回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

笠間のタヌキ

2012-01-08 23:18:23 | 日帰りドライブ

東海道歩きの帰路で使った青春18きっぷがまだ残っていたので、日帰りのJRでなるべく行った事のない場所に行ってみようということになり、「水戸」という候補が出た。

調べて行くと水戸の手前に「友部」という駅がありそこから栃木県の小山に通じる水戸線が出ている。

友部は茨城県笠間市にある街。笠間といえば信楽焼、益子焼きと並ぶ焼き物の名産地。実はわたしは笠間のタヌキに会いたかったのである。

まだ水戸偕楽園の梅には早いし、とりあえず笠間を目指して出かけてみた。

上野9:04発常磐線勝田行き に乗る。

旅というのは不思議なもので、長距離電車のボックス席に座って車窓の」景色をながめているだけで、何度も通り過ぎている北千住や亀有や金町の駅がもう日常の景色ではなくなり初めてやってきたような新鮮さを感じるものだ。

土浦を過ぎる頃から電車の窓からは冬枯れの田畑、筑波山が青空のもとに見え始める。

友部に着いたのは11時15分。

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さて、ここから水戸線に乗るのだが、あいにく一時間に一本の本数しかなく次の発車は30分後。

改札口に置いてある市街地図を見るとここから笠間までは電車で10分、バスでも25分くらいらしい。正確な距離はわからないがたぶん6~7㎞。徒歩でも一時間半くらいだろう、と友部~笠間間を歩くことに決定!

お天気もよいし汗ばむくらいの暖かさ。

道は西に筑波山を見ながら水戸線にずっと沿って続いている。

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12:00大衆食堂のようなレストランでひれかつ定食を食べる。

このあとお蕎麦屋がたくさんあったので、もう少し歩いて蕎麦を食べればよかったと後悔することしきり。

茨城県は信州とおなじくらいの蕎麦の収穫量を誇るはず。

しばらく歩くと笠間焼窯元や焼き物店がちらほらと見え始め、やきもの通りの入り口となる。

ここには、京都の伏見稲荷、佐賀の佑徳神社とともに、日本三大稲荷として有名な笠間稲荷もあるのだが今回はパス。

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古くからの窯元あり、モダンな作風もあり、色も肌触りも様々である。

笠間焼は約200年前の安永年間より代々の藩主によって保護奨励されてきた歴史ある陶業である。

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橋の欄干も焼き物の絵。

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さて、わたしは笠間のタヌキに会いたいと思っていたのだが、どこのお店にもタヌキはありません。

ひとつのお店で聞いたところ、東北大震災の前頃からタヌキは見かけてませんね」という話。

さらにかの震災のときに窯がかなり壊れたそうである。

水戸の地域では今でも小さい余震が続いているから窯元さんも気が気でないと思う。

やきものの道は歩いてきた国道355号線を迂回するように右に回り込み、「陶の小径」と名付けられた静かな道に入る。

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日射しがほっこりと道端に射しこんでいる。

ひとりだけ歩いている若い人がいる。

一軒の店に入るが誰もいない。

なんだか真昼の夢の中のような、違う次元に入り込んだような雰囲気。

陶の小径から国道に再び出るあたりで、偶然に登り窯をみつける。

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登り窯は階段状になっており下方にある炊き出し口から上に向かって炎を登らせ器を焼く

誰もいないので勝手に窯の中を覗きこむと、あったあった、ありました~!!

笠間のタヌキ!

もう焼かれなくなったタヌキが暗い窯の穴の中に「わしらはここにおるで~」とばかりに立っている、横たわっている。

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日の目を見ることなくここに葬られているタヌキ達の姿に痛々しささえ覚えながら裏へ出ると実演指導の教室の向かいに窯元のお店があった。

そのお店のお姉さんにタヌキの事を聞くと、もう10年ほど登り窯は使っていないのです。今は電気とガスの窯で焼きます」ということだった。(あのタヌキたち、もう10年もあそこにいるのかしら?)

本来の笠間焼タヌキの特徴は?と聞いたらこれです。と店のレジの近くにドンと立つタヌキ像を示してくれた。

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笠間のタヌキは信楽焼より痩せていて野性的で、「赤いちゃんちゃんこ」を着ているのが特徴らしい。

タヌキに会って、なんだかこの旅の本懐を遂げたような満足感に包まれて笠間に駅に着く。

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友部もこの笠間も近年駅舎が改築されたらしく新しくきれいである。

まだお正月気分が抜けず、駅のプレートにも〆縄。

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この駅なかなか面白いです。ホームの線路際にも〆縄あり。

さらにホームに作られたこの表彰台(らしきもの)はいったい何の意味があるのだろう??

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14:31発小山行きの水戸線に乗る。小山まではゆったりゴトンゴトンとほぼ一時間揺られて行く。

山の名前はわからないが、「羽黒」駅の近くから筑波山と反対方向の山を望む。

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埼玉県に入ると、まんまるな大根の薄切りのような月がずっとわたしたちの電車に付き添って上野まで走ってきた。


1 コメント

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お~~、近くまでいらしてたんですね。[E:coldswea... (六番目の貞子)
2012-01-09 12:28:25
 「友部」も「笠間」も、平成の大合併までは、別々の町でした。なので、我々には、「笠間市の中の友部」? というのが、イマイチピンと来ない感覚なのであります。

 「水戸線」は、昔からずっと、「一時間に一本」の路線でした。茨城が「車社会」になる理由、わかっていただけます? [E:catface] [E:sweat02]

 「たぬき」の置物、私のイメージでは、どこにでもあった感覚なのですが、今は事情が違うのでしょうか...? [E:gawk] スミマセン、いい加減な情報を流してしまったようで...。私のイメージでは、赤いチャンチャンコを着ているタイプの、小さいバージョンの姿ですね。かつては、どのお店にも並んでいたはずでしたが...。
 笠間焼きの窯も、震災でずいぶん多くのとこが、壊れてしまったと聞きましたが、そういう影響もあるんでしょうか...? 5月の連休の頃に開かれる「笠間のヒ(字忘れ)祭り」が有名です。

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