回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

ギンモクセイ

2015-09-28 14:13:35 | 町歩き・季節の日記・エッセイ・コラム

 

季節の巡るのがだんだん早くなっているような気がします。

スーパーにはもう柿、松茸、ハロウィンの準備・・。

いつもと同じなのかしら。

いそがずにゆっくり時間が経ってほしいのだけど。

そうじゃないと気持ちが追いつかない。

キンモクセイがあちこちで方向を漂わせるこの頃、

少し遅れて我が家のギンモクセイもほのかに香ってきました。

そういえば昨年は、キン・ギンモクセイの花を拾ってきては押し花にしたものでした。

「浅い春が好きだった

死んだ父の口癖の

そんな季節のおとずれが

近頃ではわたしに早く来る

ひと月ばかり早く来る。

 http://www.fureai.or.jp/~t-mura/chichinoiruniwa-3-strings.html

という多田武彦さんの男声合唱曲がある。

これは早春の歌だけれど、父も母も9月生まれだったからか初秋のこの季節の陽射しはなぜか懐かしいのね。

江面幸子さんの作詩、小山章三さん曲のこの歌も好き。

「こんなに空が青いので

涙や夏つくった哀しみや寂しさを

ぽんぽんと投げてしまった

わたしの目は透きとおっている」

何年前に演奏した「秋はしゃむ猫のように」の中の一曲です。

振ったり弾いたり歌ったりしているときは夢中だけど、いろいろなことを乗り越えてほっとどこかだ緩んだときに

メロディが遠くから、細い雲のたなびくが如く近寄ってきます。

さてさて、静かな昼下がりで昼寝をしたいくらい。

 


中仙道を歩く⑭洗馬~本山~(日出塩)~贄川~(木曽平沢)~奈良井

2015-09-24 14:47:22 | 中仙道(中山道)

朝起きると、民宿のおじさんは早々に長い地下足袋を履いて山へ。

おじさんからは自家製のわさび漬けや、疲れたら食べてね、と、おばさんからは梨をいただく。感謝。

7;30宿を出発。(ここから写真が大きくなったり小さくなったりいろいろしますので煩わしいかと思いますがご勘弁!クリックすると大きくなるのもあります)

 

ガードレールの上が国道、旧道はこの下を歩く。昨夜の地酒「七笑」は美味しかった。何杯でも呑めそうであった。

祭りの準備のおじさんが縄をないながら挨拶をくれる。

国道にいったん出てすぐに右に入るとすぐ本山の宿。洗馬からは約3㎞の短い宿間距離。間の宿だったのだろうか?

小さいながらとても穏やかで人情味がある街。おもしろいもので地方にゆくと歩いているだけで町のカラーがわかる。

ちなみに中央線中津川線にはこの宿場の駅はない。

このあたりから秋祭りの準備があちこちに見られる。

本山は蕎麦打ちの発祥の地でもあるらしい。ここでお蕎麦を食べたかったがここを通過したのはまだ8時半頃であった。

宿場の西詰の本山神社の祭礼ということで山の上の神社にはたくさんの男の人が準備のために集まっていた。

ここでも誰もが挨拶をしてくれて、街道歩きの話が弾む。

まもなく日出塩の集落。こちらは鉄道の駅がある。

このあたりの集落、宿場は山に囲まれた道の合間にひょいっと小さく暖かい人々の生活が感じられる。

こういう自然の土地と人々の性格の感じの良さは山の気なのだろうか?

ここも祭りの準備に余念がない。だんだん天気が良くなり暑くなってきた。

 

宿場間は国道に沿う道が多いのだが、ときおりすぐそばを走る抜ける電車がいちいち楽しい。

さて、いよいよ出ました。国道脇(元は旧街道)に

「是より南、木曽路」の道標。

う~~~ん、よくここまで来たものだ、嬉しい!しかし、空はいよいよ青く暑い!

