回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

甲州街道を歩く④小仏峠~小原~与瀬(相模湖)~吉野~関野(藤野)

2018-03-19 10:14:36 | 甲州街道
3月18日(日)曇り時々晴れ

いよいよ小仏峠越え。
中央高速道でシーズン盛りの休日に大渋滞する[小仏トンネル]の上を歩いて武蔵から相模まで抜けます。

なんだかんだと言っても、昔の人の峠越えは今の整備された道とは全然違うので、相当な体力を使い疲弊したはず。
それを今では文明の発達で国道20号ができたり高速でトンネルをするりと抜けてしまうのだからたいしたものです。

京王線で高尾駅に着き、前回歩いた小仏バス亭まで、バスに乗ろうとバス乗り場へ。
前回の記事はこちら

なんとびっくり!バス待ちの人々が長蛇の列@!

もう梅祭りは終わったのにこんなに混むのは、高尾から景信山~陣馬山、または城山あたりへのコースが都心から
近くて手近にあるからだろうか。

9時40分。小仏バス亭に到着。
右側に中央高速を見ながら、歩きはじめる。ちょっとひんやりして歩くにはもってこのお天気。


歩きだしてしばらく、バス亭の混雑に驚いてうっかり水を買うのを忘れた!と気づく。
自動販売機はないだろうとあきらめていたら、ちょうど庭先に、自家製の梅干やら野菜やら梅酢を売っている民家を発見!
そのお宅のおばさんに「お水は売っていませんか?」と聞くと「お水はないけどウチのを汲んできましょうか?」と有難いお言葉。
お礼に200円のやわらかくて美味しい梅干を買ってまた歩き出す。



しばらく行くと舗装道路が終わって峠道の入り口。ここまでは車でも入れるので駐車場もあり。


鬱蒼として熊でも出そうな土道に入る。


途中の湧水水場。

あんなに高尾のバス停でたくさんいた人々がまるで消えたようにだれもいない。荒れた感じの山道である。


10時30分。小仏バス亭から40分ほどで峠の頂上に到着。
八王子の市街かな?遠くに街のビルが見える。(写真では見えない;)


ここで小休止。民家でいただいたお水が美味しい☆

高尾は様々なコースがあって、ここで休んでいると、わらわらとあちこちの道から人々が集まってくる。道の往きかう中央広場と云った感じ。


わたしたちは峠道を進む。
東京と神奈川では、地質地勢にもよるのかもしれないけれど山林の管理の仕方が違うようで、神奈川(相模)に入った途端、木々の
手入れが良くなって急に明るくなる。


11時20分。峠を下り切り、標識に従って底沢バス停方面に向かってアスファルトの道をたどる。ここ、同じように右にカーブする道があって間違いやすい。


中央高速の赤い橋をくぐり


照手姫伝説の説明板の前を左に折れ

美女谷橋から美しい滝の淵を見下ろす。


左側は中央線。静かで気持ちいい。


一里塚跡のすぐそばのガードをくぐり底沢のバス停を過ぎるともう、小原宿。日が射してだんだん暑くなりはじめる。


小原宿には現存する本陣の屋敷がある。
下諏訪から来る大名の人馬は小仏峠を控え、また武蔵から来るものは峠を降りてほっとしたところで、この小原の宿で一息入れただろうか。

ここの管理人のおじさんに街道の様子をいろいろ伺う。



小原を過ぎて山側の方に入ったり出たりしながら進むと、湖の色がちらりと見え始め、相模湖駅を見下ろすことができる。


相模湖駅。街道時代はこのあたりを「与瀬」の宿と言った。相模湖駅というのも昔は与瀬駅だった。


すでに12時を過ぎたので、駅前のお店でお昼。
ワカサギフライ定食。美味しかった(^0^)


駅前からは丹沢の峰々かなあ。規則正しい波長のような山並みが見える。


また国道と山側に出入りしながら、慈眼寺の前を通り国道に降りる階段を下って


ラーメンセンターの横を入って旧道を回ろうとしたら、目当ての丸木橋がいつまでも出てこないので引き返す。

工事車が入っていたから、橋が架け替えられるのかしら?


