8月30日(日) 雨
願いもむなしく、いや願いを間違えたからか(昨日の日記参照)雨~////.
しかしここから下諏訪におりる交通機関がないので、ここは這ってでも前に進むしかない。
宿のおかみさんに「和田峠は下りが困難、雨でガレ場は滑るし危険だから今日はやめておいた方がいい」とアドバイスをいただき
登りは旧街道を、下りはなるべく旧国道を通る予定で出発。
そうそう、最大の懸念材料であった山蛭は、和田峠にはいない!ときっぱりおかみさんが言いきってくれたのも心強い。
ちなみに碓氷峠の蛭の話をしてあげたら、きゃあきゃあ云って怖がってらした。話してるわたしも体験が甦って気色悪かった;;。
下諏訪に着くまで食べる所は一つもない、ということでおにぎりとバナナを持たせてくれました。助かる~☆
もちろんトイレも峠を越えるまではない。
7時35分。宿の近くのバス停から長和町の巡回バスが出るのでそれに乗る。
乗客はわたしたちふたりだけ。
ちょっとズルして、昨日の唐沢のバス亭の少し先の男女倉(おめくら)で降りる。このあたりは名前にしおう黒耀石の産地。
アスファルトの崩れた石片を、もしかしたら黒耀石?★なんてふざけながら少し行くと、いよいよ右側に峠への入り口。
いろんな標識がたくさん掲げられているのですぐわかる。
なつかしい地名もたくさん、こんな風に和田峠と関わっていたのか!、と地図が頭でつながる。
このあたりの道路今昔の参考ブログ:http://haisentn.blog41.fc2.com/blog-entry-228.html
午前8時5分。
いざ!出陣。蛭はいないということがこんなに気持ちを楽にするものか・・。
しかし、蛭はいなくてもクマはいるらしい++!;;
さっそく「森の熊さん」を歌う♪
あいにくクマよけ鈴はリュックの奥になって取りだし困難;;。
リュックには雨用にしっかりビニールゴミ袋を結わえてあって中は取りだせない仕掛け。
薄暗くて道はぬかるみ、なかなか薄気味悪い。歌声も湿りがちである。
こういうときは大勢仲間が欲しい。
↓ 三十三体観音。
ぎゃ!何の骨だろ?標識の上にこんなもの。
「接待」というのはもうしばらく登るとあるお休み処、文政年間に開設された永代人馬執行所のこと。
今ではだあれもいない。接待のせの字もない。
傘を干して休憩。この街道歩きではこんな場面が多し。
再び歩き出す。
広原一里塚。まわりは本当にひろびろとした草地でキャンプファイアーができるらしい。
でもこんなところではあまりキャンプをしたくない感じ。
四キロほど登ったところで旧国道と合流。
東餅屋。ちょっと前まではドライブインで旅人に力餅を出してくれたらしい。
今は店仕舞い;;;
泣く泣く餅屋をあとに歩いて行くと雨がどうしようもなく土砂降りになってきた。
今でさえ傘をさしてようやく雨をしのげる程度。これで峠まで登っても何も景色はみえず、下りはもっとたいへんだろう。
老夫婦ふたりで意地を張って遭難するのは嫌なので、今回はもう峠の頂上はあきらめようと決断!
旧国道を迂回。峠の頂上下の和田峠トンネルをくぐる。
まあ、ここでレリーフを見てびっくりしたのが、このトンネル建設に携わったのが青山士(あきら)であったことだ。
彼はあちこちの河川開削工事にも関わり、わが町を流れる荒川放水路の上流にある岩淵水門を作った人だ。
以前、荒川の資料館で彼の職歴を見て大いに感動したのを憶えている。
まるで旧友に再会したような嬉しさがわいてくる。
さて、雨はますます激しく、大きなダンプが多く、威勢よく水しぶきを上げて入ってゆく。
下りだからよけいかもしれないが靴の中は水たまり状態である。
なんと気温は16度@!
