回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

中仙道を歩く㉓(各務原)~加納~河渡~美江寺~赤坂

2016-03-23 20:21:20 | 中仙道(中山道)

3月21日(月・祝) 晴れ

昨日よりは少し風もおさまった。

夕べのうちに買っておいたパンとゆで卵、コーヒーを部屋で食べて

7時半に出発。

元は岐阜大の農学部校舎だった市民公園を抜けていきます。

公園の中ほどにに一本だけ枝垂桜が三分ほど咲いていた。

 

思えば遠くへ来たものだと、ひとりごちながら歩いていく先は真っ青な空。

わずか20分ほどで新加納の間の宿。

枡形がしっかり形成されていて、次の加納宿と比べ、近代化されなかったせいか、ほのかに昔の面影が残っている。

新加納を出るとだだっ広い畑や野原が広がる。

東海道北陸自動車道の下を名鉄やJRが走る。

なんともこの地上を電車が走る図は好きであります。

昨日からずっとわたしたちのそばを走ってる名鉄各務原線、ほとんどが犬山行き。

そういえば昨日は犬山城を見る余裕がなくて残念であった。

ほら、次はこの車両♪

可愛くて凛々しい。けなげ。

と、いちいち電車が通るたびにわたしが立ち止まるので、ろくさんはちょっともどかしそうである~。

やがて、道は街道の幅になって手力神社、伊豆神社、などが立ち並び、切通や領家、細畑といった名前が出てきておちついたたたずまいの道が続く。

小さなお寺でしばし休憩。お天気がいいので、本堂の手すりに布団が干してある。なかなか風流(^^)

 

茶所(ちゃじょ)と読むのね。

この茶所の駅が加納宿の入り口となる。

だんだん太陽がまぶしくなってきた。

加納宿自体はもう殆ど遺構は残されていない。

が、道は城下街らしく曲りに曲がっている。

寺社もひっきりなしにある。

この加納から少し西に行ったところが岐阜駅。

こんな下水蓋のある道も☆

左甚五郎がうさぎの彫り物を残したと言われる二文字屋。

 

もうすぐ10時。

国道の角に和菓子屋さんを発見したのでここで最中を買うが、これは家へのお土産用。

マンホールはしっかり鵜のマーク。

昨日の美濃太田を出てから久しぶりに見る高層ビル。あれは岐阜駅近くだろうか。

6差路に分かれている大通りでこんなわかりにくい標識。

ま。あるだけありがたいが、できるなら渡る前に出しておいてほしいものだ。

さあ、加納を抜けていよいよ河渡へ進む。

最近、道路整備されたのか、すっかりモダンできれいな新しい住宅の立ち並ぶ街道を歩くと何軒か喫茶店が!

名古屋式モーニングを、ということでおやつタイム。

珈琲にトースト、サラダ、メロンがついて380円。

喫茶店を出て河渡橋を渡るべく少し行くと、なんだか人がわらわらとあちこちから出てきます。

街道筋でこんなに人を見るのは、お祭り以外は初めて。

さては何かの祭りかと思ったら、案の定、長良川のほとりに建つ鏡島弘法(乙津寺)で弘法大師様の生誕祭であった@!

ここで、まさに大師様のお導きともいえる出会いが!

