謡いのお稽古なんぞ始めたので、ますます土曜日が忙しくなり、なかなか旅に出られません。
日曜日も合唱練習だったので、ひとり時間を持て余したろくさんが水元公園でイチョウの葉っぱを拾ってきました。
水元公園の圃場のあたりにイチョウの植え込みがあって、タイミングがいいとキラキラと金色の雲のような繁みが光っているのを
見ることができます。
異空間に入ったようでとても好きな場所です。
↑(2012年のイチョウ)
今日はハロウイン。
変装するのもいいけれど、同じ景色なのに季節が移るたびに世界が変わったように色が変わる、
また、ひとりの人間が舞台の上に立つと全く違う人格になる(多くの場合、それはカッコよく変わる)、
たくまずして醸し出される変身の極意。
自然の景色の変遷にはそのたびに感嘆し、むかしから変身願望が強かったわたしめ。
謡や仕舞に関わり始めて
そういうものについても「目からうろこ」がたくさんあってびっくりポンです。
小さい頃、実家のお隣のお稽古場で朝から晩までピーヒャラドンツク練習していたお神楽の音、
近所のお総菜屋さんのおじさんが、お祭りになると一躍変身してカッコよく神社の舞台で太鼓をたたいたり踊りを踊っていた姿、
お正月になると必ず、家族全員で戦場のように十八番の札を取り合った百人一首の思い出、
学生の頃、どうしても思い出せない苦手な上の句をいともさらりと答えてくれた古文のセンセイ、
街道歩きで出くわしたたくさんの寺社や遺構、
フランスのノルマンディ地方の田舎道や、
インドネシアの朝の祈りの道や屋台の通り、
中禅寺湖の水の色や、沖縄の海。
恋やら哀やら愛やら濃いやら錆やら寂びやら涙や笑いや恨みや裏見や・・・・。
・・そんなものまでもがすべて謡いの中に仕組まれていて、どうにもこの世界に惹きつけられていきます。
でも、考えてみれば、新しく始めたこの伝統芸ばかりでなく、今まで続けてきた音楽やたずさわってきたいろいろな物事の中にも、
惹きつけられる磁力はあって、すべては一貫して変わらないという真理と矛盾せず、
絶えず新しく変貌、進化していく方向にひっぱってくれる。
何十年来と教わっている音楽の師、出会ったばかりの謡の師。
どちらも言われることは同じで、これもびっくりポンポン。
歌(謡)を日常の自分の日常、そして人生の中に取り込みなさい。と云うこと。
コチラも年とってきましたから、ようやくその意味がわかるようになってきました。
老若男女、自然もひとも、取り組むジャンルは違っても、夢中でやってきたものはみんな同じく通じている。
ふむ。ますます旅に出たい、いろいろなことをしたい。
もう少し季節が秋でいてくれるといいのに。