回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

中仙道を歩く⑧横川~坂本~碓氷峠を越えて軽井沢

2015-06-15 22:34:45 | 中仙道(中山道)

6月14日(日)曇

昨夜の土砂降りはすっかり上がり、妙義の谷合いにたなびいていた霧が次第に上り始めている。

どうやら、ラッキーなことに昨日ほどには酷暑にはならないようだ。

宿のおばさんから蛭(ヒル)除けのためのお酢と塩水とコットンをいただく。この原始的予防法がどこまで有効かわからないが、とりあえずありがたい。

8時に宿を出発。そうそう昼食用におにぎり、おやつ用に焼きおにぎりも作ってくれた。ありがたい。

ここから中仙道17番目の宿場、坂本まで3㎞ほど。(横川は釜飯効果か地名は有名であるが往時の宿場ではない。)

 

本陣、脇本陣が二軒づつとは、当時いかに大きな宿場であり、峠越えを控えてどんなにか賑わっていたかと想像できる。

今はひっそり。

102里(約408㎞)・・・まだまだ京都までは遠い。

坂本を過ぎ、信越線がまだ軽井沢につながっていた頃の軌道の跡がある。

こんなところを通っていたのか~、と思いは何十年も昔へ飛ぶ。

この線路跡の先は駅のホームを模した休憩所になっている。ここでヒル対策。

坂本のコンビニで買ったビニール袋を履き、その上方と靴の間にガムテープを巻く。ちょっと足が蒸れるが仕方がない。



 

 

装着後、昨夜、宿のおばさんから指南されたヒルガード4か条を復唱。

1.山道を歩いている時に決して佇まない。(足を止めて景色など写真に撮っていたらたちどころにヒルの餌食)

2.呼気を荒げない。(ヒルは体から出る二酸化炭素を察知する)

3.振動・物音を立てない。(ヒルは独特のアンテナを振りかざして気配を察知する)

4.酢と塩水を靴に振りかける。(コンビニで買った虫除けガードもたっぷり)

ついでにいえば、ヒルを靴(体)から落としたら必ず殺す!(ヒルは吸血したそばから繁殖するらしい)

殺す時はヤツは吸いついたらなかなか離れないので煙草の火が有効とか。

さて、これだけ準備万端整えばヒルなんて怖くないさ!という気分横溢!

いよいよ峠への入り口に入ります!

 

しかし、あにはからむや、おとうとけしからむや、山道に入ってものの10分ほどで、こともあろうにわたしの靴にヒルクライム!!

もちろんあんなものをカメラに取る気はないので画像はありませんが、わたしがきゃあきゃあ叫び、あげくにカメラに乗り移ったヒルを振り落とそうと近くの石に

カメラを擦り付けたり打ち付けたり~~~‘‘。

前を歩く同行のりえちゃん歩きながらしっかり靴をチェックしていたので、彼女はただひとり被害無し!えらいっ!!

さてさて、山道はいよいよ険しくなり、息遣いも荒くなるが、ヒルに察知されまいとなるべく静かに呼吸(難しいぞ~~)

そのうち「刎石の覗き」に到着。

木々の茂みの間から登ってきた坂本宿や下界の様子が眺められる。

しかし、長く佇んで休んでいるとヒルが寄ってくるので足早に続く坂を上ります。

(ヒーハーヒーハー)

途中標識のわかりにくい箇所もいくつかあり、そのたび地図を参照しながら談合。

なぜかしらぬが廃車になったバスが廃棄?されている。このあたりは以前、があったようだが、はたしてバスの走る道だったのかどうか??

ヒルに追いたてられるように、女性群は一刻も早くこの山道から抜け出たい!と座頭ころがしの坂もぐんぐん上ります。

すると、そのご褒美のようにキイチゴの実~❤❤❤

う~~ん、自然の恵み!なんて美味しいのでしょうか!

こんな道を昔の人が、時には馬で時には人足で、歩き通したのかとしばしタイムマシンで時を遡る。

 

一つ家の碑、思婦石などの石碑がゴロゴロ建っていて

ここを抜けると、いよいよ碓氷峠の見晴らし台!!

13時。横川を出てから約5時間。

ここでお昼とする。宿のおにぎり、ダンチョウさんの作るお味噌汁、生暖かいビールも美味しい!

見晴らし台からの眺め。遠くの山ほど青く見える(ちょっとグレーだけど)・・これを空気遠近法というのだそうです。

ここはちょうど群馬と長野の県境。

ここで、わたしの足首近辺が5か所もひるに挿され血を吸われていたことが発覚!