 

左に断崖絶壁、右のはるか下には(関東人から言えば非常に不可思議な逆流)滔々を流れる奈良井川の渓谷。

行く手の桜沢の近くにはダム。

 

若神子の一里塚を右に見て小さい道に入ると小さい集落。

三段式水場。このあたりからこういう水場がどんどん現れ、おばさんが三段目で洗濯をしていたりする。

わたしもペットボトルに一段目の水をいただく。美味しい☆

また国道に出て贄川の宿に入ったのは11時頃。

線路をまたぐ橋には木曽節の歌詞が書いてあり、欄干に吊るされた金属の筒を鳴らすと木曽節のメロディに

なるらしいのだが、あいにくところどころ壊れていて自分で歌うしかなかった♪

橋を渡ったところには贄川の関所。

中を見学。今さらながら中仙道の参勤交代の道中に想いを馳せる。

☆最近になって浅田次郎さんの「一路」を読んだが、なかなかおもしろかった☆

皇女和宮さんに着いて江戸入りした岩倉具視が贄川宿の娘さんに書いたラブレターなどが展示。

本陣跡近くの旧家の庭先に咲いていたシュウメイギク。

 

小さな神社の鳥居のそばに水場がある。

贄川から奈良井までの間は知る人ぞ知る漆器の町、木曽平沢がある。

ここでもすでに漆器の製作は行われていてお店がいくつか。

「ひのきや」さんという店に入って街道歩きの記念に厚手の栗の形の木皿を買う。

話好きのおばさんに大サービスしてもらう。

そろそろ13時近く。「ひのきや」さんのおばさんが教えてくれた蕎麦屋「ながせ」で昼食。

山菜天ぷらそば。

タンポポ、山ニンジン、スイバの天ぷら。やっぱりお蕎麦は美味しい!!

お腹がいっぱいになって、ひたすら奈良井宿に向かって出発。

途中国道の道の駅に出て地元の物産工芸品を見る。ここはなかなか規模が大きくて見ごたえあり。

ちょうど家の風呂桶が古くなっていたのを思い出し、ここで風呂桶を買う@!

夫はここからずっとそれを持って歩く。

楢川の瀬音を聴きながら歩いてゆくと名前も知らなかった集落に出会う。

木曽平沢である。

山間の下り道が終わる頃行く手に見える家並み。ほとんどすべての家の屋号のそばには「漆器」と書かれてある。

ガイドブックにない、そこだけ世間の賑わいから隔絶されたような町並み。

そういうものがこの街道沿いに幾つあるのだろう。

かつて東海道歩きで、有松の町並みに遭遇したような嬉しい驚き。

昼下がりの漆の街はひっそりしていた。

素晴らしい工芸品の置いてある店では品のよいお婆さんが奥から出てらして、珈琲でも飲んでいらっしゃいませんか?

と聞いてくれる。何にも品物を買ったわけでもないのに。

さらに歩いて行くと、後ろから大声で「今お茶を淹れるから寄っていってくださーい!」と元気なおばさんの声。

通り過ぎた無料休憩所のおばさんらしい。

一瞬どうしようかと迷ったが、せっかくの旅の出会い、折り返して中に入る。

漆器作り工房を兼ねる休憩所なのか、中の様子もほのかな木の匂いとぬくもりでいっぱいである。

中には地元の漆器職人さんと地域振興の女性が居合わせ、自家製のお漬物やらブドウを出してくれる。

地元の話、漆の話、いろいろ伺う。

偶然に通りかかった街道歩きの旅人にこんなにも手厚くてもてなしてくれる人々がいるのだ。

 

宿場と宿場に挟まれたちいさなダイアモンドみたいなところだと不思議な感覚に包まれて平沢を後にする。

15時頃になって陽はいっそう暑くなる。

川を左に見て踏切を渡る。

 