加納のあたりから自転車でお寺参りに来ていたおじさんが「歩くの早いですねえ、ずっと自転車でそばを走ってたんですよ。」とわたしたちに話しかけてきてくれた。

そして「ここまで来たら小紅の渡しに乗ったらいいよ、境内を抜けるとすぐ船着き場だから」と教えてくれた。

とても話好きのおじさん、旅の楽しみの一つであります。

仰せのとおり、ありましたありました、小紅の渡し!なんだか江戸川の帝釈天と矢切の渡しの風景のようである。

この渡しは県道としてあるので無料。月曜は定休らしいのだが、今日は祝日で特別運転。ラッキー☆

長良川を渡しで渡る。

空が青くて、遠くには飛騨の山々、向こう岸までものの5分とかからないのですが、元禄時代から続くという貴重な渡しのゆったりした時間を楽しみました。

ま、いい思いをした後なので少しの苦難は織り込み済み。

この渡しははじめ渡る予定だった河渡橋のかなり上流にあるのでUターンをするように、1キロメートルばかり戻らなければならない。

廻り込み廻り込みようやく河渡宿。

だがこの宿場はこの標識の他はな~んにも宿場の面影がない。

道を間違えたのでなければ、元の街道に新興住宅地や大工場地ができてしまったのだろうか@@?

喫茶店でモーニングを食べたせいでお腹は空いていないが、真昼の太陽は案外強く味気ないアスファルトの上を延々歩いて少々疲れ気味。

珍しく足の裏に少しマメもできたらしい。

河渡を抜けたのだか何だかよくワカラナイところに標識があり、道は間違っていなかったと確信。

ふと先を見るとお寿司屋の看板。ここでお昼を兼ねて休憩とする。

お店のご主人も来ていたお客さんもこのあたりの名所を教えてくれたりして感じがいいのだが、肝心のお寿司がイマイチ。

美味しいのだけど具が大きすぎ重くて下の酢飯がひしゃげている。

全部は食べられずろくさんにかなり手伝ってもらう。(彼はお寿司はいくら食べても平気なのだそうだ。)

店を出て次の宿、美江寺を目指す。

こんな延命地蔵堂を通り過ぎ

五六川を渡り、

樽見鉄道の踏切を渡り

美江神社に着くと、この参道が美江寺宿の入り口となる。

(この美江神社のおトイレは新しくとてもきれいであった。)

美江寺の宿場は小さいが落ち着いていて柿の木の栽培で有名らしく緑が多くてとても気持ちの良いところ。

しかし~~、ここから揖斐川に向かう道を間違えてまたまた1キロメートルばかり行きつ戻りつをやらかす・・。

このあたりは木曽三川に囲まれているから当然小さな川や水路も多い。まるで迷路のように川が行き違っている。

巣南中学校を過ぎ、だだっぴろい大きな国道を横切って畑の道に入りまた道を間違えた~~~+;;

ようやく揖斐川に架かる鷺田橋を渡る。

風が強い、帽子もマスクも?吹き飛ばされそうな勢い!

渡りきると呂久だ、ろくだ!

この呂久と云う地名はなんとなくいにしえの匂いがする。

静かな街並みを歩いていると左側に皇女和宮が降家の際、休んだといわれる小簾神社がある。

ここで説明板を読んでびっくり!

揖斐川の流れはもとは呂久川だったということ。

それがこのあたりを流れていて付け替えられたのはわずかむかしの大正年間だったということ。

東京の荒川放水路も、その頃できたわけだからまあ、不思議はないかもしれないが・・。

呂久にて皇女和宮の詠める歌。

「おちてゆく 身と知りながらもみぢ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」

先に進むと平野井川、大垣市に入る。

さあさあ、近鉄養老線の東赤坂の駅が見えてきた。

目指す赤坂はすぐそこだ!

このあたり、足の裏のマメが痛くてほとんど10分おきにベンチで休憩状態である。

足の裏の皮膚が弱くなってるのかしら?面の皮と同じくらい厚くしたいものだ。

 

いよいよ「左中仙道」の道標を越え、水運で栄えた杭瀬川を渡ると、

今回の目的地赤坂の宿!

おりしも我々の到着を祝うように噴水がぱーーーっと上がった!

