱原発集会。
今は野球部のグラウンドは、校外の第2グラウンドに移転してしまったが、我々の時代は蛇宮神社の元で野球部だけではなく、サッカー、ラグビー、陸上と各部入り乱れて練習をした、あのグラウンドである。
現在もバックネットはあり、その裏には野球部部室である三角ベースづくりの部室もまだ健在であった。
練習試合となれば、富高野球部のファンが300人以上集まってきて、我々選手は、いつでも見られているという感じの中で、緊張感を持って練習試合とはいえ試合に臨んだものであった。
校庭グラウンド内での今はなき野球部の姿。本当に野球部は校外第2グラウンド移転でよかったのかどうか、自分の中では疑問は消えない。
ある富高野球部監督経験者の人が語っていた。「富高野球部は、学校や仲間の生徒との一体感が重要で、その一体感なくして甲子園出場はない。野球部は特別な存在ではなく、学校や生徒に応援してもらうためにも校庭グラウンドに残るべきだった。」という話を聞き、その通りだなと私も思いました。
もう30年以上前の、あのクソ暑かった夏の練習、蛇宮神社の木々の日陰と、地域のみなさんの歓声、富高生の熱い視線。幻の如く甦った富高グラウンドでの一瞬の出来事であった。
昨日は高崎で脱原発集会。