選挙の最終的責任者は、候補者自身であることは言うまでもありません。今回の参議院選で、あらためてその事実を強く認識しました。
しかし、参院選のように全県的な取り組みが行われる闘いでは、組織的支援体制も極めて重要であります。その意味で、選挙区、比例区で惨敗を喫した群馬県においては、民主党県連の活動のあり方、組織体制、結果責任について厳しく検証し、論議をすすめていかなければなりません。
率直にいって今回の参院選を通じて、群馬の民主党は組織の体をなしていないというのが、実態であることが明らかになりました。
国会議員だけ小手先の論議をし、まともな選挙方針を示すこともできない。
選挙は富岡、小寺選対に丸投げしているのかと思っていたら、告示後、突然小寺選対の事務所に県連選対本部長が自らの机とイスを運びこみ、「責任者」として登場した。
小寺選対で、この行為に驚き、違和感、不信感を持たなかった者はいない。
100歩譲って「責任者」として、きちんと組織的、具体的に集票につながる「手」をうってくれたら我慢もできる。しかし、やったことはといえば「?」である。
本来、国会議員をはじめ議員と名のつく者は、事務所の「外」で票を稼いでこなければいけない。組織対策、各議員対策、地域対策、やるべきことはいっぱいある。事務所にいて票を稼げるわけがない。ほんのちょっとの電話掛けと宣伝カーをまわしているだけで「責任者」といえるのか。
私もいろいろな選挙に関わってきたが、こんな「責任者」は見たことも聞いたこともない。
この「責任者」が、まずやるべきことは、民主党群馬の今後について語ることではなく、自らの「責任」を明らかにすることである。
「三顧の礼」をつくして出馬していただいた小寺弘之さんには、土下座をして謝罪すべきである。
小寺さんには、ほんとうに申し訳ない結果になってしまいました。厳しい全体状況を把握しながら、方針を「修正」しきれなかった私自身の「非力」を、ただ、ただ悔いるのみである。
勝つことが可能であっただけに、選対の中で嫌われ者になっても、言うべきことは言い、変えるべきものを変えるべきであった。
それができなかったのは「私が敗北」したことである。
昨日は久々の早朝街宣。陳情処理、前橋で会議。夜は懇談会。
しかし、参院選のように全県的な取り組みが行われる闘いでは、組織的支援体制も極めて重要であります。その意味で、選挙区、比例区で惨敗を喫した群馬県においては、民主党県連の活動のあり方、組織体制、結果責任について厳しく検証し、論議をすすめていかなければなりません。
率直にいって今回の参院選を通じて、群馬の民主党は組織の体をなしていないというのが、実態であることが明らかになりました。
国会議員だけ小手先の論議をし、まともな選挙方針を示すこともできない。
選挙は富岡、小寺選対に丸投げしているのかと思っていたら、告示後、突然小寺選対の事務所に県連選対本部長が自らの机とイスを運びこみ、「責任者」として登場した。
小寺選対で、この行為に驚き、違和感、不信感を持たなかった者はいない。
100歩譲って「責任者」として、きちんと組織的、具体的に集票につながる「手」をうってくれたら我慢もできる。しかし、やったことはといえば「?」である。
本来、国会議員をはじめ議員と名のつく者は、事務所の「外」で票を稼いでこなければいけない。組織対策、各議員対策、地域対策、やるべきことはいっぱいある。事務所にいて票を稼げるわけがない。ほんのちょっとの電話掛けと宣伝カーをまわしているだけで「責任者」といえるのか。
私もいろいろな選挙に関わってきたが、こんな「責任者」は見たことも聞いたこともない。
この「責任者」が、まずやるべきことは、民主党群馬の今後について語ることではなく、自らの「責任」を明らかにすることである。
「三顧の礼」をつくして出馬していただいた小寺弘之さんには、土下座をして謝罪すべきである。
小寺さんには、ほんとうに申し訳ない結果になってしまいました。厳しい全体状況を把握しながら、方針を「修正」しきれなかった私自身の「非力」を、ただ、ただ悔いるのみである。
勝つことが可能であっただけに、選対の中で嫌われ者になっても、言うべきことは言い、変えるべきものを変えるべきであった。
それができなかったのは「私が敗北」したことである。
昨日は久々の早朝街宣。陳情処理、前橋で会議。夜は懇談会。