 

宿場の入り口には

明治時代に建てられた赤坂港記念館がある。

しばらく直進して左に折れ、

引き込み線に沿って行くと、まあ時代を移したかのような美濃赤坂の無人駅。

駅舎の中にはこのような説明書きが。

駅に着いたのが16時半、ちょうど一時間に一本の16時52分発に間に合った。

ここから大垣まで出て大垣から名古屋。

名古屋で新幹線指定席を買おうと思ったが、のぞみの指定席は21時過ぎまで満席。

しかたなく(思いつきで)17時58分発のこだま自由席を狙う。

ラッキーなことにちょこちょこと空席があってバラバラに、そして豊橋のあたりで2席並びに座れた。

ただ、「こだま」は車内販売がないので、駅に着くたびにホームに走るが、殆ど駅弁は売り切れ。

歩き途中で買った干し柿やパンや、なんとかひとつだけ買えた幕の内弁当を半分こし、ビールで夕食とする。

なかなかスリリングな帰途であった。

次回はジパングを使うぞ☆

本日の歩行距離:約27㎞(街道以外に回り道した距離を含むと30㎞くらい+;)

京都まであと:約97㎞(100キロ切った!!?)

かなり疲れたけれど、翌日にはまた歩きたくなってる自分が可笑しい。


中仙道を歩く㉒太田~鵜沼~(各務原・泊)

2016-03-23 14:12:43 | 中仙道(中山道)

暮れに歩いてから約3か月ぶりの中仙道。

今回の太田の宿からは初めて聞く未知の地名ばかり。

前回最後に渡った木曽川に沿って歩いてから、長良川、揖斐川を越えました。

 

3月20日(日) 晴れ 西風強し

7時47分「のぞみ」に乗り、名古屋まで。

 名古屋からは東海道~高山線の特急ワイドビューひだ5号で美濃太田へ。

中仙道は乗り継ぎがなかなか難しいが、ワイドビューだと乗り継ぎ割引もあり、かなり時間も節約になる。

3か月前にたどりついた懐かしい美濃太田駅へは10時31分着。

ここから太田の宿へ、木曽川へ戻る感じで歩きだす。

10分ほどで宿場へ入る。

太田宿は木曽川に沿って作られた宿場で、川っぷちに住んでいるわたしとしてはなんとなく親近感が湧く。

 

洪水の浸水を防ぐための防波堤が作られて川が見えないのが少し残念。

ひっそりとした(毎度思うのだが、旧街道ってどうしてこんなに静かなのかしら~?)道を歩いてゆくと

穏やかで明るいお寺の境内が見える。惹きこまれるように入ってゆくとすらっと一本の黄色い花。(なんだっけかな?)

川の土手側に門があった。500年の歴史を持つ名刹、祐泉寺。

 立派なうだつの上がっている商家の元脇本陣。現在でも左の母屋は居住しているとのこと。

この脇本陣跡は中仙道随一の遺構らしい。

中には地域のボランテイアなのか、きちんとしたおばさまがいらして浸水したときの様子や宿場の歴史について説明してくださった。

ちなみに本陣跡は門しか残っていなかった。

これは昔の駒つなぎ場かしら?現代版駐車場、駐輪場といったところかな。

宿場の西詰には飛騨街道と郡上街道の追分の碑がある。

道はここからずずずずずっと木曽川を見下ろす土手歩き。

木曽川をドイツのライン川になぞらえて、この土手道はロマンテイック街道と云うらしい。

土手道は気持ちはいいのだが、強風なので時々下の国道21を歩く。

ふ~ん、なるほど~。いろいろ大きな工場がありまする。

 