この道どうやら明王峠に登る道らしい。



国道に戻ってまたすぐ山側に入る。
石仏石塔群の行列。

小高い山の中腹の集落といった感じで、相模湖と山々の眺望がすばらしい。


甲州街道は、山好きの人には嬉しい道かもしれない。山々が折り重なって中仙道の木曽川沿いの宿場を歩いているような錯覚に陥る。
相模湖は昭和22年にできたダム湖。それ以前はこのあたりは相模川の急峻な激流であったらしいから、山側の集落はひっそりと山合いの襞に
寄り添って暮らしていたのだろうか。


さて、気持ちのいい山里の道を歩いて、ちゃんと目印のファミリーオートの前の「子の入り」の標識を見定め、さらに近くで作業していた
おじさんに丁寧に吉野宿までの下り方を教えていただいたにもかかわらず、道を間違えた!間違えたというより右に入る小さい道を見逃したらしい。
横道~橋沢~赤坂~桜野~矢部までの標柱は確かに通ったのに、椚戸(くぐど)の標柱を見なかったことに道が途絶えたところで気が付いた。
下に降りる道はただ一つ!傾斜約45度の石段を降りるしかない!(今思えばどうしてここでひきかえさなかったのろう?)
階段が始まる地点。


もちろん、下は車びゅんびゅんの国道。相模湖インターのすぐそばだからけっこうなスピードで走っています;;。
おまけにこの階段、すごく段差があり膝に来る(××);。普段は誰も歩かないようだから落葉がわんさと吹き集まっていて足場が悪い。
軽度の高所恐怖症である6さんには、峠越えより厳しかったと思われる。


旅はスリルとサスペンスに満ちている!(と、もう何度もいろいろ失敗しているけれど)改めて実感。

おそらく最初で最後の経験であろうインターと国道の間のとってもとっても怖い信号を渡って、平坦な道に出た(ほっ)

少し行くと正しく山側から下りてくる道と出会う。吉野宿の高札場と六地蔵が見える。


吉野本陣跡の古いお蔵や資料館の前を通り過ぎ、吉野橋を渡る。


今日はここまで、ということで関野宿まであとわずかだが、藤野駅に向かう。
この辺の人々は、旅人に親切で地図を片手に迷っていると「何かお困りですか」などと声をかけてくれる。
今まで歩いてきて、街道筋はこういう心遣いの嬉しい土地が多かったなあ、と思い出す。
駅に向かう道。


2時50分に藤野駅に到着。

ホームには、陣馬山から下りてきた登山客で賑わっていました。


峠越えの後に歩くのはちょっときつく国道と山道の出入りに迷うことの多い道程だったけれど、景色もいいし変化に富んだ旅でした。

本日の歩行距離:約13㎞。次回は、関野から上野原~鳥沢までを予定。

甲州街道を歩く③日野~八王子~駒木野~小仏

2018-03-12 09:30:37 | 甲州街道
3月10日(土)曇りのち晴れ

春からGWにかけてしばらく忙しくなるので、練習日ではあるけれど午前午後を利用して
前回の続きを歩きました前回はこちら
予定では駒木野までで折り返そうとしていましたが、ちょうど高尾の梅まつりに出くわし、梅につられて小仏まで行ってしまいました。

9時50分。まだひんやりと冷たさの残る日野の駅を出発。



線路に沿うようにして中央高速道をくぐり、大坂上までダラダラと上り、右に広大な敷地の日野自動車工場、


左にコニカミノルタ日野工場を見ながら進む。


コニカは昔、小西六というフィルムを出していて、亡父はこちらを愛用していた。
元々は薬種問屋であったらしい。

八王子と高崎を結ぶ八高線を跨ぎ、もう八王子。



豆腐料理の「うかい」を通り過ぎ、石川交差点からまもなく、右側に真新しい神社の階段が見える。



昨日にでも建てられたような階段と思ったら案の定、つい先月建立と記されていた。



こちらは女階段、新しい男階段をぐるりとまわりこむ。女階段はどこでもゆるく風情があってよい。



境内に昇りつくと、何やらお祝い事のような雰囲気で神主さんが祝詞をあげ地元の方々が介している。
そう!折しも男階段の落成式なのであった!
街道歩きで何が面白いかと云えば、こういう人々とその土地のかかわりが、垣間見られることである。


