埼玉県の吉見町にある「吉見百穴」に行く。
東松山の市内を抜けて市野川のまったりとした流れの近くに「百穴」はあった。
山というよりは小高い丘なのだが、その斜面に四角い穴がたくさんあいている。
古墳時代後期に死者を埋葬するために作られた穴である。
いくら柔らかい土岩でできているとはいえ、およそ1300年前の人々が手堀りで堀ったことに先ず驚く。
この無数の穴の中に人を葬るべく設えてあるベッドのような石段が、ここで死出の旅に立った人と葬った人の想いにわたしたちを駆り立てる。高さ、幅とも約1メートルほどの殆どの穴の中には人が見物できるようになっており娘は興味深々。
横穴群の下方に作られた太平洋戦争当時の軍需工場跡の中も興味深かった。
約1.2キロにわたって迷路のように入り組む洞窟のような穴に入ると、外とは全く違うひんやりした温度。年代が近いせいか古代のお墓よりさらに生々しい。
戦争末期昭和20年、当時戦闘機製造の本拠地であった中島飛行機工場(現在の富士重工)が爆撃などで製造不能になり、この吉見に製造部門を移転。
けっきょくこの洞窟工場がダイナマイトを含めた人海戦術で突貫工事を終えて本格的な製造が始まろうとするその頃、終戦になってしまったらしい。
工事のために、墓穴の何基かは壊されたらしい。
百を超える横穴群と軍需工場で山はいわば空洞の状態なのではないだろうか?
暗い寒い洞窟を出ると現実の陽光が嬉しい。
↑山の中腹から眺める東松山市内。
ここからさらに北東にある黒岩横穴群へ向かう。
八丁湖という人の手を広げたような形の静かな湖のほとりの横穴群は吉見より遅い発見であったのか人手の入りにくい場所だったのか、谷底からせりあげるような鬱蒼とした森の山腹にある。
苔むした岩盤と幽玄なまでの周りの大気が古代人の墓というイメージを彷彿とさせ圧巻であった。
湖と横穴群のまわりは湿地の林。幾種類もの鳥の声が自由に鳴き交わしあう。
浅瀬には何百匹、いや何千匹かのおたまじゃくしの真っ黒な塊。
水面に映えるモミジの新緑がことさらに美しかった。