気持ち悪いので画像は出しませんが、壮絶~~。

さて、ここからはただただ軽井沢に向かって下り。

楽になったせいか、なんとなく涼やかで樹木の様相も土も変わったように思える。

ヒルもいない。

ゆっくり佇んで休憩もできる。

やがて下り道にポツンポツンと別荘の屋根が見え始め、旧軽井沢の林道に出た。

 

賑わう人々の声が聞こえはじめ、お洒落な店が立ち並ぶ通りを歩いていると妙な違和感。

山から下りてきた山猿、とまではいかなくても、土と草と汗の匂いの漂うわが姿が別の次元からやってきた異人種のように思われるのだった。

ま、現実に生きているのはこの世界。現実の人間に戻ってドイツ料理屋さんでビールで乾杯☆!

次回歩くときはここからの出発となる旧軽井沢ロータリー。

 

軽井沢の駅に着いたのは17時。

ここで帰りの切符を買い、さらに駅近辺で酒を求め肴を求め、しばらく徘徊してまた乾杯したのち帰途に就いたのであった。

高崎まで新幹線、高崎から普通電車に乗り継ぎ上野まで。

上野着21時50分頃。

横川から軽井沢まで約15㎞。距離の割には強行軍と感じたのは、やはり峠の

登りとヒルのおかげかもしれない++。夏の碓氷峠にゃヒルがいる~~♪

ヒル退治に多大な効力を発揮した蛭切り石。(Bちゃん命名)

 二日間(西松井田~軽井沢)の歩行距離約22㎞。京都まで約379㎞。

 

 


中仙道を歩く⑦松井田(西松井田)~横川

2015-06-15 14:56:03 | 中仙道(中山道)

6月13日(土) 晴れ

約2か月ぶりの中仙道。同道5名、ダンチョウさん、Bちゃん、リエちゃん、ろくさん、わたしめ。

上野10時30分発の普通籠原行き。籠原で乗り継ぎ高崎まで。高崎から信越線で西松井田に着いたのは12時40分ごろ。

降りるとまるで真夏のような暑さ。

前回終わった交差点まで折り返し、松井田城址跡に建立されている補陀寺を見学。

 

西松井田から宿泊予定の横川までは約7㎞で距離は短く信越線の線路に沿った平らな道。

しかし暑い。歩くときの最大の敵は大雨ももちろんだが、蒸し暑さと強烈な日差しによる体力消耗である。

特に今日のように午後から歩き出す時は覚悟が必要。

それでも5人で歩いていると話もいろいろ弾み、野生のクリの木やら青竹やらクワの実やらアンズやらを採ったり拾ったり・・。

何度も線路を右に左に横切って進む。

古い道であまり開発もされていないので古い遺構がところどころに残っている。

妙義山をバックに立つ夜泣き地蔵と茶釜石。

横川の手前の線路湧きに鬱蒼とした杉林に囲まれた碓氷神社。

これから峠をこえようとする旅人が旅の無事を祈ったのだろうか?

ひんやりとした雰囲気で神気漂っていた。

 

まもなく横川。ご存じ釜飯のおぎのやさんの古い店構えが目印!

現在は信越線は横川が終点。

学生の頃は毎年野尻湖の合宿のためにこの信越線に乗り、この横川で電車の窓を開けてホームで待ち受ける駅弁やさんから

争うように釜飯を買ったものだ。

現在の横川駅の周囲は公園と鉄道博物館になっている。

新幹線の開通のために切断された軌道が何度来ても痛々しく感じられる。

 

 

碓氷の関所を見て今夜の宿「東京屋」さんへ。

着いてすぐに出された梅ジュースの美味しかったこと!!

夕食は土地の山菜やヤマメの焼き物など・・。

 

そして、夕食後の歓談のときに宿のおばさんから「今頃になると山蛭が出るので気を付けないと」と忠告をたもうた。

なんでも山蛭は、動物の呼気や歩く振動を感知し、落ち葉のたまりや茂みなどからウニョウニョと寄ってくるのだそうだ。

靴の中に這いずりこんで靴下の上からでも噛みつき、ヒルジンとかいう血小板を壊す毒素?や噛みついても相手にばれない麻酔薬のようなものを

注入しながら血液を吸い、わからずにいるといつのまにか体の上の方まで這い上がって血を吸って膨れ上がり黒いゲンゴロウみたいになるのだそうだ;;

(こういう気持ちの悪い話はなぜかしっかり憶えていて、それも恐ろしきかな~++)

この夜は、ヒルの恐ろしさが頭を駆け巡り、おまけに真夜中の滝のような大豪雨の音に叩き起こされ、眠れぬ夜を過ごしたのであった。

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横川への途中のコンビニで見つけた「ぐんまちゃん焼きそば」☆


枇杷真っ盛りの房総、南無谷峠を歩く

2015-06-08 17:30:44 | 山歩き・川歩き・遠足

6月7日(日)

湿度は少なくほどほどに雲があり、歩くには絶好のお天気!