線路と平行にまだ漆器店の並ぶ道を歩いてゆくと、行く手に並ぶ屋根が見えてくる。

奈良井宿である。

木曽路に入りこの一本道をずっと歩いてきて、いや、お江戸の板橋宿を出て数十里、いよいよ中仙道六十九宿の真ん中の宿場である。

駅が近づくにつれ感激でちょっとうるうる。

15時20分頃、奈良井着。

実は五年ほど前に、奈良井、木曽福島、妻籠、馬籠、へは車で来ている。

車では実に簡単だった。楽だった。SAやPAで降りるほかは点と点を目標に車が走っただけだった。

だが、この街道歩きは違う。

丁寧にゆっくり又あるときは足早に、土地の人々と触れ合い、花々に慰められ、ブドウの香りの嗅ぎ、水の音を聴き、道祖神に案内を乞い、点と点を結ぶ線の中を五感の働きをいっぱいに感じて進む旅だった。

帰りは塩尻まで出て17:07発あずさ56号に乗り新宿へ。

さて、ホントは木曽路を中津川まで一気に通関したいところだが、なかなか時間の調整がつかないのが悲しいところ。

次回は奈良井からどこまで歩けるかスケジュールを睨み合わせて待つのも旅の楽しみとしましょう。

今回の歩行距離:約20㎞

京都まであと約267㎞


中仙道を歩く⑬下諏訪~(塩尻峠)~塩尻~洗馬

2015-09-24 12:51:40 | 中仙道(中山道)

前回の和田峠越えとは打って変わって晴天続きの連中の天気予報。

今回はいよいよ木曽路に入ります。

シオン、コスモス、シュウメイギクなどの咲き乱れる街道筋には人情も盛りだくさんでした。

距離が遠くなるにつれて朝の出発も早くなってきます。

新宿発7:18分のあずさ51号に乗る。

10:00少し前、下諏訪着。

この間大雨の中、歩きついた場所なので、晴れているとこんな駅の風景かと、少し驚く。

ここから岡谷を通り過ぎ塩尻峠に向かう。

岡谷に続く道は絹の道とも呼ばれ、養蚕と絹織物で名をはせた町。

ゆるやかな上り坂を歩いて行くと右側に「ひかぎり地蔵」とかかれたのぼりが立っている。

毎月23日にお参りすると多大なご利益があるとか…今回は2日違いで残念だったが、とりあえずお参りをしましたよ。

 

「右中山道 左いなみち」と書かれた道標を通り過ぎしばらく行くと今井の集落。

ここは塩尻界隈の宿場でも一つの歴史を刻んだ町。詳しく調べるとタイヘン面白そう。

どんどん登り道になってきて岡谷のインターのあたりの中央高速道路を回り込むように道は続く。

ドライブでは何度も通っているこの自動車道、上から見るとまるでおもちゃの国のようです(^^)

しい水の流れ落ちる石船観音の苔むした境内でひと休み。

道はアスファルト整備されているけれどけっこうきつい。

↓どこから飛んできたのか大昔からここに鎮座ましますこの大石を過ぎると

次第に急峻な山道となり、あたりは静けさの中に鳥の声、そして自分の息切れの音。

 

途中2組くらいの軽装の家族連れとすれちがう。地元の人にとってはハイキングコースなのか、

ルンルンお喋りしながら下ってくるけれどこっちはヒイハアヒイハア・・・きついぜ。

まだ旅の始めなのでゆっくりゆっくり休みながら登る。

まだかな~、と思ってふと右を見ると明治天皇御行幸の野立て処という石碑、その後方に展望台がある!

階段をよじ登って展望台のてっぺんに立ちますと、いやいやあっぱれあっぱれ!(と云うには曇りがちだったが;;)

登ってきた下諏訪岡谷の街が一望に見渡せるではありませんか!!

