2月28日(火)
以前にろくさんが購入した本、「地図と愉しむ東京歴史散歩」(中公新書)の水道道路の項目がとても面白かったので、生まれた時から馴染んだ我が家の近くを通るこの「すいどうみち」を金町(かなまち)浄水場から亀戸(かめいど)の給水場まで地図片手に歩いてみる事にした。
としちゃんをデイサービスに送り出してから10時ちょい前に家を出発。
四ツ木10時01分発で高砂まで。高砂10時22分発金町行き。
寅さん電車に乗り込む。
・
2分ほどで柴又駅着。
柴又街道に沿って歩くと10分ほどで金町浄水場。
ここは昨年の震災で放射能が入り込んだと問題になった都内の水ガメ浄水場。
江戸川から取水している。
・
正門の奥には梅の花がちらほら見える。
壁にはこんな看板も。
正門の近くから京成線の線路を渡ると「すいどうみち」はまっすぐに通っている。
金町公園の脇を通り高砂に入って行く。
なんてったってまっすぐなのである。
これはどんな方向音痴の人でも迷うことなく歩ける道。
この道の下にずーーーーーーっと水道管が通っているのかと思うと
ゾクゾクする。
・
高砂五丁目から中川に至る道にある線路は新金貨物線。
ちなみに踏切の名称は小松川踏切。
渡るとすぐに青龍神社の境内になっている怪無池。
怪無池=かいむ池と読むのか?わからないがいかにも妖怪でも出そうな怪しげな雰囲気で
夜など水の中に曳きこまれそうな池である。
池の横を通るととすぐに土手が見える。
まず、ここで道は中川に遮られる。
確かここには最近まで水道鉄管と併設した橋がかかっていたはずなのだが、今は
水道管は水中に埋められてしまったらしい。
道が突然無くなると云うのは茫然自失の気分。
↓ 「わあ!橋がない!」とひとりで唸ってしまった~。右に見えるのは慈恵医大病院。
しかたなく京成線をくぐって高砂橋を渡る。
青戸側にわたりすぐ高砂側の道とつながる場所に戻る。
環七を渡り、青戸商店街、サニーロード、を抜ける。
葛飾シンフォニーホールの正面前も「すいどうみち」だったとは!
こういう発見?があるから町歩きはやめられない。
「ブラタモリ」もびっくりだわ☆
↓ 葛飾シンフォ二ーヒルズのモーツアルト像。
・
内藤選手で有名になった「宮田ボクシングジム」の前の道も「すいどうみち」
・
ここから四ツ木までは目をつぶっても歩けるほど馴染んだまっすぐな道。
12時近くになったので立石で昼食。
1時前に出発。
「すいどうみち」は京成線にいったん分断されるが踏切を渡ってすぐにつながっている。
このあたりから四ツ木への「すいどうみち」は特有の5叉路、6叉路が連続する。
田んぼを貫いて斜めにまっすぐ作られたからこういう道が現れる。
↓ 6叉路交差点。カメラではとてもすべての叉路は撮りきれない;。
・
平和橋通りを渡っていよいよわたしが毎日自転車で走り回っている道に入ってきた。
木根川に至ると綾瀬川の土手が立ち塞がりまたまた道は分断される。
(注・木根川という川はなく、今では木根川町という名前もありません。わずかに小学校と木根川橋にその名をとどめている)
昔の「水道橋」(すいどうみち)の名残りを残したバス停がポツンと土手下に建っている。
↓
↓ 上の黒いのは首都高。下が綾瀬川土手。かすかにスカイツリーが見える。
昔はこの場所から水道管が通っていた。
わたしの小学校時代(昭和34~39年頃)はまだ水道管が綾瀬川の上にあって管取り付け口の凹部分で本当によく基地ごっこやおままごとをしたものだ。
・
木根川橋を渡り、墨田区に入る。
毎度、この橋からの景色は葛飾一なんじゃないかと思う☆。
さてさて、葛飾区内はまっすぐだった「すいどうみち」が川を渡って墨田区に入ると、どこに続いているのかわかりにくくなる。
荒川は人口の放水路だから、元の道をたどるのは難しい。
葛飾が湿地と田圃だらけの村で「すいどうみち」が簡単に引けたのであろうことがよくわかる
。逆に、墨田区は「すいどうみち」ができたころはすでに町として完成しつつあったのかもしれない。
とりあえず、地図をよ~く見て、わたしが東京低地に興味を持つきっかけとなった「中居掘」とそれと並行した道を代わる代わる歩く。。
う~む、果たしてこれで合っているのだろうか?
中居掘は、四ツ木マイロードにつながる道だから「すいどうみち」とは別物のような気がするが、まっすぐ亀戸に通じている道となるとこれしかない。
・
工事のおじさん、工場のおじさんに尋ねながら歩くのだが心もとなく変な道を歩いたら、北十間川(きたじゅっけんがわ)にかかる十間橋に出てしまった。
川に沿って亀戸方面に歩き、柳島橋に向かう。
↓ 北十間川(スカイツリーと反対方向を望む)
もう江東区である。
柳島橋を右折し、横十間川に沿って歩き、龍眼寺(別名・萩寺)の前を過ぎると、中年老年おじさんおばさんがたくさんわいてきた~~。
ひょっと横の道を見るといつのまにか亀戸天神の裏口になっていた!
せっかくここまで来たからには、天神様でも拝んで行こうと中に入る。
・
しかし、いくら平日とはいえ見事におじいちゃんとおばあちゃんばかりである。
近くのデイサービスの遠足でもあるのだろうか?
・
たくさんのお年寄りとわずかに咲いている梅を見て、天神の正面口を出て蔵前通りを渡る。
そして渡った通りの裏側に、ありましたよ~~~!!!
亀戸野球場。でもわたしは野球場を目指してきたわけではありません^^。
実はこの野球場の下が亀戸給水場なのである。
戦時中からの名残なのか、はたまた毒入り事件を防ぐためか、地図には載っていない。
ここが葛飾の金町からやってくる水道の給水場。
けっきょく「すいどうみち」がこの建物のどこに入り込んでいるのかもわからない。
墨田区に入ってからの正確な「すいどうみち」もわからないままであったが、ここから
東京のどこにどう水道管がつながるかはまた調べる楽しみができたし、
金町からここまで、ひとつの道をたどりひとりで歩いてきた感慨はけっこう強い。
歩行時間:約4時間。距離約10㎞。
道の下にはまた昔の道が、歴史が息づいている。