友人おじさんたちと千葉県の岩井駅から南無谷峠を越えて富浦に下る。

家を出たのは6時55分。

最近、房総方面は車で行くことが多かったので、久しぶりに鉄道を使うと昔の沿線の風景とがらりと変わっているのに驚く。

昔の、海の景色を彷彿とさせるような駅名がどこにでもある駅名に変わっていたり、

線路からすぐにあった潮干狩りの浜がしっかり住宅地になっていたり、

・・もうそんなことで驚いてはいられないのはわかっているけど、昔の千葉を知っている年代からすると、改めて隔世の感がする。

電車の中からちょっと遠慮がちにアルコールのエネルギーの補給して、JR千葉駅から1時間40分ほどで岩井駅に到着。

がらーんとした岩井駅。

線路を渡ったり、国道に出たり、家と家の間をくねくね曲がりながら歩いて行きます。

線路は続くよどこまでも~♪、どうして線路はこうも旅のワクワク感をかきたてるのでしょうね~。

線路わきのタイサンボクの大きな花を見て驚くおじさんたち。

しばらく行くと、峠道への入り口。

すぐに枇杷畑が見えはじめる。

すると止めてあったトラックのそばにいたおじさんが「房州名物のビワだよ、食べなきゃ話になんないから2個づつ食べてって~~!」と

わたしたちに向かって叫んでいます。

えええ?・いいの~(^^)?と、一同嬉しい悲鳴。

丁寧にかけられた紙袋を剥くと、卵のような大きさのふっくらつやつやのビ~ワ~!

味が濃くて実が厚くてジューシーで美味しい!

食べながら歩き始める。

果汁でベタベタになった手も手の甲に刷り込むと肌がすべすべに・・。

さて、ときどき海も!

山中枇杷枇杷枇杷です!

峠の真ん中までは濡れた落ち葉が土に積もって滑ること滑ること!

普通の山道ならそんなに苦労しないけれど、あの滑る急斜面には少々閉口。

お仲間のダンチョウさんに引っ張り上げてもらう場面もありました。

キャーキャー滑る~わーわー落ちる~!なんて騒ぎながら(騒いでいるのはわたしだけだったような気もするが・・)

なんとか峠に着いた。

騒いで登った割には無感動な峠の標識。↓

ここからはだらだら下るだけだからラクチンラクチン。ビワを獲りに来るトラックにもビワ。

 

相変わらずビワ畑は続き、もう初めの感動はどこへやら、「またビワだね~~。」

どんどん下っていきますとやがて南無谷の海岸に出る。

この独特の形をした雀岩が目印!

南無谷の浜には中学から結婚して子供が小さい頃まで、殆ど毎年のように海水浴に来ていた懐かしい場所。

朝な夕な、貝を拾いながら砂浜をずっとたどって雀岩の近くまであるいたものだ。

今では遊歩道ができているし、遊歩道の陸側にはお洒落な別荘風の邸宅が立ち並ぶ。

まったく驚いた。

あの頃の宿泊は南無谷の上に「南」がつく「南南無谷」というお経の文言のような地名の民宿だった。

しばらく民宿の屋号を忘れていたけれど、歩いていて「和泉沢」さんという屋号だったと記憶が甦った。

http://www.city.minamiboso.chiba.jp/0000001274.html

宿主は人のいい、でもしっかりもののおじさん、静かにすばやく食事の支度をしてしまう奥さんと、元気な小学生の二人の息子さんがいた。

最後に行ったとき、おじさんは外房の行川(なめがわ)アイランドに勤めていると聞いた。

その行川アイランドも2001年だかに経営悪化で閉園してしまったが。

もう息子さんたちは50代にもなるだろう。この南無谷にまだいるのか、いないのか?

・・・などと長い年月を振り返りながら海岸線を歩いてゆくとやがて豊岡の浜。

遠くに桟橋発見。桟橋フェチなわたしは見過ごせない!

近くへ寄ると木製!

同行のBちゃんのリクエストにお応えして引き潮の海に向かって突き出す桟橋でポ―ズ!

ここから富浦の駅へ向かう。

駅への道も、せっかく近道を教えてくれた高校生のアドバイスをありがたく頂戴しながら、しかしわざと遠回りをして駅に到着!

もう14時くらいだったろうか。

かなり空腹。ありがたくも駅近くに一軒あった中華料理屋「たつみ」さんで遅いお昼と宴会?美味しかった(^0^)!

窓からは天然の涼しい風、電車の音・・・♪

 すっかり近代的になった富浦の駅から帰途に就く。

ホームの跨線橋からの眺め。

たらふく呑んで食べたおじさんたちは、電車の中でしっかり眠ったのは言うでもありません(^^)

楽しい旅をありがとう!!

山の中にはたくさんの小さな白い花が咲いていました。