これがあるから辛い登りも耐えられるのである。

もっと晴れていれば右前方に富士山も望まれるらしい。

そして反対側を見渡せば、これから歩いてゆく木曽への山の襞が折り重なって見える。

塩尻峠は同じ信濃の国にあって諏訪地方と木曽地方を隔てるひとつの壁かも知れない。

さて、下りはさっき登りの時にであった家族のようにルンルンである。まったくなぜにこんなに上りと下りでは

心臓への負担が違うのだろう?!

どんどん下ってやがて東山の一里塚を越えたところで国道と合流。

もうすでに12時。

どこかに食堂はないかと探し始める、街道筋にはなかなか食事処を見つけるのは困難なのだが国道に出たのでもしやと思ったら

ラッキーなことにあったあった、ありました!

 

このどでかい看板!もうこの看板がみえると同時に焼肉の匂いが漂ってきます♪♪♪

まるで馬の前にニンジン。一目散にその食堂へ!

中もだだっ広いこの食堂はいまどき珍しくもうもうと匂いが立ち込め、車で来たお客さんんでいっぱい。

そういう方々を尻目にビールで乾杯!美味しかったが夜まで焼肉の匂いは体から消えなかった・・。

おまけのソフトクリームを食べ歩きながらまた旧道に入り、さらに下る。

柿沢の町へ向かうこのあたりの道、おちついてとてもよかった。

車が殆ど通らないのに設けられた地下道をくぐって上に出るとこういうところ↓を過ぎ

なんとなく雅で豪邸の立ち並ぶ柿沢地区に入る。

このあたり宿場でないのに高札場があったりする。

昔は立場茶屋でもあったのか?

塩尻峠を越えてから時折目にするこういう屋根造りの家。説明書きがありました。

 

ふたたび国道に合流。

三州街道の分岐道標を左にみて歩くと塩汁の宿場である。

塩尻市はなんとここから木曽の奈良井までを包括している大きな市。

町全体が威風堂々としている様相。

重要文化財の古い家の軒先でひと休み。

車のプレートが松本ナンバーなのが、よくぞここまで来た!という感慨を呼び起こす。

阿礼神社や

もう標識に中津川の文字が見え始めた。

塩尻宿のはずれの目印、大門神社。

この境内の横には耳塚があり、古びた祠の中にはたくさんのカワラケが願掛けのしるしとして吊るされている。

わたしもしっかり拝む。

さて、広大な敷地の昭和電工の裏を歩いてゆくと、のびやかに広がる田園風景。

ソバやキャベツやたくさんの野菜、刈られた稲穂・・・。

こういう風景にほっと安心感を憶えるのは日本人だからなのか。

 

平出遺跡が左にみえるあたりは一面のブドウ畑。

ここを歩くときはこのうえなく幸せな気分であった。

房の稔りの豊かさに加えて甘く漂うブドウの香り!

これはたぶん、歩いていなければ味わえない香り。

疲れるほどずっとずっとブドウの道である。

踏切を渡り、ブドウの販売店の立ち並ぶ国道をしばらく歩く。

もうそろそろ陽が傾きかけてきた。

国道から右の道を入るとまもなく洗馬(せば)の宿。今日の宿泊地である。

この宿場は大火のため今では遺構はあまりないが「あふたの清水」で有名な、水の音のきれいな静かな宿場町である。

こういう分かされ道をみるとゾクゾクしますね。

民宿「千倉」は宿場の終わる頃、左の道を上がって国道にでたところに建つ、昔ながらの宿。

到着は17時頃。

お世辞にもきれいで近代的とは言えないが、街道歩きで宿に着いてやれやれと畳の上にリュックを下す時はほんとに疲れも一緒におりる。

昔の人は一日40キロを平気で歩いたらしい。

どんなにかその日の旅籠の到着を楽しみにしていたことだろう。

さて、この民宿の食事はいえばすごいのよ(^0^)//

キノコ尽くし料理です。食卓はすべてキノコキノコキノコ!!!

とてもユニークな宿のおじさんが自分の山から毎日採ってくるとのこと。

キノコ以外はキノコ鍋に入ったお豆腐とキノコのお浸しについた大根おろしだけ。ご飯もキノコご飯。

おまけにマツタケの刺身付き!!!!

