大阪市長選と大阪府知事選のダブル選挙が近づいてきました。
話題の中心は橋本徹知事である。橋本知事は、地域政党「大阪維新の会」を立ち上げ、自らは大阪市長選に立候補し、府知事選には別の候補者を擁立する準備に入っている。
その橋本知事が掲げる教育基本条例の「改正」である。「教育の場を知事が定めた目標を実践するピラミッド型組織に変えようとする条例」である。
朝日新聞10月2日(日)朝刊に条例の論点が明示されている。
「大阪維新の会の条例案」
・ 知事は学校が実現すべき教育目標を設定する。
・ 校長と副校長を任期付き公募制とする。
・ 教職員は相対評価とし最低評価(全体の5%)が2回連続すれば、免職を含む処分対象に。
・ 職務命令に5回、同じ職務命令に3回違反した教職員の標準的な処分は免職。
・ 小中学校の学力テストの結果を学校別に公表する。
・ 3年連続で入学者が定員割れし、改善の見込みがない府立高校は統廃合。
・ 府立高校の学区を廃止する。
20年遅れのイギリス型サッチャリズムを導入して、橋本知事は何を実現しようとしているのかよくわからない。学力テストの結果が、人づくりに繋がり、日本の再生に繋がっていくという理屈である。
教育であれ何であれ、絶えざる改革は必要である。しかし、教育の中での激しい競争を行うことは、さらなる「格差」を生むことは歴然としている。現実に、金持ちの子どもが東大入学をする比率が増加しているという実態もある。
すでにある「格差」を是正することなく、橋本流強権主義で教育改革は進まないと私は考えます。
大阪維新の会の市議は、こう語っているという。「国際競争力を取り戻すためには、いったんは格差を受け入れてでも秀でた者を育てるのが大切だ。」と。
日本の底力は、少人数の学力、エリート育成で発揮されることはない。全体をできるだけ少しずつでも底上げする小さな力の結集こそが、日本の底力であると私は考えています。
そして何よりも大切なのは、子どもたちの人生は「日本」のためにあるのではなく、その子どもたち自身のためにあるというあたり前の認識がなければならない。
橋本教育改革が「維新」などというものではなく、公教育が行政権力によって予備校化しただけである。
昨日は福島県へ脱原発自治体議員会議準備会。放射能の恐ろしさを、あらためて感じた1日でした。
話題の中心は橋本徹知事である。橋本知事は、地域政党「大阪維新の会」を立ち上げ、自らは大阪市長選に立候補し、府知事選には別の候補者を擁立する準備に入っている。
その橋本知事が掲げる教育基本条例の「改正」である。「教育の場を知事が定めた目標を実践するピラミッド型組織に変えようとする条例」である。
朝日新聞10月2日(日)朝刊に条例の論点が明示されている。
「大阪維新の会の条例案」
・ 知事は学校が実現すべき教育目標を設定する。
・ 校長と副校長を任期付き公募制とする。
・ 教職員は相対評価とし最低評価(全体の5%)が2回連続すれば、免職を含む処分対象に。
・ 職務命令に5回、同じ職務命令に3回違反した教職員の標準的な処分は免職。
・ 小中学校の学力テストの結果を学校別に公表する。
・ 3年連続で入学者が定員割れし、改善の見込みがない府立高校は統廃合。
・ 府立高校の学区を廃止する。
20年遅れのイギリス型サッチャリズムを導入して、橋本知事は何を実現しようとしているのかよくわからない。学力テストの結果が、人づくりに繋がり、日本の再生に繋がっていくという理屈である。
教育であれ何であれ、絶えざる改革は必要である。しかし、教育の中での激しい競争を行うことは、さらなる「格差」を生むことは歴然としている。現実に、金持ちの子どもが東大入学をする比率が増加しているという実態もある。
すでにある「格差」を是正することなく、橋本流強権主義で教育改革は進まないと私は考えます。
大阪維新の会の市議は、こう語っているという。「国際競争力を取り戻すためには、いったんは格差を受け入れてでも秀でた者を育てるのが大切だ。」と。
日本の底力は、少人数の学力、エリート育成で発揮されることはない。全体をできるだけ少しずつでも底上げする小さな力の結集こそが、日本の底力であると私は考えています。
そして何よりも大切なのは、子どもたちの人生は「日本」のためにあるのではなく、その子どもたち自身のためにあるというあたり前の認識がなければならない。
橋本教育改革が「維新」などというものではなく、公教育が行政権力によって予備校化しただけである。
昨日は福島県へ脱原発自治体議員会議準備会。放射能の恐ろしさを、あらためて感じた1日でした。