酒倉という町や右手にJRの線路や岩谷観音を見上げながら歩いていると、めざしていたカフェテラス「ゆらぎ」

この店は、これから上る「うとう峠」の目印。殆どの中仙道歩きの人々がここをポイントにしている。

店そのものは完全に廃屋だが、ただひたすら目印のためにそこに建っている、という感じである。ありがたい☆

この「ゆらぎ」の裏から回り込み、国道をくぐり峠の入り口にでるという寸法。

ほらね(^^)☆

昔の人々が木曽川を避けて回り道(ショートカットかな)した峠道である。

東海道より中山道を選んで歩いた一つの理由は川幅が広くなる大きな河川を渡るのに、相当難儀したからだと言われているが、

現代においては東海道の方がずっと楽チンであることは、碓氷峠、和田峠を越えて来た経験から言うまでもない。

なぜ「うとう」と呼ぶのか?定かではないらしい。

久しぶりの山道はそんなに急な登りは無く軽いハイキングコースである。木々の中はやはり気持ちいいね♪

峠を下ると眺望が開けてこれから向かう鵜沼の宿場も見下ろせる。

峠からの坂を下りきったところにある見附跡。

そばにはかわいらしいお地蔵さん。

たらたらと下り歩いてもう鵜沼の宿に入った。

この石碑は京都側から歩いてきた旅人用ですね。

しだれ柳が風に揺れる大安寺大橋を渡ると宿場通り。かなり町並み保存に力を入れているらしい。

新しい力で古いものを興している感じ。

さて、ここでもう13時近く。

橋のすぐそばにお蕎麦屋さんを発見!お昼にする。

土筆や山菜の天ぷらがついた手打ちそばが美味しい♪♪

ビールも少し飲んでちょうどよいお腹具合。再び歩き出します。

 

ここから次の宿場、加納までは16、7キロメートルと中仙道では和田~下諏訪の次に長い距離なので宿を中間あたりの各務原市民公園のそばに取ってある。

本当は加納の前の新加納が昔の間の宿なのでそこに泊まりたかったが、残念ながら宿屋の類はゼロなのであった。

羽場あたりを過ぎると、中仙道は車がブーブー走りぬけてゆく国道21に合流する。

これはたまらん!とJRや名鉄の線路を越えたりまた出たりしながら静かな線路沿いを歩く。

JRの踏切

名鉄の踏切

なんだかこのあたりの名鉄沿線は京成線の地上線沿線のようで親近感。

ピンクのコブシが青空にきれい。

 

各務原の駅のそばの和菓子屋さん「松江」でいちご大福を買い歩きながら食べる。

美味しい~~~!!

三柿野駅の手前はずーーっと航空自衛隊岐阜基地の高い壁が続く。

向こう側が見えないって気持ち悪いなあ。

まもなく三柿野の駅を味気のない歩道跨線橋で渡り

 

 また線路沿いに歩き、市役所を越えると本日の宿「ホテル観月」に到着。

素泊まりなので、ホテル回りをうろうろ探しけっきょく市役所まで戻りイタリアンレストランで夕食。(写真取り忘れ;;)

 

明日の朝食用にパンやインスタントコーヒなどをコンビニで買ってホテル着。

 

西風が強かったのと、花粉症マスク装着のため、息苦しくメガネもかけられず、疲れた~。

テレビも点けっぱなしで朝まで爆睡でした。

本日の歩行距離:約18㎞

京都まで:約124㎞

 


春めく日

2016-03-08 13:49:20 | 町歩き・季節の日記・エッセイ・コラム

本日はかなり暖かいです。

ブラウス一枚にピンクのカーディガンかなにか羽織って街を歩きたい気分。

ユリオプスデイジーは今年の一番花。

昨年、薬師様で買ったカイドウも若芽がたっくさん(^0^)//

これは最初は鉢が小さすぎて水揚げが悪そうだったので大きいポットに移したらしっかり根を張ったようです。

春めく・・って元の意味は何かしら。

冬めく、夏めく、秋めく・・・あまり使わないませんけど、「春めく」は未知の世界や明るい方向に心が広がるような響きがあります。

めくるめく春、きらめく春、ときめく春。

春の姫神、佐保姫さんが少し顔をのぞかせていますね。

あと幾度か冬将軍も戻ってくるかもしれないけれど、ま、それはそれ♪

母の帯を出してみました。白モクレンが咲き始め、この赤紫のモクレンももうすぐですね。


鎌倉でミニウォーキング

2016-03-06 21:38:54 | 山歩き・川歩き・遠足

3月6日(日)小雨時々晴れ

鎌倉へ。

薄日が射したり小雨が降ったり、あいまいなお天気だったせいか道路も街の中も今までにないほど空いていました。

まだ工事中の若宮大路の段葛ができるとまた一度に人が押し寄せるかな?