キノコの夢を見るかと思ったけれど、夢も見ずに20時半にコテッと就寝であった☆

本日の歩行距離:約19㎞。

京都まであと約287㎞。300㎞を切った!

 


中仙道を歩く⑫ 和田宿(唐沢・男女倉)~下諏訪宿

2015-09-01 15:47:05 | 中仙道(中山道)

8月30日(日) 雨

 願いもむなしく、いや願いを間違えたからか(昨日の日記参照)雨~////.

しかしここから下諏訪におりる交通機関がないので、ここは這ってでも前に進むしかない。

宿のおかみさんに「和田峠は下りが困難、雨でガレ場は滑るし危険だから今日はやめておいた方がいい」とアドバイスをいただき

登りは旧街道を、下りはなるべく旧国道を通る予定で出発。

そうそう、最大の懸念材料であった山蛭は、和田峠にはいない!ときっぱりおかみさんが言いきってくれたのも心強い。

ちなみに碓氷峠の蛭の話をしてあげたら、きゃあきゃあ云って怖がってらした。話してるわたしも体験が甦って気色悪かった;;。

下諏訪に着くまで食べる所は一つもない、ということでおにぎりとバナナを持たせてくれました。助かる~☆

もちろんトイレも峠を越えるまではない。

7時35分。宿の近くのバス停から長和町の巡回バスが出るのでそれに乗る。

乗客はわたしたちふたりだけ。

ちょっとズルして、昨日の唐沢のバス亭の少し先の男女倉(おめくら)で降りる。このあたりは名前にしおう黒耀石の産地。

アスファルトの崩れた石片を、もしかしたら黒耀石?★なんてふざけながら少し行くと、いよいよ右側に峠への入り口。

いろんな標識がたくさん掲げられているのですぐわかる。

なつかしい地名もたくさん、こんな風に和田峠と関わっていたのか!、と地図が頭でつながる。

このあたりの道路今昔の参考ブログ:http://haisentn.blog41.fc2.com/blog-entry-228.html

 

午前8時5分。

いざ!出陣。蛭はいないということがこんなに気持ちを楽にするものか・・。

 

しかし、蛭はいなくてもクマはいるらしい++!;;

さっそく「森の熊さん」を歌う♪

あいにくクマよけ鈴はリュックの奥になって取りだし困難;;。

リュックには雨用にしっかりビニールゴミ袋を結わえてあって中は取りだせない仕掛け。

薄暗くて道はぬかるみ、なかなか薄気味悪い。歌声も湿りがちである。

こういうときは大勢仲間が欲しい。

↓ 三十三体観音。

ぎゃ!何の骨だろ?標識の上にこんなもの。

「接待」というのはもうしばらく登るとあるお休み処、文政年間に開設された永代人馬執行所のこと。

今ではだあれもいない。接待のせの字もない。

傘を干して休憩。この街道歩きではこんな場面が多し。

再び歩き出す。

広原一里塚。まわりは本当にひろびろとした草地でキャンプファイアーができるらしい。

でもこんなところではあまりキャンプをしたくない感じ。

四キロほど登ったところで旧国道と合流。

東餅屋。ちょっと前まではドライブインで旅人に力餅を出してくれたらしい。

今は店仕舞い;;;

泣く泣く餅屋をあとに歩いて行くと雨がどうしようもなく土砂降りになってきた。

今でさえ傘をさしてようやく雨をしのげる程度。これで峠まで登っても何も景色はみえず、下りはもっとたいへんだろう。

老夫婦ふたりで意地を張って遭難するのは嫌なので、今回はもう峠の頂上はあきらめようと決断!