小高い神社の横からの市内の眺望もなかなか。


日枝神社を後にして、旧道に入ったり出たりしながら浅川にかかる大和田橋にさしかかる。


橋詰めに、太平洋戦争の空襲の際の焼夷弾の説明板あり。

橋に弾が落ちた位置がタイルで示されている。いくつもある。


国道から逸れた道を入り、竹の鼻一里塚でお相撲さんの銅像を見上げて、しばらく行くと枡形と呼ばれる、直角に曲がった道。
それを直角に曲がりるとふたたび国道。
堂々とした八王子の宿場通りに出る。

市の守護神、大鳥神社。


日本橋から45キロほどだから、昔は、ここを甲州街道の最初の宿とした旅人も多かったかもしれない。
当時は女性でも40キロ(約10里)を一日で歩くのも珍しくなかった。
ここで泊まって、翌日の小仏峠越えに備えたのだろう。

八王子織物、お茶屋、コンニャク屋など、古い店舗が新しい街の中に多く残っている。


今回は時間的に無理だけれど、八王子城跡に一度行ってみたい。

12時少し前。
通りの蕎麦屋でタヌキセットを食べる。可愛いお稲荷さんとたぬきそば。キツネとタヌキの化かし合いなものか,美味しかった(^^)
やはり街道歩きのお昼は蕎麦屋に限る。


八王子を後にまっすぐ国道を歩く。このあたりは歩道も車道も広くて比較的歩きやすい。

やがて追分の歩道橋。
歩いていて歩道橋ほど不便なものはないと再認識。近代の最悪の発明(?)だなあ。
ちなみに同行のろくさんは、軽度の高所恐怖症であるから歩道橋の上も苦手なのだそうだ。


このマンホールはなんだろう?田楽に使う鈴のようなものもあるから三番叟かな?


高尾警察の手前あたり。



武蔵御陵、多摩御陵を越して旧道に入ると、黒塀に囲まれた旧家がいくつかあり、水の流れも澄んで山が近くなっていることを感じさせる。



再び国道に出てしばらく行くと、右に駅前ホテル「きくや」があり、左奥に高尾の駅が見えてくる。

名前の由来は天国と地獄の両界か、はたまた此岸と彼岸の両界か、よく知らないけれど両界橋をくぐり、駒木野(「こまぎの」)ヘ向かう途中で人出がいきなり多くなる。
なぜかといえば今や盛りの梅まつりであるらしい。


大きな駒木野病院を過ぎて宿場あたり。

小仏から移設された関所の碑もとなりにある。

宿場跡は小さい公園になっていてここでも賑やかに梅祭り、真っ最中。


右に中央高速、左に野生の梅を見ながら、そのギャップの中に生息する山里の道を登ってゆく。
いわゆる裏高尾である。


流れているのは小仏川。春のうららかさを絵に描いたような、穏やかないい道だ。


このあたりに来ると梅見客もまばらになってくる。



JRのトンネルをくぐり


しばらく登ると変電所があり、その先に小仏のバス亭。
高尾方面から来るバスはここで終点となる。


15時10分。バスが発車。

テクテクテクテク歩いてきた道を「あっ」という間にバスは下って15時半に高尾駅着。


ここから関東西の鉄道網を屈使して練習場へ向かいました。
歩いているのは全然平気だったけれど、この電車乗り継ぎにはハプニングのおまけつきで閉口~~(-);;

予定より遠くまで歩いたので、次回は小仏峠越えが楽になります(^^)v
本日の歩行距離、約17km。

甲州街道を歩く② 千歳烏山~府中~日野

2018-03-05 13:46:00 | 甲州街道
3月4日(日)晴れ

花粉飛散率高く、気温も20度を超えるかもしれないという予報におののきながらも歩いてまいりました。

前回終わった千歳烏山に9時到着。前回はこちら


京王線に沿って20号甲州街道を歩く。

歩きはじめてほどなく、一里塚を発見。


甲州街道は、東海道、中仙道とちがって一里塚や、遺構が少なく(おまけに資料もとても少ない)、ここもビルの谷間ではありましたが初めて街道の目印を
発見しました。

仙川近辺。左側になんだか見慣れたお人形とロゴマークがあるなあ、と思ったらキユーピーエッグ ワールド トレーディングでした。ここで9時半。


土手に春の色を纏った野川の流れを見ながら馬橋を渡り、


国領のあたりで道は二股に分かれ、コンビニの左の道をとり、旧甲州街道に入る。


旧街道は道幅も狭いのだけど、地元の人々の生活の道。
布田付近の道の角にあるお不動さま。

地蔵堂のたくさんのお地蔵さんや手入れの行き届いた可愛らしい庭も印象的。


やがて調布。ここは合唱や伴奏関係で何度か来たことがあるけれど、駅が地下に埋め込まれると、のどかな田舎の風景が一変しニョキニョキと
スーパーやら遊び場ができてなんの美しさもない街並みになってしまった。


