昨日は、午前の合唱練習→岩槻城址公園→お人形歴史館→王子飛鳥山公園→上中里→合唱関係会合。
ヴァラエティに富んだ日であった。
夜の会合が上中里だったので、京浜東北線の沿線を探索してみようと、岩槻までドライブ。
4号線を走り元荒川に沿って岩槻に入る。現在岩槻は「市」ではなく「さいたま市岩槻区」、と地名変更している。
元荒川の末田須賀堰。このあたりまで来ると田植えされたばかりの田圃の緑が美しい。
堰を左折して地面とすれすれに流れる元荒川になおも沿って走る。
やがて岩槻城址公園。
今は遺構は黒門と裏門がわずかに残るばかり。もともと沼地に築かれた岩槻城は別名白鶴城とも呼ばれたらしい。
公園には静かなスイレンの咲く池や散策路あり、広場はこどもたちで賑わう遊園地となっている。
城址公園の周囲をぐるりと歩いて、日光御成街道(別名:岩槻街道)沿いにある人形歴史館を見学。
岩槻といえば人形の街というイメージがまず浮かぶ。何か人形に関する資料館でもあるかしら?とナビ検索して、ただふらりと入ってみたのだが、人形の制作過程から保管してあるおびただしい数の人形の面々にびっくり。
「人形歴史館」の看板の上には後付されたような「お」の字が。
確かに中に入って見学していると「お」をつけないと申し訳ないような、なにか祟りがあるような雰囲気がしてくる。
まず桃太郎人形がお出迎え。
ここ「東九」さんは皇室御用達のひな人形も製作。なかなか由緒ある工房。
いちばん気に入った作品。こどもと毬つきする良寛和尚さんと子供たち。柔らかいタッチでリャドロの風合いを想わせる。
別館ではこれこの通り、ずらりと並ぶ「お」人形のクビクビクビ!
↑ 人形焼きの元祖はここにあり、か?
↑ この裃雛たちに向かって指揮しようと構えたが、怖くなってやめました(^^);
さて「お」人形歴史館を出てまだ少し時間があったので王子の飛鳥山公園によってしばし散策。
このあたり、西日暮里の諏訪台地から道灌山の連なりだったのか、JRを隔ててみる東京下町の景色は好きな光景のひとつ。
車を降り、ひとりになって上中里に着いてもまだ時間があったので、上中里から西ヶ原を経て王子に戻る感じでずっとJRに沿う飛鳥の小道を歩く。
途中時間切れで引き返したが、この道はおもしろい。また改めて歩きに来ようと思う。
さて、夜の会議は東京都合唱祭の出演順を決めるもの。あらかじめ連盟が作成してくれたプログラムに多々多々変更を申し込む団体がいくつかあり喧々諤々、どうしてもっと大人の対応ができないのだろう??6時半から9時までかかってしまった。