旧国道を迂回。峠の頂上下の和田峠トンネルをくぐる。

まあ、ここでレリーフを見てびっくりしたのが、このトンネル建設に携わったのが青山士(あきら)であったことだ。

彼はあちこちの河川開削工事にも関わり、わが町を流れる荒川放水路の上流にある岩淵水門を作った人だ。

以前、荒川の資料館で彼の職歴を見て大いに感動したのを憶えている。

まるで旧友に再会したような嬉しさがわいてくる。

さて、雨はますます激しく、大きなダンプが多く、威勢よく水しぶきを上げて入ってゆく。

下りだからよけいかもしれないが靴の中は水たまり状態である。

なんと気温は16度@!

 

水戸浪士の墓。このあたりからガレ場はなさそうなので再び旧街道に出たり入ったりして歩く。

少しづつ里の家々が見え始め、石屋の前に諏訪太鼓の石人形。

「もう少しだからしっかり歩け!」と応援されているようないないような・・。

やがて左に下諏訪の看板が多くみられるようになり、国道を横切るとこういう案内板。

あと4㎞で下諏訪だ~~!

木落とし坂とは、ここ下諏訪の御柱祭で使う樅の大木を45度ほどの山頂から落とすその場所である。道祖神を右に下り、

少し上ると、ドーン!

このように坂の上に大木が鎮座まします。

ここから男たちがこの木にまたがって、一気に坂を下る。

下にみえる白い線は国道のガードレール。

ほぼ7年おきの申と虎の年に行われる御柱祭は今や全国的にその勇壮さで名を轟かせている。

実に来年はその申年である。

すごいものだ、と感心しながら歩いてゆくと優雅な感じの水車の集落。

けっこう登り道の連続である。諏訪湖へは下りしかないはずなのに・・・。

しばらくするとこんな案内板が・・。

さらに登って「おかしい、道を間違えたらしい」と地図を見ながらろくさんのたまう。

「ぎょ!」、だって木落とし坂からはこの道しかなかったはず。

リュックにかけたビニール袋を破ってガイドブックを見てみると確かに木落とし坂から下に降りなければいけなかった。

登って来たのだから下るのは容易なのだが、1キロメートル近く損をしてしまった;;;

木落とし坂に戻ると、なるほど、案内板が朽ちて足元に落ちていた。これでは間違えるのも無理はない。

下への道を下る。ひたすら下る。

川は濁流、雨はまた強くなる。

足の裏は痛いし靴の中のゴボゴボが最高潮。

ようやくこの諏訪湖が眼前に広がった時は泣きたいくらいの感激であった。

ああ、着いた~。↓ この道標の右の坂を下ってきたわけである。

街に入るとけっこう観光客(参拝客)がたくさんいる。

一昨日から歩き始めてこんなに人がたくさんいるのを見たのはひさしぶり。

皆さん、もちろん車。

道の右側に旅籠風の無料お休み処あり。

150年前の商店の建物をそのまま保存し、改装してお休み処としている。

14時。ここで宿で作ってくれたおにぎりを食べる。

ボランテイアのおばさんの手作りのお漬物や干し柿の刻んだのをこれでもか、と出してくれる。

ありがたい。

こういう場所はほんとにありがたい。

ここで息を吹き返して、10分ほど歩き諏訪大社下社の秋宮に詣でる。

 

 

さすがに神楽殿の〆縄の立派なこと。

少し戻って甲州街道と中仙道の合流点を通過。

街中には温泉がたくさんあって入って行きたいが、せっかくきれいになったのに靴がびしょびしょではやりきれない。

がまんして宿場の本陣を見たりする。

まだ15時。

和田峠の頂上は行かなかったものの、道を間違えたものの、予定より早めに下諏訪に降りることができて良かった。

昨日長久保から唐沢まで歩いたのがかなり効いたと思われる。

湖畔も散策したかったが、朝の8時から約7時間歩き通し。

さすがに疲れていたので湖は中仙道沿いではないし、いつかまたゆっくりと、ということで駅への道を南下。

次回はこの交差点からの出発となる。

下諏訪駅。

 

電車の発車まで時間があるので待合室でシャツを着替えたりソックスを取り替えたり、山姥姿を少しはこざっぱりとして(^^);

ビールでかんぱ~い!!

