回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

木曾宿場町を辿る その2

2009-08-15 23:15:16 | 一泊以上の旅行記

8月12日

奈良井~赤沢自然休養林~馬篭~妻籠~上松

快晴。

早朝、宿場に沿って流れる木曽川河川敷を散歩。
近年架けられた総ヒノキ造りの太鼓橋の香りが清々しい。

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8時、「今日は昨日に続いて大人の神輿が出るので見て行ったらいいのに」と言う民宿のおばさんに別れを告げる。
ここから、やはり昔の宿場であった上松まで19号を走り、曲がりくねった山道を西に分け入った赤沢自然休養林へ向かう。

まだ観光客のまばらな休養林に9時に到着。澄んだ川の流れの中ではもう子供たちが
泳いでいる。
まずは森林鉄道に乗る。

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↑資料館に展示されている往時の写真。

ひのき、さわら、あすなろ、高野槇、ねずこ、が木曾五木として知られているが
大正5年からこの赤沢から上松まで伐採された木々を運ぶために森林鉄道が登場。
車による交通がまだ発達していない頃だから、当時はいかに逞しく煙をあげながら頻繁に鉄道が堂々と走っていたことか。

上松で降ろされた木々は筏を組んで木曽川に流して下流まで運んだのだろう。
今ではすっかり運搬はトラックに代わって、森林鉄道はこの休養林の観光客のために短い軌道を走るおもちゃ電車のようになってしまった。

往復約25分の鉄道を降りて1時間ほど山道を歩く。チーヨチーヨ♪とコマドリのさえずりが聞こえる。オオカメノキが白い花を落として美しい深紅の実をつけているのに出合う。

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オゾンとフィトンチッドをたっぷり吸いこんで12時頃、馬篭、妻籠に向かって出発。

「木曽路はすべて山の中である。」

と、馬篭で生まれた島崎藤村は小説「夜明け前」の冒頭で書いている。

車で、あるいは電車で走れば立派な道のついている現在、山の景色をみようとすればこの木曾の風景はさして珍しくない。が、この地が中山道として旅人の歩く道であった頃は木曽川の深い谷底をのぞきこむように山々が急峻な斜面をもって落ち込んでいたのだろう。まさに

「あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十メートルの深さに臨む木曽川の岸であり・・・・」

と続く険しい景観が想像できるのである。

馬篭宿に2時頃到着。焼けつく真夏の太陽は頭のちょうど真上にあり、この宿場の特徴である急な坂道を上っていると頭がくらくらしてきた。

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狭い坂道の両側には五平餅だの、お煎餅だの、栗きんとんだの、たくさんの食べもの屋や土産物屋がぎっしりと立ち並ぶ。サンダル(ミュールというのかな?)をパカパカと音をさせてカスタネット姉ちゃんが闊歩する。(でも栗きんとんは美味しかった)
まるで浅草の仲見世や原宿の賑わいを少し切り取って移したようである。
土地柄、大火に幾度か遭っており、そのたびに家々も新しく建て直され昔をしのぶよすがは残念ながらゼロに等しい。

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お昼にさしておいしくないとろろ蕎麦を食べ、藤村の実家である藤村記念館に入る。(ここも当時の家は火事で焼け現在あるのは後世立て直されたもの)

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記念館を越えてさらに坂道を上ると妻籠に向かう旧中山道の山道がある。
高札場を過ぎた高台に昔の馬場跡があり、ここから見渡す恵那山脈の眺めは素晴らしかった。

「夜明け前」の主人公青山半蔵(藤村の父親がモデル)が隣の妻籠から嫁をもらう。
嫁の民と半蔵の対話の中に妻籠と馬篭の相違を如実に表している箇所があり、そのくだりが立札に書かれている。

かいつまめば、

『民の実家のある妻籠はすぐ近くに木曽川が滔滔と音を立てて流れているのに対し、半蔵の生まれた馬篭は、ここには川はないが代わりに恵那山が見える』

というような部分である。

まさしく馬篭には川の音はない。青々と続く恵那山脈が音楽のように波打っている。

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「木曽路はすべて山の中である」と書いたのは、妻籠でも奈良井でも他の木曽川沿いの宿場ではなく、ここ馬篭に生まれたからこそほとばしり出た藤村の言葉である。

馬篭から妻籠は車でわずか10分ほどである。(明治になって宿場廃止の令がでるまで旅人がおよそ2里の山道を歩いたのに比べてなんと便利になったのだろう!)

妻籠、または昨日の奈良井も通りは広く平坦で火事での損失を免れたからか、古い旅籠が200年の歳月を越えて保存され心が落ち着く。奈良井に比べて素朴ながらどこか雅な感じがするのは、この宿場に城があったせいだろうか。

宿場の入口に架かる橋を渡ると、豊富な川の水量がさわやかで気持ち良い。

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旅というものは、天候と時刻がどれほど大きくその土地の印象を変えるものか、と痛切に思う。

奈良井と妻籠を回ったのが夕暮れ時のひっそりとした時間のなかであったのは幸いであった。もし馬篭が同じような時刻で、涼しい風のひとつでも吹く天候であったなら受ける印象は相当変わっていたのかもしれない。

そして昔の旅人はその天候や時刻が如何であろうと、ときには大木の影で陽を避け、あるいは家の軒を借りて雨を凌ぎ、厳しい峠の道を次の宿場を目指しひたすら歩いたのだった。その姿が想像するだに胸を打つ。

妻籠を5時に出発。もう一度19号を北上して上松近くの名勝「寝ざめの床」にほど近いホテルに着いたのは6時であった。

109 木曾にはこんな薬があちこちに売られている。


2 コメント

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この胃薬。ここで買って今でもたまに飲んでるよー! ()
2009-08-16 10:49:15
岐阜に行った一泊目の夜、酷い胃痛になって、翌日ここで買ったのでした^^;
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 (やまびこ)
2009-08-16 12:47:34
お~!効き目はあったのかな?
胃通は食べ過ぎ^^?

可笑しいくらいたくさん売ってるよね。
ひとつ買ってくればよかったかな[E:japanesetea]
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