駐車場に車を置いて、さてどこに行こうかと思案。

ぶらぶらと由比ヶ浜通りを長谷に向かって歩いて行きました。街角の六地蔵さん。

小さな古いわらび餅屋さんや新しいお洒落なケーキ屋さん、骨董屋さん・・・何度来ても鎌倉は楽しい。

裏道を歩いて行くと昨年も来た鎌倉文学館。

静かな落ち着いた洋館の中には鎌倉に住んだ文学者の足跡が残されています。

中原中也と小林秀雄の感情のぶつかり合った妙本寺の「カイドウ」の樹の話に思わず引き込まれたり・・。

ゆっくり内部や庭園を見てまた裏道の細ーい路地を通ってくねくね歩いて行くとやがて長谷寺。

歩きながらむかし誰かに教えてもらった「鎌倉」という古い歌が浮かんでくる。

この歌の通りに道をたどるといくつかの名所に行きつけるのです(^^)

1 七里ヶ浜の いそ伝い
稲村ヶ崎 名将の
剣投ぜし 古戦場

2 極楽寺坂 越え行けば
長谷観音の 堂近く
露坐の大仏 おわします

3 由比の浜辺を 右に見て
雪の下道 過ぎ行けば
八幡宮の 御社

4 上る矢石の きざはしの
左に高き 大銀杏 問わば遠き 世々の跡

5 若宮堂の 舞の袖
しずのおだまき くりかえし
かえせし人を しのびつつ

6 鎌倉宮に もうでては
尽きせぬ親王の みうらみに 悲憤の涙 わきぬべし

7 歴史は長き 七百年
興亡すべて ゆめに似て
英雄墓は こけ蒸しぬ

8 建長円覚 古寺の
山門高き 松風に
昔の音や こもるらん

・・。

 というわけで長谷寺。

ここは小学校の修学旅行以来、何十年ぶりかで来たのではなかろうか。

花の寺と言われるだけあった、入り口を入るとモクレン、ウメ、ボケ、が池の面にその姿を映して咲いている。

境内の階段を上って観音様のおわします本堂前の展望台に上ると由比ヶ浜や三浦半島が広々と見渡せる。

晴天だったら素晴らしいだろうなあ、と思う。

ミツマタの植え込みも見事だし、

手鞠のようにまあるく固まって咲く玉縄サクラがかわいい☆

 

ちょうどお昼になったので境内の中にある景色のいいレストランで、その名も「お寺カレー」を食べました。

修行中のお坊さんが作務衣を着てウエイターをしています、

お肉は入ってなくてコンニャクや大豆が入っています。さっぱりして美味しかった☆

健康開運金運を祈って大黒さんをさわりまくったり・・(~)v

可愛いお地蔵さんに微笑み返したり・・♪

長谷寺を出て今度は江ノ電に沿って鎌倉駅方面に戻ります。

新しい車両の江ノ電。家々の軒先や小さな路地のような軌道を走る、休日は混むので歩いたほうが楽!

江ノ電に沿っていたつもりが、全く知らない道をぶらぶらぶらぶら歩いていたらなんと若宮大路の三の鳥居に着いてしまった。

江ノ電の軌道ははるかに北の方に行ってしまったらしい。

ちょっとキツネにつままれた気分。

大路の沿いにあるスーパーの二階のカフェでコーヒータイム。

暑すぎもせず寒すぎもせず、時折りそぼ降る雨に道は濡れてしっとりとした鎌倉でした。