政治の再生とは何か。といっても、私たち政治家はやたらと「再生」という言葉を乱用します。中山間地域の再生、経済再生、教育再生、etc…何もかも再生だらけである。
しかし、政治に限定して考えてみると、過去、再生すべきモデルはあったのだろうか。とりわけ日本では、経済一流、政治三流なんていう言葉が聞こえてくる日本の政治。私も再生という言葉を乱用してきた人間として、政治の再生とは何かを語らなければならない。
政治の再生とは、政治とは何か、なのかなと。政治とは、政治家になってしまった角倉邦良にとっては何かということか。
再生すべき過去モデルがほとんどない日本の政治の中で、私たちは学ぶべき理論、実践、事例を見聞しつつ、自らの政治に参画した原点を問い続けることだと思う。
私にとっては、どういう角度から考えても「戦争だけはダメ。戦争をしない、させない。人の命を大切にする。」これ以外にない。
パレスチナの悲惨な戦争の中で命を無慈悲に奪われた子供たちを直視すればなおさらです。
悲しみをこえた悲しみ。命をいとおしむこと。人の命を尊ぶということ。そこからしか政治の再生は始まらない。政治はゲームではない。命の営みだと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/cd/458fc9fd809c79ca3c36d4ea6fc597f0.jpg)
現代政治*発想と回想 著・松下圭一 発行・法政大学出版局
先日読破した松下圭一(法政大学名誉教授)さんの現代政治*発想と回想の中に戦争に触れた一文があった。日本の政治学、行政学の神様みたいな大先生も、原点がここにあったのかと。
[ 一九四五年七月の福井市への空襲では、私も焼死寸前となっています。近所の方々の防空壕では死屍累々でした。ここにも、前にのべた旧制中学の友人と同じく、明治国家のシカケである位階勲等、恩給また靖国合祀に関係のない、戦争による死があったのです。私をふくめ焼けだされた被災者たちは、八月一五日以前に放心状態で、すでに無気力、つまり戦争離脱となっていました。
八月一五日は、このため、私には通常語られているようなショックはなく、暑い夏日のもと、米の配給の行列に並んでいて、敗戦を知ります。「あ、終わったのか」という、いわばスカスカしたうけとめ方でした。行列の人々も同じようで、特別の反応もなかったようです。その日、福井も快晴で、正午ごろアメリカの長距離戦略爆撃機B29が太陽光線を受けてキラリと光りながら、高空を飛んでいたのを、今も覚えています。 ]
一方で松下圭一さんは、本書の中で『政治学は「実証・検証」の学であるだけではなく、基本は「予測・調整」「組織・制御」ないし「構想・選択」つまり「状況・決断」をめぐる学です』と述べています。
状況を読み、決断できない者は、政治家ではないということです。
昨日は吉井町内多胡碑記念館で開催された第6回新春群馬書展であいさつ。吉井幼稚園音楽会。
午後からは2月10日告示の神流町町議会議員選挙立候補予定者事務所あいさつまわり。
「2009年 群馬県議会議員 かどくら邦良 新年会」
(どなたでも参加できます。)
本日 午後 2 時より
場 所 吉井町産業文化会館小ホール
会 費 2000 円
主 催 かどくら邦良連合後援会 連絡先 ℡ 027-387-1432
しかし、政治に限定して考えてみると、過去、再生すべきモデルはあったのだろうか。とりわけ日本では、経済一流、政治三流なんていう言葉が聞こえてくる日本の政治。私も再生という言葉を乱用してきた人間として、政治の再生とは何かを語らなければならない。
政治の再生とは、政治とは何か、なのかなと。政治とは、政治家になってしまった角倉邦良にとっては何かということか。
再生すべき過去モデルがほとんどない日本の政治の中で、私たちは学ぶべき理論、実践、事例を見聞しつつ、自らの政治に参画した原点を問い続けることだと思う。
私にとっては、どういう角度から考えても「戦争だけはダメ。戦争をしない、させない。人の命を大切にする。」これ以外にない。
パレスチナの悲惨な戦争の中で命を無慈悲に奪われた子供たちを直視すればなおさらです。
悲しみをこえた悲しみ。命をいとおしむこと。人の命を尊ぶということ。そこからしか政治の再生は始まらない。政治はゲームではない。命の営みだと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/cd/458fc9fd809c79ca3c36d4ea6fc597f0.jpg)
現代政治*発想と回想 著・松下圭一 発行・法政大学出版局
先日読破した松下圭一(法政大学名誉教授)さんの現代政治*発想と回想の中に戦争に触れた一文があった。日本の政治学、行政学の神様みたいな大先生も、原点がここにあったのかと。
[ 一九四五年七月の福井市への空襲では、私も焼死寸前となっています。近所の方々の防空壕では死屍累々でした。ここにも、前にのべた旧制中学の友人と同じく、明治国家のシカケである位階勲等、恩給また靖国合祀に関係のない、戦争による死があったのです。私をふくめ焼けだされた被災者たちは、八月一五日以前に放心状態で、すでに無気力、つまり戦争離脱となっていました。
八月一五日は、このため、私には通常語られているようなショックはなく、暑い夏日のもと、米の配給の行列に並んでいて、敗戦を知ります。「あ、終わったのか」という、いわばスカスカしたうけとめ方でした。行列の人々も同じようで、特別の反応もなかったようです。その日、福井も快晴で、正午ごろアメリカの長距離戦略爆撃機B29が太陽光線を受けてキラリと光りながら、高空を飛んでいたのを、今も覚えています。 ]
一方で松下圭一さんは、本書の中で『政治学は「実証・検証」の学であるだけではなく、基本は「予測・調整」「組織・制御」ないし「構想・選択」つまり「状況・決断」をめぐる学です』と述べています。
状況を読み、決断できない者は、政治家ではないということです。
昨日は吉井町内多胡碑記念館で開催された第6回新春群馬書展であいさつ。吉井幼稚園音楽会。
午後からは2月10日告示の神流町町議会議員選挙立候補予定者事務所あいさつまわり。
「2009年 群馬県議会議員 かどくら邦良 新年会」
(どなたでも参加できます。)
本日 午後 2 時より
場 所 吉井町産業文化会館小ホール
会 費 2000 円
主 催 かどくら邦良連合後援会 連絡先 ℡ 027-387-1432