水戸浪士の墓。このあたりからガレ場はなさそうなので再び旧街道に出たり入ったりして歩く。
少しづつ里の家々が見え始め、石屋の前に諏訪太鼓の石人形。
「もう少しだからしっかり歩け!」と応援されているようないないような・・。
やがて左に下諏訪の看板が多くみられるようになり、国道を横切るとこういう案内板。
あと4㎞で下諏訪だ~~!
木落とし坂とは、ここ下諏訪の御柱祭で使う樅の大木を45度ほどの山頂から落とすその場所である。道祖神を右に下り、
少し上ると、ドーン!
このように坂の上に大木が鎮座まします。
ここから男たちがこの木にまたがって、一気に坂を下る。
下にみえる白い線は国道のガードレール。
ほぼ7年おきの申と虎の年に行われる御柱祭は今や全国的にその勇壮さで名を轟かせている。
実に来年はその申年である。
すごいものだ、と感心しながら歩いてゆくと優雅な感じの水車の集落。
けっこう登り道の連続である。諏訪湖へは下りしかないはずなのに・・・。
しばらくするとこんな案内板が・・。
さらに登って「おかしい、道を間違えたらしい」と地図を見ながらろくさんのたまう。
「ぎょ!」、だって木落とし坂からはこの道しかなかったはず。
リュックにかけたビニール袋を破ってガイドブックを見てみると確かに木落とし坂から下に降りなければいけなかった。
登って来たのだから下るのは容易なのだが、1キロメートル近く損をしてしまった;;;
木落とし坂に戻ると、なるほど、案内板が朽ちて足元に落ちていた。これでは間違えるのも無理はない。
下への道を下る。ひたすら下る。
川は濁流、雨はまた強くなる。
足の裏は痛いし靴の中のゴボゴボが最高潮。
ようやくこの諏訪湖が眼前に広がった時は泣きたいくらいの感激であった。
ああ、着いた~。↓ この道標の右の坂を下ってきたわけである。
街に入るとけっこう観光客(参拝客)がたくさんいる。
一昨日から歩き始めてこんなに人がたくさんいるのを見たのはひさしぶり。
皆さん、もちろん車。
道の右側に旅籠風の無料お休み処あり。
150年前の商店の建物をそのまま保存し、改装してお休み処としている。
14時。ここで宿で作ってくれたおにぎりを食べる。
ボランテイアのおばさんの手作りのお漬物や干し柿の刻んだのをこれでもか、と出してくれる。
ありがたい。
こういう場所はほんとにありがたい。
ここで息を吹き返して、10分ほど歩き諏訪大社下社の秋宮に詣でる。
さすがに神楽殿の〆縄の立派なこと。
少し戻って甲州街道と中仙道の合流点を通過。
街中には温泉がたくさんあって入って行きたいが、せっかくきれいになったのに靴がびしょびしょではやりきれない。
がまんして宿場の本陣を見たりする。
まだ15時。
和田峠の頂上は行かなかったものの、道を間違えたものの、予定より早めに下諏訪に降りることができて良かった。
昨日長久保から唐沢まで歩いたのがかなり効いたと思われる。
湖畔も散策したかったが、朝の8時から約7時間歩き通し。
さすがに疲れていたので湖は中仙道沿いではないし、いつかまたゆっくりと、ということで駅への道を南下。
次回はこの交差点からの出発となる。
下諏訪駅。
電車の発車まで時間があるので待合室でシャツを着替えたりソックスを取り替えたり、山姥姿を少しはこざっぱりとして(^^);
ビールでかんぱ~い!!
この悪天候の中、和田峠を90パーセント越えたという充実感がふつふつとわいてきてビールを2本も飲んでしまった。
16時54分発臨時の「あずさ56号」で新宿に出て帰宅。
新宿の人ごみに少し酔った。
中仙道は長い。早めに予定を立てていかないとよぼよぼになって歩けなくなるかも~~;;
本日の歩行距離:萩倉に迷い込んだ距離を含んで約20㎞。
京都まであと約306㎞。