しばらくして上石原(西調布)、云わずと知れた新撰組の近藤勇の出生の地であり、西光寺では座像が鎮座まします。


中央高速をくぐり、右に見える競馬場、左にビール工場~♪、なんて、いつも高速に乗って歌っている歌詞が、習慣で口から出てくる。
(もちろん、今回は旧甲州街道なので、両方とも左にある。)

京王線、武蔵台の駅の手前あたりで、11:20分。
予定ではお昼は府中にするつもりだったが、お腹が空いてきたので「コメダ」で軽食。
暑かったのでアイスコーヒーが美味しかった。


このあたりは京王線を軸として、西武多摩線やら京王競馬線やら南武線やらが錯綜していて面白い。


最近建ったような高層マンションのビル風にきゃあきゃあ言いながら府中に到着。観光案内所で市内地図をゲット。


さすがに国府のあった場所。お天気に誘われてお参り客の数も多く賑わっていました。


大国魂神社の境内の甘味屋さんでクリームあんみつをいただき、せっかく来たのだからと参拝。
鐘楼ならぬ、鼓楼という櫓もありました。機会があったら聴いてみたい。

道に戻って、街角左側に保存されている高札場を通り過ぎ、


人並みも途絶えたあたり、高安寺という曹洞宗のお寺あり。

水子地蔵の華やかな色とりどりの風車や静かな境内がなかなかよかった。
「奪衣婆」なんて初めて聞いた・・・。


この辺からまた車の量の多い20号と合流し、歩道が狭くなるので歩きづらい。
いくら車があっても広々とした歩き道か、狭くても車の通らない道がいいものだと痛切に思う。
日光街道も今市までは、ずっと4号の車道に沿って歩くので辟易したのを憶えている。
まったく街道歩きの最もつまらない道の典型である。



谷保の天神さまに立ち寄り梅見。


青柳の常夜灯を通り過ぎてまもなく、ドドーンと5差路の日野橋交差点。


もう立川市に入っている。


20号はここで直角に曲がって多摩川(日野橋)を渡るのだが、我々は旧甲州街道をたどるので、(愚直にも)ここの交差点の奥多摩街道に進路をとる。


そしてこの道はすぐさま、旧甲州街道と名前を変えるのだから、土地の不思議につままれたような感じ。


ぐるりと北側に一度まわりこむような感じで旧街道は、浄水場の前で今度は新奥多摩街道の横断歩道を渡ることとなる。

そして、信号を渡ったら土手がどんつきにあり、そこを登れば、多摩川が開ける。川のある風景は実に気持ちがいい。


橋の上を多摩モノレールが走る立日橋(立川と日野を結ぶ橋の意:たっぴばし)を渡りついに日野市!


橋を降りると整備された近代的な街並みがしばらく続くが、古い家の壁や街の角に街道時代の写真が掲示され、街興しに取り組んでいるのがわかる。
街道の左側には甲州街道に残る3軒の本陣のうち一つが現存している。


本陣に到着したのが4:00。
閉館時間は4時半なので、ぎりぎりセーフ。
ラッキーなことにちょうど雛祭りの飾りイベントの最終日にあたり、中で美しいお雛さまたちやつるし飾りを堪能。

ここでお手伝いをしている街のおばさまたちのフレンドリーで楽しい応対が忘れられない。


JR日野の駅もこんな感じで旅心をかきたててくれました。17時ちょうどの特別快速に乗れたので家まで1時間10分でした。


本日の歩行距離、約21、5㎞。
次回はちょっと短く、日野から高尾までを予定。

春の嵐の後

2018-03-01 21:29:54 | 町歩き・季節の日記・エッセイ・コラム
明け方の雷の轟きにはびっくりしました。

日中は4~5月の気温。

ユキヤナギの芽、(新葉)



カイドウの芽

サンショの芽、

モミジの芽、

ベニカナメの芽、


今日の陽気に誘われてあわてて膨らんでしまったお芽芽たち。


また寒さが戻って来ても、もう引っ込められないぞ。大丈夫かな(^_^;)