回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

従弟のお通夜

2013-05-30 22:11:16 | 町歩き・季節の日記・エッセイ・コラム

今夜は、従弟のお通夜でした。

享年60歳。

小さい頃は、家族ぐるみ、あちらの兄弟、こちらの姉妹同士でお泊りっこしたり旅行に行ったり、ほんとによく遊んだものでした。

人一倍エネルギッシュで、闊達でだった彼が、闘病一年で逝くとは誰も信じられませんでした。

・・・・

わたしの父方母方ともに親戚が多く、その分お葬式も多かった。

そういうときに顔を合わせては、こんど飲みに行こうね、とよく約束したものだった。

大人になるとそれぞれ忙しくて約束は殆ど実現しなかったけれど・・。

きょうのお通夜でも、本人が「びこちゃん、元気!?そのうち飲もうよ!」と大きな声で

話しかけてくるような気がしてならなかった。

お葬式のたびに世代の交代を感じて、わたしたちの代がいろいろな意味でベテランになってきた。

わたしたちや従妹たち、従弟たちが小さい頃は退屈に感じたお経も、今では心にすんなり入るようになった。

明日の告別式は奇しくも亡くなった彼とお嫁さんの結婚記念日。

もっともっとやりたいことがたくさんあっただろうと思う。

叔母が85歳でまだ矍鑠としているだけに、余計に辛い。


消えてしまった曲

2013-05-28 09:42:47 | 西洋音楽・西洋文化・アート

地元合唱団は年に数回、高齢者施設に歌いに行きます。

7月の行事では高齢者さんにも喜ばれるように「浜千鳥」をレパー<wbr></wbr>トリーに加えました。

あの曲、メンバーも全員知っているだろうと練習に取り掛かろうと<wbr></wbr>したら、知っているのは12人中わずかひとりだけ。

そういえば、「われは海の子」も知らなかったっけ。(メンバーは<wbr></wbr>40代が殆どだからかしら?)

音楽の本から消えてしまった曲、もうじき忘れ去られそうな曲、そ<wbr></wbr>ういうものを掘り返して伝えていくのもいいなあと思ったりする・<wbr></wbr>・・・・・・のですが、高齢者施設で喜ばれるのは、きよしの「ズ<wbr></wbr>ンドコ節」だったり、千昌夫の「北国の春」だったりするので、選<wbr></wbr>曲が難しい~~++;


岩槻城址公園~お人形歴史館~飛鳥山~上中里

2013-05-19 10:20:26 | 日帰りドライブ

昨日は、午前の合唱練習→岩槻城址公園→お人形歴史館→王子飛鳥山公園→上中里→合唱関係会合。

ヴァラエティに富んだ日であった。

夜の会合が上中里だったので、京浜東北線の沿線を探索してみようと、岩槻までドライブ。

4号線を走り元荒川に沿って岩槻に入る。現在岩槻は「市」ではなく「さいたま市岩槻区」、と地名変更している。

元荒川の末田須賀堰。このあたりまで来ると田植えされたばかりの田圃の緑が美しい。

004

堰を左折して地面とすれすれに流れる元荒川になおも沿って走る。

やがて岩槻城址公園。

012

013

今は遺構は黒門と裏門がわずかに残るばかり。もともと沼地に築かれた岩槻城は別名白鶴城とも呼ばれたらしい。

公園には静かなスイレンの咲く池や散策路あり、広場はこどもたちで賑わう遊園地となっている。

020

016

城址公園の周囲をぐるりと歩いて、日光御成街道(別名:岩槻街道)沿いにある人形歴史館を見学。

岩槻といえば人形の街というイメージがまず浮かぶ。何か人形に関する資料館でもあるかしら?とナビ検索して、ただふらりと入ってみたのだが、人形の制作過程から保管してあるおびただしい数の人形の面々にびっくり。

048

「人形歴史館」の看板の上には後付されたような「お」の字が。

確かに中に入って見学していると「お」をつけないと申し訳ないような、なにか祟りがあるような雰囲気がしてくる。

まず桃太郎人形がお出迎え。

036

ここ「東九」さんは皇室御用達のひな人形も製作。なかなか由緒ある工房。

いちばん気に入った作品。こどもと毬つきする良寛和尚さんと子供たち。柔らかいタッチでリャドロの風合いを想わせる。

037

別館ではこれこの通り、ずらりと並ぶ「お」人形のクビクビクビ!

040

043

041

↑ 人形焼きの元祖はここにあり、か?

044

↑ この裃雛たちに向かって指揮しようと構えたが、怖くなってやめました(^^);

045

さて「お」人形歴史館を出てまだ少し時間があったので王子の飛鳥山公園によってしばし散策。

このあたり、西日暮里の諏訪台地から道灌山の連なりだったのか、JRを隔ててみる東京下町の景色は好きな光景のひとつ。

054

車を降り、ひとりになって上中里に着いてもまだ時間があったので、上中里から西ヶ原を経て王子に戻る感じでずっとJRに沿う飛鳥の小道を歩く。

途中時間切れで引き返したが、この道はおもしろい。また改めて歩きに来ようと思う。

060

さて、夜の会議は東京都合唱祭の出演順を決めるもの。あらかじめ連盟が作成してくれたプログラムに多々多々変更を申し込む団体がいくつかあり喧々諤々、どうしてもっと大人の対応ができないのだろう??6時半から9時までかかってしまった。


藤城清治影絵横丁展

2013-05-17 22:27:01 | 西洋音楽・西洋文化・アート

練習の帰りに銀座教文館で開催されている藤城清治さんの影絵展に行ってきました。

201305171538000

↑ 「奇跡の一本松」

梢に小人たちが踊っているのを見たときは、涙がでました。

藤城さんといえば、自然や幻想の世界で遊ぶ小人の絵で知られ、それだけでも心温まるものがあるのですが、今回は東北大震災の一年後の被災地で描かれた作品がたくさん展示されていて、そのどれもが大変な状況の中にも光を忘れない、静かな優しい眼差しに溢れていて、心を打たれました。

90歳になろうとする藤城さんがいたたまれず被災地に赴いて防護服を着用して描いている写真。

放射線量はかなり高かったようです。

こういう命の使い方、なかなかできないけれど見習いたい。

201305171534001

201305171535000

201305171541000_2

先日、ビアンカメンバーの何人かが被災地で歌う機会を得て、現場を見て来たそうです。

想像しているよりずっと悲惨な状況であるらしい。

さまざまな状況、感情を声高でなく静かに自分の持てる力で訴える、いや訴えという昂ぶった感情ではなく、自分の中に強く刻みつつ表現すること。

絵画や音楽をする意味はそういうところにあるのかもしれない。

藤城さんの影絵はどれも感動を呼び起こすのですが、今日わたしがいちばん気に入ったのがこの絵。

201305171553001