 この悪天候の中、和田峠を90パーセント越えたという充実感がふつふつとわいてきてビールを2本も飲んでしまった。

16時54分発臨時の「あずさ56号」で新宿に出て帰宅。

新宿の人ごみに少し酔った。

中仙道は長い。早めに予定を立てていかないとよぼよぼになって歩けなくなるかも~~;;

 本日の歩行距離:萩倉に迷い込んだ距離を含んで約20㎞。

京都まであと約306㎞。

 


中仙道を歩く⑪ 望月~(茂田井・間の宿)~芦田~長久保~和田宿~(唐沢)

2015-09-01 09:30:13 | 中仙道(中山道)

8月29日(土) 雨のち曇り

夜半からの雨は止まず、向かいの旅籠(宿)も道も雨に濡れそぼっている。(注:網戸越し)

朝食をいただいてしばらく天気の様子をみるが、変わらない。

8時近くになってから宿を出る。

宿のおばさんが何度も「気をつけて、気をつけてね」と云って玄関で見送ってくださる。

小さくて時空を異にしたような宿場、望月。

「会坂の 関の清水に影みえて いまや引くらむ 望月の駒」 と紀貫之は詠んでいる。

宿場のはずれの大伴神社を過ぎて歩いてゆくとすぐに間の宿(あいのしゅく・宿場間が長い場合間に置かれた宿場)の茂田井(もたい)だが、

中仙道、とくにこの望月と次宿の芦田との間はそんなに離れていないのに間の宿があるのはめずらしい。

望月は当時、大水やら災害などで少し位置がずれたのでそのせいかもしれない・・とどこかに書いてあったような気がする。

茂田井に入るとすぐに神明社。

雨乞いの神様である。わたし勘違いして一生懸命お祈りしてしまった++;

昔から酒造りで有名な茂田井の街並みは昔日の面影を今に遺す。

若山牧水の愛した街でもある。

 

中仙道といえばまず木曽に入ってからの奈良井、馬籠、妻籠を思い浮かべるが、

もし島崎藤村がここに生まれていたらこの信濃路あたりの宿場はもっと観光地化されているかもしれない。

晴れていれば、浅間と蓼科山の峰々が見える水のきれいな街である。

直ぐに芦田の宿。

お休み処でお茶をいただき本陣の玄関に入ってみる。ここの本陣は昔日のままの表門。

芦田を過ぎて笠取峠に向かい国道のゆるい山道を登ってゆく。

途中の有名な傘取峠の松並木(慶長年間に植樹)にさしかかる。ここは石畳が整備されいて車も来ず歩きやすい。

ただし並木は今や1キロメートルほどしかなくなったようだ。

途中にある峠の茶屋でひと休み。

ここはちょっと前までは茶店があったようだが今は無人。

そしてさらに登る。あまり辛くないのは強い陽が射さないせいだろうか(と負け惜しみ^^)

お~、一里塚を過ぎれば長和町だ。佐久から立科(蓼科の旧姓?)の地域に入る。

 

バイパス完成記念のレリーフ。

ここからは淡々と下り。右に壊れかけた案内板があってわかりづらいが国道と別れ右の山道に入る。

とたんに熊が出そうな雰囲気。「森の熊さん」を歌う♪

意外や意外、このあたりから薄日がさしてくる~~~。さっき間違えて神明社で間違えて雨乞いしてしまったのに(^-)

街道の原道も残っているが今では人は通れないらしい

さらに下るとぽっと前が開けて里の風景と五十鈴川。ここに架かる橋を渡りぐるっとまわりこむように歩くと真っ赤な鳥居があり松尾神社。

かなり古い。ここが長久保宿の鎮守様らしい。

いよいよ長久保宿。

ちょうど12時。

今は「長久保」と表記するが本は「長窪」であったらしい。

雨が上がって

山並みも少しづつみえてきた。

街道歩きをしていなければ絶対に知らなかったこういう宿場。日本にはまだまだこういう場所だらけだ。

本陣隣の高札場。

 

ここの街には「うだつ」もある@!

今日はこの長久保宿の旅館「濱田屋」さんに予約を取ってある。

本来ならこの先約8㎞の和田宿に泊まり、明朝、峠に入りたかったのだが、和田宿の旅館は一昨年を最後に店仕舞いしたそうだ。

「いつまでもあると思うな、道と宿 byやまびこ」!である。

なので、ここ長久保の数軒の旅館では、和田宿あたりまで歩いた人には車で迎えに来てくれるというありがたい方式をとってくれる!

ここに戻って一泊し、翌日は巡回バスで歩いたところまで乗ればそこから峠を越えらる、というわけ。

おまけに荷物を預かってくれるというので、空身になったわたしたちはルンルン気分で和田宿をめざす。

教えてくれた国道のドライブインのようなお店でカレーライスともりそばを食べる。ビールが水のように喉を潤してくれる。

白い鉄橋を左に見て国道から外れた道を歩いてゆく。

長和田の集落はその名の通り長い。

こんなものもいます。

蛭じゃなくてよかった~~☆☆

やがてヘンテコな道祖神と説明板。なんとなんとミミズの碑ですと!近くにはミミズ神社もあるらしい。

あまりにもさっきのミミズ出現とタイミングを同じくしているので不思議な感じ。

和田宿までの約8キロのこの道で出会った人のは、この郵便配達のお兄さんわずかひとり。

長閑というか鄙びていると静かいうか過疎化というか・・。

蕎麦の白い花の咲く畠を過ぎてのぼりにさしかかると、見えた和田宿の標識。

昔は大きな旅籠であった「かわちや」は歴史資料館になっている。

資料館の叔父さんの説明によると、ここ和田宿は文久元年3月に宿場の殆どが大火で焼失。

折悪しくもその8か月後の11月に皇女和宮の一行が通るということで

猛スピード全力投球で街並みを復興したらしい。

現存するのはそのとき再興された建物。

 

本陣もなかなか立派。和宮さんの御威光のほどがわかる。

15時を越えていたのでだあれも観光客のいないお土産屋さんで珈琲を注文。なんとそば粉で作ったプチケーキをつけてくれた。

これがまあ美味しいこと!!

さて和田宿まで来れば、ここから長久保に引き返してもよいのだが、もう少し歩いておけば明日の峠越えはうんと楽になる。

荷物もないし、なんといっても今は雨がやんでいる。チャンス!というわけで峠入口の近くにある唐沢集落をめざす。

 

諏訪街道(中仙道)と松澤歩道?の追分を過ぎ、大井出の集落を抜ける。

国道と合流するので歩きにくいが、こんな標識が見えると、「まあ、よくここまできたものだ@!」と感慨があふれてくる。

そんなこんなで和田宿から約4㎞歩き、国道から右折して集落に入り16時に唐沢のバス亭に到着!

和田宿で電話をしておいたので長久保の宿のおかみさんが車で迎えに来てくれる。

約12㎞歩いてきた道のりを車は30分で走る。

せっかく歩いた距離を戻るのはもったいない気もするが、いやはや現代の文明?は素晴らしい。

夕飯は、とても庶民的な家庭料理。たくさん歩いたので大変おいしかったのはいうまでもない。

宿のおかみさんのお孫ちゃんが横笛を練習をしていた。松尾神社の大祭で吹くので子供たちが集まって練習するそうだ。

古い宿場街に子供たちが祭りの練習で笛を持って集まる・・・こちらまでワクワクした。

夜中にまた雨の音。明日は、明日こそは晴れてほしいのだが。

本日の歩行距離:約23㎞。

京都まで約326㎞。